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■オリジナル作品:「蔦の館」(目次

「蔦の館」 第11回

第五章

「こんな贅沢な事務所を構えて一体何をやっているかと思えば、他人様のことに首を突っ込んで、まさかホームズの真似事を始めようというのではあるまいね」孝二郎の兄、遼一郎は、弟のオフィスに足を踏み入れると、そう言いながら奥の丸テーブルの方へ大股で近づいてきた。遼一郎が、弟の事務所に来たのは今日が初めてである。テーブルの周りには、すでに孝二郎と佐和子とが座っていた。時刻はまだ朝八時を少し回ったところだ。
「ミセス・モーガンの話を聞き捨てにはできないわ」佐和子が遼一郎に椅子を勧めながら次兄の代りに答えた。
「大体四十になってもまだ一人暮らしとは、佐和子が嫁に行かないのもお前の影響の違いない」遼一郎は太った体を窮屈そうに屈めて椅子に座ると、頭を巡らせ妹の方をじろりと見た。佐和子は大げさに首を竦めてみせた。
「それでどうでした、警察の方は?」孝二郎が何事もなかったように兄に話を促した。孝二郎とモーガン夫人は神戸に一泊し、翌日ホテルの清掃の女性に会ったのだが、支配人が教えてくれた以上のことは分からなかった。遼一郎は商社の次長職にあり、大学の同級生が警察庁にいるので、東京へ戻った孝二郎はそのルートで「蔦の館」というホストクラブのことを洗って貰うことにしたのだった。

「それがだね」遼一郎は気を取り直して話し始めた。「お前から話を聞いて、松田に調べてもらったのだが、あの店は五年前から営業をしていて、これまで警察とも税務署ともトラブルを起こしたことはないそうだ。オーナーは五十過ぎの男で、他にも同じ歌舞伎町に店を幾つか持っている。何処の店もトラブルを起こしていないそうだ。まあ、それが逆に怪しいといえば怪しいがね」
「やはりそうですか。ナイルは、一度礼子さんと行ったことのあるそのホストクラブを何かの隠れ蓑として利用したのではないか、と僕には思えるのですよ」
「どういうことだ?」遼一郎が尋ねた。孝二郎は、神戸のレストランに於けるナイルの振る舞いなど、腑に落ちない点を説明した。
「なるほど。そういえば、松田は兵庫県警とも連絡を取ってくれたが、あちらでも手の付け所がなくて困っているそうだ。神戸にあのホストクラブの支店はないそうだ。そもそもあのクラブの支店などというものは、東京にも何処にもひとつもないのだよ。そのオーナーが他に持っている店は、女の子が居る普通のクラブだ。キャバレーといった方がわかりやすいかな、そうだ、今度一回参考の為に行ってみるか」長男はそういうと妹の方を見てにやりとした。佐和子は気付かない振りをしている。「ちなみに、松田に『ヤマベ・タケシ』という輩のことも調べてもらったが、やはりなんの手掛りも出てこなかった」
「なぜホスト・クラブを隠れ蓑に利用するなんて、そんな手の込んだことをする必要があるの?」こんどは佐和子が孝二郎に尋ねた。「それに、神戸で目撃された男は一体誰なの?」
「友人だという川本文哉君の態度から、ナイルのしていることを、彼も知っているのではないかと僕は思う。神戸で目撃された男が文哉君自身ということもあり得るよ。『ヤマベ・タケシ』というのは『山辺武』と書ける。それはまるで『川本文哉』の逆だからね」
「まあ!」
「『川本文哉』と『山辺武』か、たしかにまるで逆だ。お前も面白いところに気付いたな」遼一郎が感心したように言った。
「ナイルから礼子さんに届いた手紙の件だけど、なぜ走り書きの手紙をきちんとした宛名書きの封筒に入れて投函したのかしら。慌てて書いたように見せかけるのなら、封筒の方も乱れた文字にしないと辻褄が合わなくない?」
「宛名の方は、はっきり書かないと正しく配送されないと考えたのかもしれない。僕は失踪する前にナイルのところへ来た手紙が、今度のことの鍵を握っていると思う。そもそもその手紙が単にホストクラブの男から来たものだとすれば、まず一緒に店へ行った礼子さんに話すのが自然だ。それをナイルは一切話そうとしなかった。恐らくその手紙に、親友にも言えない、何か重大なことが書かれていたのだろう。ナイルは聡明さと好奇心とを併せ持つ女性だというから、事態に対処するために自分でシナリオを書き、助手として文哉君を仲間に引き入れたのではないかな」
「寧ろ、その礼子という女もこの狂言に一枚噛んでいるんじゃないか?」遼一郎が疑り深そうに言った。「文也とかいう若い男と連絡を取りながら、ナイルを何処かに匿っているのかもしれん。だが何の為にそんなことをするのかさっぱり分からんな。……兎も角、俺は週末家内や子供たちと親父のところへ行って、そのあと仕事で二週間ほどロンドンへ行かなくちゃならん。だから、これからはあまりお前たちを手伝えないぞ。それにしても、この探偵気取りの二人のことを、なんとお袋に説明したら良いのやら」遼一郎はそういうと、大袈裟に天を仰いでみせた。

