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■オリジナル作品:「太陽の飛沫」(目次

「太陽の飛沫」 第9回

 一時間程するとベルニーニ氏が帰宅した。居間に姿を見せたベルニーニ氏は、よく陽に焼けた精悍な老人だった。老人は、「君が来ることはアパートの守衛から聞いていた」というなり、足早に部屋を横切って奥の肘掛椅子に腰を下した。自己紹介の後、英二は、数年前ベルニーニ氏と離婚したマリー・レンヌが、近々自分の父親と再婚すると述べた。
「それで、君は何を知りたくて此処まで来たのかね?」驚く様子もなく、老人が質問した。
「マリー・レンヌと離婚した理由を教えて下さい」
英二は単刀直入に訊いた。英二は優子から聞いた話の真相を探る為にこそ、わざわざサウス・ハンプトンを訪れたのだった。
「そんな下らないことを聞きに来たのか」ベルニーニ氏は笑い声を上げた。
「思っても見たまえ、当時まだ三十前の若い女が、儂のような老いぼれと何時までも一緒に居る訳がない。マリーは若い。今ならまだ良い相手も見つかる。だから結婚して三年経ったある日、儂の方からちょっとしたきっかけを作ってやったのさ。他に女が出来たふりをしてな」
「本当ですか?」
「本当だとも。もっとも世間には同情を引くように、若い女房に捨てられた哀れな老人の役回りを周到に演じて見せたがね」
 虚を衝かれて英二が黙っていると、老人は暖炉の上に置かれた小振りな壷を指差し、
「君の父親の店でこの明の五彩を買った」と言った。「マリーのことを悪く思っていないことが判るだろう」
「離婚は私が父に勧めたのよ」ソフィアが口を挟んだ。
「そうだったかな。そうだとしたら、若い相手を見付けさせるべきだと娘が儂に忠告した御陰で、君がこんなところまで来る羽目になった訳だ」老人は再び愉快そうに笑うと、椅子から立ち上がり、窓の外を眺めながら、徐に自らの履歴を語り始めた。

 ……ベルニーニ一族は伊太利の葡萄酒醸造で名を馳せる名門貴族で、今でもトスカーナ地方に葡萄園と館を持っている。一族の歴史は少なくとも一八世紀にまで溯ることが出来る。当主の三男に生まれたカルロスは、禁酒法が解けた一九三〇年代に米国へ渡り、カリフォルニアで葡萄酒造りに成功を収めた。その後会社を紐育へ移し、事業を拡大した。本国でベルニーニ家の当主を務める長男とも手を組み、一族の葡萄酒の輸出入を一手に引き受けている。マリーと結婚したのは七年前で、それ以前結婚していた伊太利人女性との間に息子が二人と娘が一人居る。マリーとの間に子供はなかった。再婚が決まると子供達は母親と一緒に伊太利へ戻った。今此処に遊びに来ている一番下の娘ソフィアは、ミラノの大学で服飾デザインを勉強している。息子のうちの一人がやがて自分の事業を継ぐだろう……。

「お前さんはこの国が好きかい?」話を終えた老人が英二に質問した。
「嫌いではありません」
「米国は世界の縮図だな。地球上のあらゆる人間がこの国へ流れ込んで来る。東洋も西洋も北も南も」
「あなたもその一人ですね」
「無論儂もだが、君の父親もそうではないのか。この国では強い者だけが勝ち残る。あの女を母親に持つ大変さは良く分かる。確かにあれは強い女だが、悪いところばかりではない。上手くあの女を利用したら良いのだ」老人はそういうと「これから船の手入れをするのでこれで失敬するよ、他に知りたいことがあったら遠慮なくこのソフィアに訊きなさい」といって、来た時と同じように足早に部屋を出て行った。

 マリー・レンヌとのことについてベルニーニ氏が云った内容は本当だろうか?庭を桟橋の方へ歩み去る老人の後姿を窓越しに眺めながら、英二はそのことをソフィアに尋ねずにはいられなかった。
「マリーとの結婚が父を幸せにしなかったのは事実だわ。強がっているけれど、父はマリーに関しては盲目な老人に過ぎないのかもしれない。それにしても、父に別の女が出来たという話を、マリーがあのとき本当に信じたとは思えないわ」とソフィアが答えた。

 英二は、ソフィアに礼を言ってベルニーニ邸を辞した。彼女の答えを反芻しながら通りに待たせてあった車へ戻ると、車内では、待ちくたびれた運転手が、気持ち良さそうな寝息を立てて眠っていた。<続く>
「太陽の飛沫」 第9回(2010年03月26日公開) |目次コメント(0)

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