「ナイルはとにかく急いでいるようでした。礼子さんの会社へ連絡したけれど彼女が席を外していて話せなかったと言っていました。だから僕に頼んだのでしょう。あとで神戸から手紙が来たので、やはりあの時、遠くへ行くところだったのだなと納得したのです。これまでも、ナイルに頼まれて何度か礼子さんに電話を掛けたことがありましたから、伝言を受けたこと自体特に変だとは思いませんでした」
「翌日もナイルから連絡がなかったのですね」孝二郎は礼子に訊ねた。
「そうなんです。私はいつも通り仕事に出かけ、午後には彼女も戻っているだろうと思って早めにアパートへ帰ったのですが、その日もナイルは戻ってこなかったのです。その夜文也さんが電話を呉れたので事情を話すと、翌朝文也さんがわざわざアパートまで来てくれました。その日も結局連絡がなかったので、次の日私は会社を休み、文哉さんと二人で歌舞伎町の『蔦の館』へ行ってみました。店員にナイルのことを尋ねてみたのですが、知らぬ存ぜぬ一点張りで、終いには忙しいからという理由で店から追い出されてしまいました。その日も連絡がなく、翌日文哉さんと警察へ届けようかどうか相談しているときに、ナイルからあの手紙が届いたのです」
レスリーは、娘の住んでいる部屋を見たことで少し落ち着いた様子だった。しかし礼子の話が娘の手紙のことに及んだのを察知すると、「あの手紙が礼子のところへ届けられてから既に数日が経ってしまいました。私は今も不憫な娘がどこかに監禁されているのではないかと思うと居ても立ってもいられません。何が見つかるか分かりませんが、一刻も早手紙が投函された神戸に行きたいと思います」と懇願するようにいった。
「私もご一緒しますよ。でもその前に一旦ホテルへ戻り、神戸でナイルが宿泊しそうな旅館・ホテルを探してみましょう」孝二郎がそういうと、
「礼子さんは仕事もあるでしょうから、神戸へは僕がご一緒します」と文也が言った。
礼子は文也の提案に同意し、「私は仕事を毎日早めに切り上げて、此処でナイルから連絡があった時に備えます。ナイルを探し出す力になって戴いて本当に有難うございます」と改めて孝二郎に頭を下げた。―――
「礼子さんを勇気づけてから、僕は文哉君とレスリーと三人で、待たせておいたタクシーに乗ってホテルへ戻った」運ばれてきた鹿肉のテリーヌに合うピノノワールを選びながら、孝二郎は妹にその後のことを簡単に語った。
「ホテルの顧客支配人の手を煩わせて神戸の旅館・ホテルのリストを頼み、文哉君と手分けしてナイルが居そうなところへ片っ端から電話を掛けてみた。幸い文哉君が掛けてくれた何回目かのホテルで、それらしい男女を見かけたという情報があった。そのあと早速、明朝早く神戸へ行く新幹線の切符を三枚手配して、僕は午後四時少し過ぎに事務所へ戻ったのさ」
「警察に届けなくて大丈夫かしら」
「まだ誘拐と決まった訳ではないからね」
「ナイルは連れ去られたホテルの部屋で、相手の隙を見てノートの切れ端に走り書きをし、一瞬の機会を捉へてホテルの人にそれを投函してくれるように頼んだのよ、きっとそうよ、そうに違いないわ」佐和子は、誰かが聞き耳を立てていないか確かめるように、そっとイレーヌ店内を見回した。ひとつ離れたテーブルに若いカップルが一組、その向こうの席に男性客が一人座っている。そして新たな客(西欧人の男女)が二人の横のテーブルに案内されてくるところだった。「そのホストクラブ、『蔦の館』という名前からしてなんだか怪しい感じがするわ。もしかすると、お店ぐるみの外国人誘拐組織か何かではないかしら?」
「とにかく明日、レスリーと文哉君の三人で神戸へ行ってみるよ」
「誘拐組織だとすると、礼子さんと文哉君が『蔦の館』へ行って店員に顔を見られたのは早計だったかもしれないわね」佐和子は声を潜めて言った。<続く>