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■オリジナル作品:「太陽の飛沫」(目次

「太陽の飛沫」 第14回

8 決心
 
 その日家へ帰ると、英二は部屋の寝台の上へバッグと水泳大会の準優勝盾を置き、シャワーを浴びて汗を流した。上半身裸のまま首にタオルをかけて父親の書斎へ入り、例の写真集で翼を持つ蛇・ケツアコアトル神の姿を確認すると、なぜ今日太陽の中にその姿を見たのか考えながら、英二は階下へ降りた。台所の冷蔵庫からコカ・コーラの瓶を出して栓を開ける。そのとき、家政婦のエルビーラが裏庭から洗濯物の籠を抱えて家の中へ戻ってきた。エルビーラは英二を見るなり、日本から手紙が来ていると云って、エプロンのポケットに入れた封筒を英二に渡してくれた。

 手紙は母親直子からの航空郵便だった。英二は翼を持つ蛇のことをしばし忘れ、手にしたコーラをラッパ飲みしながら応接間へ移り、中央のソファーに座って封筒を開けた。

「  英二さんへ
 優子への手紙で既に事情は伝わった事と思います。あなたたちを日本へ帰す件でいつも曖昧な返事をして御免なさい。他に答えようが無かったことをどうか分ってください。

良子から、詳しくそちらの様子を聞きました。あなたは一段と逞しくなったようね。本当に嬉しく思います。優子のことをどうぞよろしくお願いします。良子は、あの子の成長に目を見張ったというけれど、しっかりしているようでまだ十二歳ですもの、相当背伸びをしている様子が先日受け取った手紙から伝わってきます。

 九月にそちらへ行ったとき、よく相談しましょう。どうしたらあなた達を日本へ帰すことが出来るか、東京の弁護士とも相談する積りです。そちらにも信頼の置ける弁護士さんが居ればいいのですが。今度のショーに関して契約を交わした紐育の弁護士事務所に手紙を出そうと思っているところですが、専門が違うから何処か他を紹介して貰うことになるかもしれません。弁護士事務所の本社はボストンに在って、そこでは別の案件も扱っているらしいけれど。

 このところ以前にも増して忙しく飛び回っています。良子が現地の手筈を整えてきて呉れたので心配事が少し減ったけれど、デザイン自身は全部私がやらなければならない訳だから忙しいのは当たり前よね。時々何でこんな無謀な事(アメリカでショーをやること)を考えついてしまったのかと思うけれど、世界を相手に自分のデザインを広めようと決心した以上、後には引けないと思い直して頑張っています。いづれ紐育へお店を出したいと思っているけれど、この調子だとだいぶ先のことになってしまうかもしれません。

 九月に会えるのを楽しみにしています。体に気をつけて、優子のことをくれぐれもよろしく頼みます。  母より  」

 自分宛の手紙にも、峻介との離婚の理由が書かれていないことに落胆したが、「いづれ紐育へお店を出したいと思っているけれど、この調子だとだいぶ先のことになってしまうかもしれません」と書かれたところを読み、英二は今まで整理のつかなかった心に突然眩い光がさし込むのを感じた。

 英二はソファーから立ち上がり、広い応接間を歩き回った。グランド・ピアノやルイ十五世様式の椅子、サイド・テーブルなどの間を歩きながら、英二はこれまでの一連の出来事を頭の中で反芻した。

 ……米国は世界の縮図であり強い者だけが勝ち残るといふカルロス・ベルニーニ氏の言葉、エメリー・フォスター女史が話して呉れた自分がどう生きるかが大切なのだという信念、ソフィアの言う自分の将来をよく考える必要性、そして六十年前に渡米した岡倉点心、さらには、水泳大会で全力を出し切った後の爽快感……。それらと母親の手紙の文言が英二の頭の中で繋がり、霧が晴れる様に全ての輪郭がはっきりとしてきた。

 『母親の紐育出店を全力で実現させる、これこそ自分のやるべき仕事ではないか』英二はそう思ったのである。頭の中で渦巻いていた思念が、一つに纏まった瞬間だった。ケツアコアトルのことはいつの間にか頭から消えていた。

 ……窓の外へ目を遣ると、午後の風を受けて木立が気持ち良ささうに枝葉を揺らしている。残りのコーラを飲み干すと、英二は母の手紙を始めから読み返した。

 息子の手を借りて紐育出店が早期に実現したら、自分のデザインを世界に広めようとしている母はとても喜ぶに違いない。とはいえ、英二は母親の仕事についてまだなにも知識がない。先日サウス・ハンプトンでソフィアのスケッチ・ブックを見たのが服飾デザインに触れる最初だった。意気込みだけではどうにもならない。店の出店についても同じだ。何をどうしたら店を出せるのか。今の英二には皆目見当がつかない。勿論、全てを自分だけでやる訳ではないが、何をどのように母親を助けたらよいのか予め勉強しておくこと。英二は初めて勉強への意欲が沸いてきた。これこそ中華街でソフィアが、「やりたいことのために、どういう勉強をしたら良いのか、何処の大学へ行けばよいのかを考えなさい」とアドバイスしてくれたことの意味だったのだ。

 母の仕事をこの地で手伝うこと。英二は、米国へ残ることで日本人であることを放棄するのではなく、紐育という街で、日本人としての活動を行ってゆく決心をしたのだった。日本への帰国を諦めなければならないが、この判断を母親もきっと理解してくれる筈だ。

 一度決心すると、英二は、父親の思いがけない再婚、妹の反発、マリー・レンヌの横暴など、今まで他人のことばかり気にしていた自分の愚かさに気付いた。エメリー女史の言うように、自分がどう生きるかが大切なのだ。他人のことを気にしている暇などないのだ。そればかりではなかった。記憶に刻まれたあの図書室での出来事に就いても、英二は一つの答えを探り当てたような気がした。岡倉天心のように日本の文化を世界に広めること。そのために日本のことをよく勉強すること。とすれば、日本語の本は役に立たない、と決め付けるミセス・パッチェンに対して、今ならばはっきりと「否」と答えられる。<続く>
「太陽の飛沫」 第14回(2011年05月20日公開) |目次コメント(0)

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