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■オリジナル作品:「蔦の館」(目次

「蔦の館」 第12回

第六章

 その夜、孝二郎、佐和子、レスリー、礼子の四人は、レスリーの泊まっているホテルの部屋に集合し、ナイルから届いた新しい手紙を読んだ。

「礼子へ、
『蔦の館』のことで神戸から引き続き長崎へ来ています。もう少しで問題が解決しますから、それまで警察へは連絡しないでください。ホテルの窓からグラバー邸がよく見えます。  ナイルより」

 封筒や切手は、神戸で投函されたものと同じもので、中の手紙も同じ大学ノートの切れ端だった。前回と同じく手紙の文字は急いで書かれたように乱れていた。切手にはちゃんと長崎郵便局の消印がある。レスリーは、娘が無事でいることを知って安堵した様子だったけれど、当然のことながらすぐにでも長崎へ行きたいと言った。孝二郎は、翌朝長崎へ一緒に行くことをレスリーに約束した。

 先回同様、孝二郎は顧客支配人の手を煩わせて、長崎市内の旅館・ホテルのリストを入手し、佐和子や礼子と手分けして電話を掛けてみたが、神戸の時と違って、今回は一向に目撃談が得られなかった。一段落した所で、気持ちを一新する為に孝二郎は皆を食事へ誘った。

 ホテル内にある中華料理店のテーブルに着くと、孝二郎は「文哉君はその後どうしていますか?」と礼子に質問した。
「先日、皆さんと一緒に神戸へ出掛けた日の夜遅く、一足先に戻ったからと云ってアパートを訪ねて呉れました。今日ここへ来る前にも会いましたが、二通目の手紙のことを知って驚いていました。今夜も一緒に行きたいのだけれど、他に用事があるとかで」
「消印を見ると、ナイルが長崎から手紙を出したのは、兄とレスリーが神戸から東京へ戻ったその日だわ。あなたのアパートを訪ねた翌日、文哉君がどこに居たか分る?」佐和子が尋ねた。
「翌日も夕方アパートに顔を出して呉れました、未だ何も分らないのかと」
「その日も、彼は東京に居たわけね」
「ええ、でも文哉君が何か?」礼子は訝しげな表情で二人を見た。
「いいえ、何でもありません。いろいろと可能性を探っているものですから。ところでナイルは以前、神戸や長崎へ旅行したことはありますか?」孝二郎が再び尋ねた。
「私と知り合ってからはありません」
「ご一緒に東京を離れたことは?」
「箱根へ一泊と、日光へ日帰りで出掛けたことはありますが、それ以外のところへ遠出したことはまだありません。ナイルが行きたがったのは上野とか浅草とか近いところが多かったですから」礼子が答えた。
「ナイルは今回の留学以前に、日本へ来たことはありますか?」孝二郎が今度はレスリーに尋ねた。
「以前一度旅行で来たことがあります。二週間ほどだったかしら。そのとき何処へ行ったのかは私たちは聞いていません」レスリーが答えた。
「礼子さんは何か聞いていましたか?」
「旅行で日本へ来たことは聞いています。そのときは東京が中心で、週末に一度京都と奈良へ行ったといっていました」
「なるほど」
「しかしそれが今回の事とどう関係するのですか?」礼子が質問した。
「ナイルに、神戸や長崎の土地勘が有ったかどうかを知りたいのです」孝二郎がそう答えたと同時に給仕がメニューを持ってテーブルのところへ来た。

 佐和子がホステス(?)力を発揮して皆の注文料理を纏めている間、孝二郎は考えを整理した。二通目のナイルの手紙は、確かに長崎から投函されている。礼子の言葉を信ずると、ナイルが長崎から手紙を出したその日、文哉は東京に居たようだ。とすると、文哉は長崎には同行しなかったことになる。初めからもう一人、別の協力者がいるのだろうか。それともやはり、レスリーが心配するように、ナイルは「蔦の館」と関係のある男にあちこち連れ回されているのだろうか。……

 食事のあとレスリーを部屋まで送り、翌朝早い兄とホテルのロビーで別れると、佐和子は宗方礼子を、近くにある行き付けのバーへ誘った。フレンチ・レストラン「イレーヌ」と同じく、この店も今年の春孝二郎の事務所探しを手伝っている時に佐和子が見つけたところだ。「funny」と書かれた洒落た看板があるビルの狭い階段を地下へ降りると、重厚な扉の向こうに落着いた雰囲気のバーがあった。