 ―――孝二郎の両親は健在で、信州の八ヶ岳山麓に悠々自適の生活を送っている。父親の綾木啓三は建築家である。暫く前まで、東京麹町の事務所で仕事をしていたが、七十を過ぎたのを機に、事務所を部下に譲り、八ヶ岳の別荘に夫人の時子と移り住んだ。

 子供達は誰も啓三の仕事を継がなかった。東大を出た長男遼一郎は早々と勤め人になるし、次男孝二郎は学生のときに海外へ飛び出し、一人娘佐和子は芸術家気取りで写真に熱中する始末。啓三は内心がっかりしていたが、それでも、いつも陰になり日向になり子供たちを応援していた。世田谷の自宅は長男一家に、都内の別のアパートメントは娘にそれぞれ譲った。郊外の一軒家はいま孝二郎が住んでいる。孝二郎が海外から帰ってきて事務所を作りたいと云ったとき、啓三が紹介した建築家は弟子の一人である。あるとき、啓三は妻の時子に、何故子供が建築家にならなかったのかを嘆いたが、そのときに時子の返事が揮っていて、「建築家の実務的なところは長男、クライアント思いのところは次男、創造的なところは長女、あなたの遺伝子が各方面へ発展したと思って下さいな」というものであった。その時子の気懸りは、下の子供二人がいつまでも結婚しないことだ。母親がときどきその事をこぼすので、遼一郎は、なんとなく長男として責任を負わされたような気持でいる。そのことが、「なんとお袋に説明したら良いのやら」という、先ほどの嘆息に繋がるのである。―――

 遼一郎が事務所を去ると、孝二郎は、部屋の入口近くに置かれた珈琲メーカーから、その朝何杯目かを自分のマグカップに注ぎ、奥のテーブルへ戻った。よく晴れているので、窓から雪を頂いた富士山がくっきりと見える。
「佐和子のいう通り、問題は何故ナイルがこのような狂言を仕組んだのか、ということだ」孝二郎が言った。
「遼兄さんは礼子さんも一枚噛んでいるといったけれど、それはないと思うわ。私、礼子さんのこと以前から良く知っているけれど、そんなことを企むような人じゃないわよ。神戸で目撃された男が文哉さんかもしれないという推理だけど、私もこんど礼子さんに文哉君のことをよく聞いてみる。もし孝兄さんの推理が当たっているとしたら、何故、ナイルは礼子さんでなく文哉君を相棒に選んだのかしら」佐和子がそこまで言った時、部屋の真ん中にある仕事机の電話が鳴った。
受話器を取ると、その宗方礼子からだったので、孝二郎は妹と一緒だからと断ってから、電話をスピーカー・フォンに切り替えた。
「礼子さん、聴こえますか?」
「いま会社から掛けているのですが……」礼子の不安げな声が部屋に広がった。
「何かあったのですね?」
「昨日夜遅く仕事を終えて帰ると、ナイルから二通目の手紙が届いていたのです。九州の長崎からで、前の手紙と同じように、『蔦の館』のことで長崎に来ている、と書いてあるのです」その言葉に、孝二郎と佐和子は思わず顔を見合わせた。<続く>
「蔦の館」 第11回(2010年08月14日公開) |目次コメント(0)

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