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■オリジナル作品:「太陽の飛沫」(目次

「太陽の飛沫」 第12回

6 ソフィア

 数日後、英二はソフィア・ベルニーニと、マンハッタンの中華街で再会を果した。その日英二は、ペン・セントラル中央駅から地下鉄に乗り換えて、キャナル・ストリート駅で降り、ラフィエットとカナル通りの交差点でソフィアと落ち合った。

「先日は有難う御座いました」英二はソフィアと会うなりそう礼をいった。
「父が失礼なことを言い過ぎたのではないかと心配だったのよ」ソフィアは微笑みながら答えた。ジーンズに白いブラウス、肩に小ぶりな革のショルダー・バッグを掛け、素足に同色のパンプスを履いている。
「そんなことはありません。マリー・レンヌとの関係もよく分りました。ただ、ベルニーニ氏が滔滔と自分の履歴を語られたのには驚きました」
「父はあなたに伝えようとしたのよ」
「何をですか?」
「それをゆっくり話そうと思って、今日お誘いしたの」ソフィアはそう云うと、英二の腕を取り、カナル通りを東の方へ歩き始めた。

 昼食時の中華街は人と車で溢れていた。タクシーや乗用車、食材を積んだトラックなどが通りを連なって走り、漢字が踊る色とりどりの看板の下を、人々が忙しく行き交っている。暫く歩くとソフィアはカナル通りを右に折れ、路地裏にある古びた料理店の扉を押した。「此処は父と時々来るの。外見は悪いけれど美味しい店よ」とソフィアがいった。

 奥のテーブルに腰を落ち着ける。ソフィアが慣れた様子で料理を注文する間、英二は店の中を見回した。天井から派手な房飾りの付いた電燈が垂れ、汚れた朱壁に、大きな漢詩の扁額かかかっている。テーブルは全部で十ほどあり、入り口近くのひとつを除いて客で埋まっている。客はほとんど中国人で、昼間から酒を飲んでいる男達もあった。

 料理の注文を終えると、今日英二を昼食に誘ったのは、この間話が中途半端で終わってしまったように感じたからだ、とソフィアが改めて言った。
「私は来週ミラノへ帰るの。今度紐育へ来るのはたぶんこの冬になるわ。だから帰る前に是非あなたと会って話して置きたかったのよ。わざわざサウス・ハンプトンまで訪ねて呉れたのですもの」
「それで、ベルニーニ氏は僕に何を伝えようとしたと云うのですか?」
「父は、自らの履歴を語る事によって、自分は、はじめから本国の葡萄酒作りを手伝うだけで終わる積りはなかった、いずれ大きな事業を起こそうと思ってこの国に渡った、ということをあなたに伝えようとしたのよ」
「ええ、それは聴いていて良く判りました」
「いいえ、そうじゃないの。父は、自分のことではなく、あなたのことを言おうとしたのよ。君はこの国で何をやりたいのか、と」
「この国で何をやりたいか?」英二はその意味がすぐには理解できなかった。
「あなたが、何故わざわざ別荘までマリーの事を訊きに来たのか、父は大体想像が付いていたのよ」
「どういうことですか?」
「マリーとは一緒に暮らしたくない、そういう事でしょう?」ソフィアは英二の顔を覗き込んで言った。
「そのとおりです」英二はソフィアの褐色の瞳を見つめながら頷いた。「妹の優子は日本へ帰りたがっています。でも、僕はどうすべきか悩んでいるんです」
「父はそのことが分かった上であなたに伝えたかったのよ。米国は世界の縮図だ、と言っていたでしょう。この国で出来ない事は無いというのが父の考えよ。私も大学を卒業したら紐育へ来る積りだし、あなたのお母様が、此処でファッション・ショーを開くのも同じ考えだからに違いないわ」
英二は、そう言われても、将来自分が何をしたいのか思い浮かばないと正直に答えた。
「それこそあなたがこれから考えるべき大切なことなのよ」ソフィアは、英二から目を離さず真剣に言った。「そのためには、どういう勉強をしたら良いのか、何処の大学に行けばよいのか、そういうことを今から考へて置く必要があるのよ。自分のやりたいことを実現してゆくにはお金も必要だから、その為にならマリーを上手く利用しても良い、とまで父は言ったのよ」
 英二はやはり何と答えたらよいか分らなかった。店内を見渡すと、盃を揚げて笑談する客の声や、厨房と客卓を行き来する給仕の掛け声が騒がしく店内を飛び交っている。いつの間にか入り口近くのテーブルも客で埋まっていた。『自分が将来何をやりたいか?そのためにマリーを利用する?』英二は、脳裏でソフィアの言葉の意味を探った。

 料理の皿が運ばれてくる。ソフィアは話題を変えて、カリフォルニアの葡萄園で過ごした自らの少女時代のことや、ミラノでの学生生活について話した。英二も少し気が楽になり、両親の離婚と父親との渡米、マンハッタンでの生活や、ラーチモントへ移ってからのことを話した。食事中ソフィアは、伊太利に居る二人の兄に就いて、長男のマイケルは、堅実でいずれ父親の事業を継ぐだろうと期待されていること、次兄のジャックは遊び人で、ソフィアはよくこの兄に羅馬やミラノへ連れて行って貰ったことなどを語った。

 食事が終り、ジャスミン茶が運ばれて来る。
「お父様は旅行中だと言っていたわね。いつ頃紐育へ戻るのかしら」とソフィアが尋ねた。
「父は南米から墨西哥へ寄り、今月末紐育に戻る予定です」
「その頃私はもう此処に居ないけれど、なんとかお父様に、マリーが夫を幸せにする女性ではないことを伝えたいものね」
「そう伝えたところで、云うことを聞くような父ではありませんよ」英二は苦々しい気持ちを込めて言った。ソフィアはさらに具体的な例を挙げて、如何にマリーの性格と浪費症癖が父親との結婚生活を破綻させたかを語った。
「お母様はこっちにお店を出す計画は無いのかしら?」ソフィアがジャスミン茶を飲み干しながら尋ねた。
「さあ、どうでしょうか」
「お母様のショーは来年の二月頃だったわよね、是非拝見したいわ」
「日時や場所が決まったら、お知らせしますよ」
「そのあと、妹さんは日本へ帰るかもしれない?」
「ええ、でも僕はまだ決めていません。とにかくまず早くラーチモントの家を出て、妹とマンハッタンにアパートを借りようと思っています」
「まあ、マンハッタンに!生活費はどうするの?」
「母と相談します」英二は、九月に入ったら母親が一度紐育へ来ることを話した。
 ソフィアはそれを聞いて少し安心した様子だった。店の紙ナプキンにミラノの住所と電話番号を書き留め、何かあったら何時でもここへ連絡するようにといった。

 店を出ると、二人は賑わう中華街を、ラフィエットとカナル通りの交差点まで戻った。別れ際、ソフィアは「また冬に会いましょう。それまで私が言ったことを良く覚えていてね」と云って英二を抱擁した。英二は、自分の将来について良く考えることをソフィアに約束したものの、その内容についてはまだ雲を掴むような心持ちだった。<続く>
「太陽の飛沫」 第12回(2010年11月26日公開) |目次コメント(0)

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