「どうも、いらっしゃい」店のマスターがカウンター越しに佐和子に挨拶する。
「いまそこで中華料理を食べてきたの。だから何か美味しい食後酒をくださいな」
「かしこまりました。シェリーのいいのをお注ぎしましょう」
「ええそれで上等よ。礼子さんも同じものでいいかしら」
「はい」
「さっきはごめんなさい、文哉さんのこと。いろいろと聞いて驚いたでしょう」
「文哉君のこと、事件に関係があると疑っているのですか?」
「まだはっきりしたことはわからないれど、兄によると、神戸でのナイルの足跡を追ううちにいろいろと腑に落ちないことが見えてきたらしいの。それで兄は、ナイルが最初に相談した文哉さんも、ナイルと一緒になってなにか企んでいるのではないかと疑っているの」佐和子はそういって、礼子に孝二郎から聞いた神戸でのことを話した。

「ナイルが私に嘘をついているなんて信じられません」礼子がいった。
「敵を欺くにはまず味方からというわ。なにか深い事情があるのかもしれないじゃない」佐和子は運ばれてきたシェリー酒に口を付けながら云った。
「文哉さんのことだけど、礼子さんから見て何か変わったところはなくって?落ち着きがなくなったとか、なにかを探ろうとしているようだとか」
「とくに変わったところは見受けられませんでした。私が鈍感なのかもしれませんが」
「そう」
「長崎からの手紙はどうなんですか?」
「それが分からないところよ。確かに、ナイルが長崎から手紙を出した日に文哉さんは東京にいたようだし、文哉さんのことは、やはり孝二郎兄さんの考え過ぎかな」

「そうだ、礼子さん、これからあのホストクラブへ行ってみない?」シェリー酒のグラス飲み干すと、佐和子が突然大きな声を上げた。
「『蔦の館』へですか!」
「そうよ、いまから『蔦の館』に乗り込むのよ」
「今から二人で?お兄さまに叱られませんか?」
「どうして?私たちがなにか掴んだら、逆に兄から感謝されるわ」
「昔行ったときのことは別としても、先日文哉さんと質問に行ったから私は顔を覚えられていると思います。それに、この間は何も知らなかったから平気だったけれどナイルの手紙を受け取ってからはなんだか怖い」
「さっき説明したでしょ。彼女がさらわれた可能性は低いって。狂言の可能性が高いのよ。文哉さんが関与していなかったとしたら、ナイルのそばに別の共謀者がいるのよ、きっと。それが『蔦の館』のホストたちかもしれない。今日行って、礼子さんたちの相手をした男を探しましょう。化粧をすこし濃くすればこの間質問に来たなんてわからないわよ。礼子さんでないとホストの顔がわからないのよ。よく顔を見比べましょう。先日応対した二人のうち今夜店にいない男がいたら、そいつこそ怪しいということになるわ。大丈夫よ、こっちは二人なんだから」
 初めはしり込みしていた礼子も、佐和子の説得に覚悟を決めたようだった。二人はバーを出ると、タクシーを拾って歌舞伎町のホストクラブへ向かった。タクシーの中で、礼子は別人に成り済ます為に濃い化粧をした。

 「蔦の館」に着くと、二人は拍子抜けするほど簡単に中に招じ入れられた。壁に鏡が多く使われているせいか、店内は意外なほど広く見える。席に着くと、二人はホスト達を適当にあしらいながら、店内の様子を窺った。シャンデリア照明の下、まだ客の少ない店内には手持ち無沙汰なホスト達がそこ此処に立っている。やがて礼子が、あの夜ナイルにしつこく話し掛けていた方の男を見つけた。その黒髪の男はカウンターに片肘を着いて先ほどからバーテンダーと談笑している。
礼子は、佐和子の袖を引いてそれを知らせた。佐和子は化粧室へ行くような素振りで椅子から立ち上がり、まっすぐ男に近づいていった。
「お店休んでいたんじゃないの?ここへよく来るお友達に聞いんだけど」
「いいえ、ずっと出勤してますよ」端正な顔立ちの男はきょとんとした表情で答えた。
「二ヶ月ほど前にお店へ来た外国の女性のこと覚えている?」
「さあ、ここへは外人も大勢来ますからね」
「それではナイルのことはまったく覚えていないのね」佐和子はさらに踏込んで尋ねた。
「ナイルですって?ああ、ちょっと待ってください。その名前を聴いて思い出しましたよ。日本人の大人しい女と一緒に来た外人女性でしょう。美人だけど、こんなところへ来るのが場違いという感じのお客さんでしたね」
「その後は会っていないの?」
「残念ながらお会いしていませんね、ああいうのは好みのタイプなんだけどな。でも彼女がどうかしたのですか?」
「いいえ、何でもないの」
佐和子は腑に落ちない表情の男をその場に残して化粧室へ向かった。テーブルに戻ると、佐和子は同席のホスト達にカウンターの男を指差し、「あの子最近お店を休んでいなかった?」と念の為に訊ねてみた。
「いや、あいつ、今月のナンバー・ワンを狙っているからここのところずっと皆勤ですよ」
「そういえばもう一人茶髪の可愛い子がいたけれど、今日は見当たらないわね」今度は礼子がホスト達に訊いた。
「あいつは今日休んでいますよ」
「休みはいつから?」
「今日だけです」
「では昨日まではお店に来ていたのね」
「そうですよ、あいつにも興味があるんですか?」
「まあね」佐和子は曖昧に答えると、二人の男についてさらにいろいろと訊ねた。

