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■オリジナル作品:「太陽の飛沫」(目次

「太陽の飛沫」 第16回

10 入江にて

 ラーチモントの東に広がる入江の海岸線は、粗い岩ばかりで砂浜は無く、岩肌の処々を狭い水路が区切っている。入江の一部は公園になっていて、海岸線に沿って設けられた遊歩道を、犬を連れた男女や乳母車を押す母親、腕を組んだ老夫婦などが散歩している。夕涼みに相応しい時刻だった。英二は妹と連れ立ってその遊歩道を歩いていた。

 母から手紙を受け取ったその日、英二は帰宅した優子に手紙を見せ、母の紐育出店を自分の手で実現させたいという思いを伝えた。と同時に、一緒に紐育へ残って出店を手伝う気は無いかと妹に訊ねた。優子はしかし、何時になるかも知れぬ紐育出店よりも、自分にとっては日本へ帰ることの方が重要だと言い、ファッション・ショーが終わったら母親と一緒に帰国したいとして譲らなかった。英二は当日午後遅く、よく話し合うために妹を入江の散歩に誘ったのだった。

「あそこで休もう」見晴らしの良い入江中央あたりまで来ると、英二は南側の岬先端に見える、六面体の形をした遠見所を指差して云った。陽は西に傾き、水平線上に蟠る夏雲が朱色に染まり始めていた。

 遠見所へ向かって暫く行くと、右手奥にラーチモント・ヨットクラブの古風な建物が見えてきた。
「あの時は大した立ち回りだったな」英二は先日のクラブハウスでの優子の振舞いを思い出して言った。
「どうということは無いわ。時が経ってみれば、むしろ言うだけのことは言った、というさばさばとした気分よ」優子は素っ気なくそう答えた。

 遠見所に着くと、二人は中のベンチに座った。床の中央に、モザイクで黄道十二宮の星座が描かれている。蟹座、獅子座、乙女座などの模様を見下ろしながら、英二は、
「お前がマリーと一緒に住むのを嫌がるのは分る。親爺の遣り方が汚いとも思うよ。だけどお袋は紐育に早く店を出したいと思っている。だから俺はそれを助けたいと思う。そのこともあって俺は、マリーが開く例の親父の帰国パーティーにも出席することにしたんだ」と妹に言った。
「紐育への出店なんてそんなのまだ先の話でしょう」
「準備を始めるのに早すぎることはない。いずれにしても、何時までもマリーと対決していても仕方が無いだろう。俺は逃げずに立ち向かうことにした」
 優子は英二の心境の変化に少し驚いた様子だったが、
「私は反対よ。今日キャシーと話して、近々ロレンス家の弁護士と会わせて貰うことにしたわ。お母様の手紙にある通り、早く信用できる弁護士と相談して帰国の方策を立てるべきなのよ」として自分の立場を譲らなかった。
「このまま親爺の帰国パーティーにも出ない積りか?」
「マリーの処なんか、金輪際行く気はないわ」

 夕焼けが始まっていた。夕陽を受けたヨットが波間を滑っていく。
「そういえば今日の水泳大会で二位になった」英二は話題を転じて言った。「帰りがけに、決勝で競い合ったジョン・スポンティーニと一緒になった。ジョンのことは知っているだろう、この前家に連れて来たことがある。あいつはこの夏、本当はフロリダへテニス合宿に行く筈だった。でも肘を痛めたので、紐育に残って水泳をやっていたんだ」
「肘を痛めていても水泳なら大丈夫なのね」
「使うのが違う筋肉だからな。彼はテニスだけでなく水泳の実力も俺より上だけれど、今日は決勝の最後で足が攣ったんだ。それで俺が二位になれたのさ。親はジョンがテニスのプロになることを期待しているらしい。帰る途中の話しぶりによると、本人はあまりその気が無いようだったから、もしかすると肘の怪我は仮病かもしれないな」
「一着は誰だったの?」
「お前は知らないだろう、マシュー・ローガンといふペルハムから来ているやつさ」

 話が途切れ、二人の間に沈黙の時が流れた。
 父親の再婚という思いがけない事態を前にして、兄妹は日本へ戻るのか米国に残るのかという正反対の選択岐路に立っていた。遠見所の屋根で風見鶏がくるくると回る音が聞こえた。風が微かな汐の香りを運んでくる。
「俺は紐育へ残る。お前も俺と一緒に残ってお袋の出店を手伝う気はないか?」英二は改めて妹に問い掛けた。
「米国に残ればマリーに利用されるのが落ちよ。私は日本へ帰る方を選ぶわ」優子は、海を見つめたまま的然とそう答えた。<続く>
「太陽の飛沫」 第16回(2012年03月09日公開) |目次コメント(0)

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