「私はレスリー・モーガンといい、サンフランシスコ郊外に主人と二人で暮らしています。綾木さまのことは昨日佐和子さんからお聞きしました」とレスリーが云った。佐和子というのは、東京でフリーの写真家をしている孝二郎の妹である。
「ああ、佐和子の紹介ですか」孝二郎は妹の知合いと聞いて安心し、レスリーを窓辺のソファーへ案内した。
ドア近くの窓辺には、窓を背にして赤革のソファー、その前に長方形のテーブルがあり、テーブルの両端にソファーと同色の革製の椅子が置かれている。孝二郎はレスリーをソファーの中央に座らせると、自分はドアに近い方の椅子に腰を下した。
「実は私達の一人娘が日本で行方不明になってしまったのです」レスリーはソファーに浅く腰掛けたまま身を硬くして言った。「綾木さまは海外生活が長く、私達の事情が良く判っていただける上に、比較的お時間に余裕があると伺いました。もしかすると娘探しに手を貸して戴けるのではと思い、こうしてご相談にお伺いしたのです」
「海外生活が長かったのは事実ですが……」孝二郎は戸惑いながら答えた。
「私達夫婦の一人娘ナイルは、日本語を勉強する為に、半年前から一年間の予定で東京へ来ていました。以前私達の所に滞在した事のあるお友達のアパートに同居させてもらい、そこから近くにある大学へ通っていました。数日前そのお友達、宗方礼子さんから連絡があって、娘が三日間程前から行方不明になっていることを知らされたのです」
孝二郎は椅子に坐り直した。レスリーが先を続けた。
「三日もの間ナイルがアパートへ帰らずに連絡が取れない状態が続いたので、警察へ捜索願を出そうとした矢先、なんと礼子さん宛てに娘から手紙が届いたのです。礼子は手紙に書かれた内容を見て、以前から何かあったときの連絡先となっていた私達のところへ電話をくれました」レスリーは一息入れて更に先を続けた。
「電話を受けた夫は、直ぐに東京へ行けない事情を抱えていたので、私が一足先に行くことにして、取るものも取り敢えず翌日の成田行きの飛行機に乗りました。成田空港で、礼子さんとナイルの友達という川本文哉さんの出迎えを受け、ホテルへ着いたのが昨日の夕方ことです。その夜遅く、礼子の知り合いの佐和子さんとお会いし、そこで綾木さまのことをお聞きしました。綾木様の事務所がホテルの直ぐ側にあることも教えて戴いたので、夜明け前に目が覚めると居ても立ってもいられなくなり、今朝思い切ってこうして一人でお訪ねしたのです」
普通ならばここで依頼を断ってもよいところだが、持ち前の親切心から、孝二郎はこの女性を助けたいと思ったのである。彼は「娘さんから宗方礼子さん宛てに届いた手紙をお持ちですか?」とレスリーに訊ねた。
「はい」レスリーは、バッグの中から一通の封筒を取り出した。封筒は市販されている薄茶色のものだ。
「内容は、礼子さんが訳してくれました」とレスリーが言った。
孝二郎はその封筒を手に取って調べてみた。指紋のことなどお構いなしなのは素人だから仕方がない。表に丁寧な字で書かれた宛名書きがあり、切手には神戸郵便局の消印があった。差出人の名前は表にも裏にも書かれていない。
孝二郎は次に、中の手紙を封筒から取り出した。手紙といってもそれは大学ノートの切れ端に書かれたものだった。封筒の宛名書きとは異なり、かなり文字が乱れている。
「礼子へ、
私は今、『蔦の館』のことで神戸へ来ています。東京へ帰るのはまだ先になりそうだけれど元気だから心配しないで下さい。経緯はいずれ話します。くれぐれも警察へは連絡しないで下さい。 ナイルより」
孝二郎はナイルの日本語(の書き方)上手に驚くと同時に「くれぐれも警察へは連絡しないで下さい」という文言にひっかかりを覚えながら、「ここにある『蔦の館』について、礼子さんか文哉君に心当たりはありましたか?」とレスリーに訊ねた。<続く>