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■オリジナル作品:「蔦の館」(目次

「蔦の館」 第4回

第二章

 「イレーヌ」は孝二郎の事務所近くにある小さなレストランで、フランスで修行した若いシェフが腕を振るうシンプルな料理は、佐和子のお気に入りである。この春、孝二郎の事務所探しを手伝っているときに佐和子が見つけた店だ。一人暮らしの兄に栄養を付けさせるという名目で、佐和子は孝二郎をこうした自分の好みのレストランに連れ出しては勘定を払わせるのが常だった。その夜、二人はいつものテーブルに向かい合って座り、佐和子のいうところの「作戦会議」を開いていた。

「これが、礼子さんが持っていたクラブのマッチさ。先日追い返されたときに取ってきたそうだ」孝二郎は礼子から預かったマッチ箱をテーブル越しに妹へ手渡した。それは横幅5センチ、縦4センチ、高さ1センチほどで、濃紺の地の中央に銀文字で『蔦の館』と書かれている。側面には店の住所と電話番号が書き込んであった。「ナイルの部屋には、いろいろな種類のマッチ箱が入った籠が置いてあった。日本へ来てから行った様々な店のマッチを記念に集めていたそうで、『蔦の館』へ行った帰りも、ナイルがマッチを取って店を出た事を礼子さんは覚えていた。だから、特別の理由がない限りこれと同じものが籠の中に入っている筈だと思って中身を全部ひっくり返してみたのだが、同じものは出てこなかった」孝二郎はそう言いながらシャルドネのグラスに口を付け、その日の出来事を、順を追って妹に話し始めた。

 ―――宗方礼子は約束どおり、十一時にレスリーをホテルへ迎えに来た。温和で面倒見が良さそうな礼子は、同居していた友人が急に消えてしまった事に心底困惑している様子だった。レスリーが孝二郎を紹介すると、「佐和子さんからいつもお噂を伺っています」といって頭を下げ、「ナイルがいなくなったことはまだ警察へ届けていません。だからとても心配なのです。そういう時に私達の力になって戴けるなんて、本当に何とお礼を申し上げてよいか」と云った。挨拶の後、三人はホテルの前からタクシーに乗り、護国寺近くにある礼子のアパートへ向かった。

「居なくなる前、ナイルの様子がどうだったか教えていただけますか?」孝二郎はタクシーの中で横に坐る礼子に訊ねた。前座席に座ったレスリーは、放心したように東京の街を眺めている。
「居なくなる凡そ一週間前、ナイルは手紙を受け取って何時に無く深刻な表情で考え込んでいる様子でした」礼子はその時の情景を思い起こすようにして答えた。
「その手紙が誰から来たか判りますか?」
「いつもは隠し事などする人ではないのですが、その手紙のことだけは幾ら訊ねても教えてくれませんでした」
「手紙は海外からでしたか?」
「分かりません」
「でも、その手紙が今回のことと関係があるとお思いなのですね?」
「きっとあると思います。ナイルのあれほど深刻な表情はそれまで見たことがありませんでしたから」
「そのことを彼女に話しましたか?」孝二郎は前に座るレスリーの後姿をそっと指差した。
「昨日空港から都内へ向かうバスの中で話しました。でもその手紙のことは何も知らない様子でした」
「ナイルに、付き合っているボーイフレンドは居ましたか?」
「いいえ、私の知る限り特に居なかったと思います。一緒に探してくれている川本文哉君とは仲が良かったようですが、特にボーイフレンドという関係ではないと思います」
「ナイルと『蔦の館』へ行った日のことを詳しく教えて下さい」
「あれは二ヶ月ほど前のことでした。その日私とナイルはアパートで夕食を摂ったあと、以前から覗いてみたかったホストクラブに行ってみようという話になって、二人で新宿の歌舞伎町へ向かったのです。いつもよりお酒を沢山飲んでいたから気が大きくなっていたに違いありません。ナイルは自分の行って見たい場所を手帳に書き出しておいて、暇なときに私にそこへ連れて行ってくれと頼むのです。お陰でいろいろな所へ行きましたが、雑誌で目にしたと云って、男性が女性客を接待するクラブへ行きたいと言い出したときは正直驚きました。でもそういうクラブは一度私も覗いてみたいと思っていたので、意気投合し、その夜いよいよ決行したのです。
 地下鉄で新宿三丁目まで行ってそこから歌舞伎町まで歩き、さらに通りを行ったりきたりしながら何処がいいか店の下調べをしました。そして町の外れにある小さすぎず大きすぎもしないクラブを選びました。それが『蔦の館』という名の店だったのです。

 結果的に私達の小さな冒険はあまり愉快なものではありませんでした。店へ入って席に着くと、案内役の男が私達の為に二人のホストを呼びました。一人はよく日に焼けた軽い感じの若い男性で、髪を茶色に染めて耳にピアスをしていました。もう一人は背の高い端整な顔立ちの男性で髪は染めていませんでした。茶髪の男性が私の隣に座り、黒髪の男がナイルの横に座ると、二人は私達の注文に応じて水割りを作ってくれました。そして私たちにグラスを手渡すとき、思わせぶりな視線を送ってきました。初めは物珍しさも手伝ってうきうきした気分だったのですが、暫くすると私は茶髪の男性の底の浅い会話に飽き飽きしてしまいました。ナイルももう一人のホストから執拗に話しかけられて困惑している様子でした。私達は始めの勢いはどこへやら、頃合を見計らうと、急な用事を思い出した振りをして、早々と店から退散しました」

「その黒髪の男とナイルとがその後付き合っていたようなことは?」
「なかったと思います。あとになって何故あんな所が面白いのかしらって二人で話し合った位ですから。だからナイルからの手紙にあの店の名前があって、私はとても驚いたのです」
「密かに付き合っていたようなことは考えられませんか?」
「彼女は私生活のことも隠さず私に話してくれていました。だからとても考えにくいことです。ただし向こうがナイルの名前と顔を覚えていて、理由をつけて何処かへ彼女を誘い出したということはあり得るかも知れません」<続く>
「蔦の館」 第4回(2009年11月06日公開) |目次コメント(0)

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