文学(小説)の電子書籍コンテンツ・サイト「茂木賛の世界」


ここから本文です。(クリックすると本文を飛ばしてメニューに進みます)

■オリジナル作品:「僕のH2O ブログ編」(目次

「僕のH2O ブログ編」 第8回

<理性と感性>

A: ところで、人生には生産とも消費ともいえないこともあるんじゃないんですか?たとえば人を愛するとか。
勉: 人を愛することは自分の為ではありませんから、僕の分け方でいえば生産の方に入るといっていいと思います。
A: ここに相思相愛のカップルがいたとして、二人の関係をわざわざ生産と消費論で説明する必要はありませんよね。
勉: 恋人同士のことをこの理論で語るのは確かに野暮ですね。ただし、社会の活性度という視点からいうと、そういう波が社会に満ちていた方が楽しいことは間違いありません。恋人同士が離れて暮らすのはよくないし、辛いんですよ。
A: 洋子さんとのことですね。前にサイトから「商品の在庫が多ければ多いほど、感動が間延びしてしまうような気がした」という所を引用させてもらいましたけれど、恋の波動もあまり離れていると減衰してしまうのかもしれませんね。
勉: そうなんですよ。恋人同士はできるだけいつも逢えるところにいるべきです。
A: 応援してますよ。だって、フードマイレッジでもそうじゃないですか、遥か彼方から送られてくる冷凍のマグロよりも、近海の鯵や鯖のほうが美味しいでしょ。
勉: 魚と一緒にしないでくださいよ。
A: ごめんごめん。
勉: 話を戻すと、恋愛や教育、政治や経済、睡眠や食事などなど、人間社会で起こることにはどれをとっても、行為に対する直接の相手がいるか、そうでなければその環境を整備してくれる人が存在します。だから社会は、与える人(生産者)と享受する人(消費者)とで成り立っているという訳です。
A: そういう活動が波のごとく社会に満ちている。しかしそれを普通の広域通貨だけで交通整理しようとすると、やがて過剰在庫と過剰投資が発生してしまう。過剰在庫ってのは交通渋滞のようなものだな。
勉: そうそう。そもそも利潤なんて、通貨で価値計算をしなければこの世に存在しないものですからね。僕の生産と消費論では、与える人と享受する人とはコインの裏と表のような関係で、それはアフォーダンス理論で環境と知覚とが表裏一体とされるのと同じ構造という訳です。

A: 話は変わりますが、生産と消費論と脳の働きとはどのような関係がありそうですか?
勉: まだよく分かりませんが、ヒントになりそうなのは、人って緊張とリラックスすることを繰り返しているでしょう。
A: 仕事をしているときは緊張し、仕事が終わるとリラックスしますね。
勉: 緊張するのは主に理性を働かせているからで、リラックスしているときは逆に感性を働かせていますよね。
A: 仕事を終えて一杯やるときには感性全開で飲んでますね。
勉: ですから、人は生産するときには主に理性を使い、消費するときは主に感性を使っていると考えられるんです。理性というのは論理の積み重ねですから、直線的、積層的、一方向性、などの性質を持っていて、分析・統合系ですね。一方感性は分散系で、曲線的、変幻自在、多方向性、などの性質を持っています。人の為に何かをしている人、生産している人は、頭を使い、物事を理論的につめながら、いろいろな事柄を分析・統合の方向に持っていこうとし、自分の為になにかをしている人、消費をしている人は、心を解き放ち、物事を感覚的に捉え、ものごとを分散させて楽しんでいるといえると思うんです。勿論これは主にどちらの機能を使っているかであって、どちらか一方というわけではありませんけれど。
A: なるほど。
勉: 医学的にも、人は緊張とリラックスを繰り返すことが必要とされています。仕事ばかりに根をつめて緊張が続くと体がおかしくなりますから。

A: ところでスポーツなんかどうですか?緊張とリラックスの両方があるように思うけれど。
勉: スポーツには三種類あると思っているんです。一つ目が「見るスポーツ」。自分の体は動かさないけれど、テレビなんかで人がやっているのを見ることですね。これは見て楽しむ訳ですから勿論自分の為です。
A: スポーツ・バーでビールを飲みながらサッカーを観戦するなんて、それこそ究極の消費といえますね。
勉: 二つ目が「行うスポーツ」です。これは見るだけではなく自ら体を動かします。健康のためとか、気分転換とか、とにかく自分のために体を動かす。そういう意味でこれも自分の為、消費行為です。ちなみに「見るスポーツ」も「行うスポーツ」も、そのこと可能にする環境を準備してくれる人たち、すなわち生産者たちがいます。
A: そういう人たちとスポーツを楽しむ人たちとの間で、生産と消費の関係が成立しているわけですね。
勉: 三番目が「見せるスポーツ」です。
A: プロ野球とかプロゴルフなどですね。
勉: そうです。この「見せるスポーツ」を行う人たちは、自分のためではなく観客のために競技をするわけで、そういう意味で生産行為をしているわけです。また、「見せるスポーツ」には、スタジアムを建築する人たちから始まって、スポーツチームを運営する人、テレビで放送するためのクルーなど、大勢の人たちが生産者側として関わってきます。
A: 見るスポーツと行うスポーツが消費系で、見せるスポーツが生産ですね。そういうかたちで分けて考えれば、スポーツにも生産と消費論が当てはまるということか。この三つ、三態といいましょうか、はスポーツだけではなく、広く芸術活動一般にも応用できますね。
勉: よく、趣味で始めたことを仕事にした、なんてありますよね。でもその場合、よく考えてはじめないと、趣味でやっている分には消費ですから感性的に進めればいいんですが、仕事にした瞬間こんどは理性的な対応が求められますから、せっかく始めたのに面白くなくなってしまうことにもなりかねません。
A: この三態は人間活動全般に当てはまることですね。
勉: そういえると思います。アフォーダンス理論では、見ることと行動することとは同じ「環境を知覚すること」の範疇に入ります。ですから、見るスポーツと行うスポーツとを一つにして消費系と考えれば、人間行動のキーワードとしてはやはり生産と消費、そして理性と感性、統合と分散ということになると思います。
「僕のH2O ブログ編」 第8回(2010年03月12日公開) |目次コメント(0)

コメント

コメントを書く

お名前(必須)
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント(必須)

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。


茂木賛の世界 / World of San Motegi

  • 茂木賛の世界について
  • 著者プロフィール
Copyright © San Motegi Research Inc. All rights reserved.

このページはここまでです。(クリックするとこのページの先頭に戻ります)