<行為の波動性について>
勉: さて、ある人の生産は別の人の消費であり、ある人の消費は別の人の生産であること、人は生産と消費とを交互に繰り返していくこと、の二つを考え併せると、人の生産と消費とは、正と負の振幅を持った波のようなものと考えることができます。
A: 波のようなもの?
勉: そうです。社会には大小様々な振幅の波が満ちていて、それが共鳴しあったり打ち消しあったりしていると考えるんです。波は、三度の食事や一日の仕事のような短いサイクルのものや、人生単位の長いサイクルのものとが重層的に発生します。
A: 食事では、作る人が「生産」をしていて、食べる人が「消費」ですね。そういえばむかし「君作る人、僕食べる人」というCMがあったなあ。食事や仕事のほかにも、はじめにあった染物屋さんとお客さんの関係など、無数の波が社会に遍在しているという訳ですね。
勉: 人生単位の長いサイクルとしては、教育を受ける期間、成人して仕事に打ち込む期間、退職してからの期間などを「波」として考えることが出来ます。
A: 論語にも「三十にして立つ、四十にして惑わず」などというのがあるけどあれも同じかな。また、人生には、短いサイクルと長いサイクルの間に中間的な波も一杯ありますね。
勉: 長いバカンスのあとにまた一所懸命仕事に励む、といったようなものですね。バカンスで蓄えた力を原動力にしてまた仕事に頑張るわけです。長い闘病生活の後社会復帰した人の場合もそうですね。
A:その波の共鳴と打ち消し合いは、常に一対一ばかりではなく、一対多、多対一というケースもありますね。
勉: 当然あります。コンサートですばらしい演奏を聴いて観衆が感動するのは、演奏家と観衆という一対多の例です。
A: 共鳴してさらに振幅が大きくなる例としては、コンサートでいうと、すばらしい演奏を聴く人は勿論感動するんだけれど、演奏する方も、満員のお客さんが聴いて呉れていれば、いつも以上の力を発揮するということですかね。
勉: そういうことだと思います。スポーツでも、スタンドの応援が選手たちを奮い立たせてチームが実力以上の力を出すことがありますよね。
A: よく、あの人とは波長が合わないなんていうけれど、あれは逆に、全然相互の共鳴がないんでしょうね。
勉: そうそう。さて、この大小様々な波の共鳴と打ち消しあいとを合成すると、一つの大きな波になります。そしてその振幅の大きさが、社会の活性度を示すことになります。すなわち、振幅の大きい社会ほど豊かな社会であるといえると思うのです。
A: なるほど。経済学でも「コンドラチェフの波」とか景気循環理論がありますが、あれと関連があるんでしょうか?
勉: 景気の循環は在庫、特に過剰在庫と関連していますね。そのあたりについてはまだ勉強不足ですが、人の一生の大きな波は、戦争などの社会的出来事とある程度連動しますから、社会全体にそういう大きなうねりがあっても不思議ではありません。
A: いわゆる団塊の世代が大量に退職すると、勉さんのいう「生産」が活発になって、社会がもっと活性化するとか。
勉: 団塊の世代の人たちが、これから、社会の為に尽くそうと考えてくれればいいですね。
A: この波はいわゆる流行とも関係ありそうですね。流行も繰り返すというでしょ。
勉: あるでしょうね。流行が伝播する様は波動の共鳴現象に似ています。社会のどこかで小さな波が起こって、それが複雑な共鳴・増幅現象を起こして、社会の中に広がっていく感じでしょうか。
A: そしてやがて減衰して消えていく。台風の発生、増大、そして消滅と似ているな。
勉: 生産と消費の波は「複雑系」なんです。<続く>