 どうやらカウンターの男も茶髪の男もナイルの誘拐に関係なさそうだと佐和子が判断したとき、「さっきからちっとも話が盛り上がらないな」ホストの一人が少々拗ねた表情で云った。「貴女たちは他のホストの話ばかりで、僕らに全然興味がないみたいですね。それに何も飲まないし」
「あら、御免なさい」佐和子は礼子を指差し「実は、この人がその茶髪の子にご執心なのよ。私は飾りで付いてきたの。その子がいないんじゃ仕方ないわね、照子、今日は早々に切り上げましょう。貴方たち、明日茶髪君が来たら、照子っていうファンが友だちと訪ねて来たって知らせてあげて頂戴。また近いうちに来るから」
二人は白けた表情のホストたちを適当にあしらいながら、頃合を見計らって店を出た。―――

 佐和子は礼子と別れタクシーで自分のアパートへ戻ると、さっそく兄のところへ電話を入れた。孝二郎は寝ていたようだが、電話に出ると妹のとった奇想天外な行動に驚いて、まず「危なくなかったか」と気遣った。
佐和子は兄の気遣いを嬉しく感じながらも口にしたのは「大丈夫よ。誘拐の可能性が低いって言ったのは兄さんの方よ」という台詞だった。
 それを聴いて孝二郎の方も『いつもの調子だ』と妙に安心しながら「それで、なにか分ったかい?」と妹に尋ねた。
「あそこは白ね」佐和子はお店での顛末を一部始終兄に話した。兄は「なるほど」と答えたあと電話口の向こうでなにやら考え込んでいる様子だった。「明日早いからこれで電話切るわよ」佐和子はそういうと「長崎でなにか新しいことが分るといいね」といって受話器を置いた。
 
 部屋の時計を見るとちょうど真夜中を過ぎたところだった。佐和子はバスタブの蛇口を開いてから服を脱ぎ、スリップ姿になって部屋のソファーに座った。このアパートは父親啓三が現役時代、仕事の忙しいときに泊りにくるセカンドハウスで、麹町の建築事務所からほど近い、都内で仕事をするにはとても便利なところにあった。佐和子は啓三の現役時代からここに住み込み、父親が八ヶ岳に引っ込んでからはほぼ独り占めにしていた。多少手狭だがマンション三階の3LDKで、女性の一人暮らしには充分だったし、フロントに人がいたから安全面でも申し分なかった。昔の自分がいた部屋は暗室に作り変えた。佐和子はステレオのリモコンを操作してスローなジャズをかけると足を前のスツールに投げ出し、髪をアップにまとめピンで留めた。

 そもそも佐和子が宗方礼子と知り合ったのは、礼子の勤めている雑誌社編集部が温泉めぐりの連載記事を企画し、その同行写真家として佐和子を選んだことが始まりだ。大学の写真学科を卒業したものの、芸術写真家としてだけでは食べてゆけないので、佐和子は雑誌記事などの仕事も積極的にこなしてきた。その取材期間中、女性同士ということもあって佐和子と礼子は意気投合し、連載が終わってからもときどき一緒に飲んだり互いの仕事上の相談に乗ったりするようになった。歳はだいぶ佐和子の方が上だったけれど、二人はよく気が合った。レスリーが来日したとき、礼子が佐和子を呼んだのはそんな経緯からだ。

 風呂に入ってよく温まると、佐和子は一日の疲れがすうっと取れていくのを感じた。開け放したドアの向こうから、心地よい音楽が流れてくる。佐和子は兄と違ってあまり物事を突き詰めて考えない。どちらかというと感情やフィーリングを重視し好きか嫌いかで判断することが多い。それでも佐和子は、礼子からナイルのことを聞かされたことがあったろうかと自問してみた。しかし、いくら記憶を探ってもアメリカの女学生の話は思い出せなかった。風呂から上がりステレオを消してベッドに入る。佐和子はちょっとした冒険への満足と、まだ少し残っている酒の酔いとで、まもなく深い眠りに落ちた。<続く>
「蔦の館」 第12回(2010年12月17日公開) |目次コメント(0)

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