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■オリジナル作品:「百花深処 II」(目次

「百花深処」 <原敬と大正天皇>

 『大正天皇』草森紳一/平山周吉共著(コトニ社2/2026)という興味深い本を読んだ。本のカバーには、

(引用開始)

近代日本の、もう一つの可能性に迫る
大正天皇は、「病弱な統治者」ではなかった
忘れられた〈天才藝術家〉にして、稀代の〈トリックスター〉―――
自由な精神をもった君主としての大正天皇像を再構築する。
明治と昭和に挟まれ、歴史の影に埋もれた天皇……。しかし彼は、漢詩と書に天才を発揮し、大いに人を笑わせ、ときに軍部との対立をいとわない大胆な政治判断を下した――。
没後100年、常識を覆す「大正天皇像」が、いま甦る。読めば、近代日本の景色が変わる。

(引用終了)

とある。章立ては以下の通り。

<まえがき>「大正天皇」という盲点(平山周吉)
第一章 早くより旧派を脱し給ふ――大正天皇の「書」と漢詩(草森紳一)
第二章 大正天皇と原敬(草森紳一)
第三章 「天才」藝術家としての大正天皇(平山周吉)
第四章 「万機、余暇有り」――大正二年、帝国陸軍と大正天皇との対立(平山周吉)
<あとがき>(平山周吉)

新聞の書評も紹介しておこう。

(引用開始)

藝術、政治…才に富んだ君主

 大正天皇は時の政治家の操り人形だったのか。いや、天衣無縫にして自然の極致。文人、書家であり、馬を愛した人であった。
 奇行や病弱のレッテルを貼られてきた天皇像をくつがえす本書は、草森紳一の原稿に呼応して、かつて、草森の担当編集者だった平山周吉が新たに論を立てる刺激的な共著となった。
 草森は、博覧強記で知られる中国文学の学徒。サブカルチャーに本質的な価値を見いだした。ここでは天皇御製の漢詩や書を足がかりとする。
「不幸にも芸術家的体質が備わっていた」とする。天才的な才質があるからこそ、君主らしく生きる辛さがもたらされたと読める。さらに、天皇を「操り人形」にともくろむ宰相伊藤博文の魂胆を、明晰な天皇が見抜く構図を打ち出す。また、草森は、人を笑わせる才に富んだ天皇を深く愛し、共感している。
 第2章では、まず、茶人でかつ多趣味の高橋箒庵を紹介する。高橋は三井財閥の幹部を早々に退いて風雅の道へと進んだ。けれど、天皇の退位は容易には許されない。摂政を立てられるだけだ。高橋と天皇の立場の対比に打たれた。
 やがて膨大な分量の「原敬日記」の精読に行きつく。無趣味な原と、天皇の交情。明治美術会の展覧会を背景に、天皇、高橋、原、三者の生き方が交差するが、この章は未完である。
 昭和史、映画史を深く読み解く名手、平山による第3章。意外にも、思想家保田與十郎を呼び出す。天皇の和歌について「畏れながら、かなしい。しかも藝術的に見れば、繊細絶妙絶佳の名品である」。君を仰ぎ見る保田の評であった。
 第4章、天皇は大胆に政治に介入する。「軍部大臣現役武官制」から、現役軍人であることを削った管制の改正に、天皇が政治的意思を強く働かせた。天皇の内心を描いてスリリングである。
 徹底した文献調査。日記の行間に、想像力を働かせる方法論。さらに横滑りを怖れず、周囲の人物を召喚していく手際。雑文家としての誇りが、本書を貫いていた。(長谷部浩)

(引用終了)
<東京新聞 4/4/2026(フリガナ省略)>

ということで、この本は大正天皇に対する世の中の見方をおおきく変えようとする。

 書評にあるとおり、宰相原敬と大正天皇の交情を描く草森の第二章は未完に終わってしまったが、平山は、第四章で原敬と大正天皇の関係を政治面から追いかける。本カバーの紹介文にある、天皇が「ときに軍部との対立をいとわない大胆な政治判断を下した」という部分だ。本書の<まえがき>から平山氏の文章を引用したい。

(引用開始)

 平山のおもな関心は、昭和史と天皇及び宮中との関係にある。大正時代はその前史にあたるが、必ずしも詳しいわけではない。むしろ疎いくらいだった。それでも草森紳一の関心を引き継いで『原敬日記』を紐解くと、いままで省みられてこなかった大正天皇の像が浮かび上がってきた。そこに焦点を絞ったのが、拙稿「「万機、余暇有り」――大正二年、帝国陸軍と大正天皇との対立」である(本書第四章)。政治的には無能とされてきた大正天皇が、即位直後、「軍部大臣現役武官制」という制度から「現役」の二文字を削除するのに重要な役割を果たしたという史実を確認したものである。「現役」の二文字は二十数年後、二・二六事件の後に復活し、昭和史のネックになったとも言われる。意外にも、それほど重大な政治的決定を大正天皇は下していた。
 大正二年の『原敬日記』を読むとよくわかるが、大正天皇と原敬は特別に親密な関係を結んでいる。伊藤博文、桂太郎、山県有朋、大隈重信といった政治家たちと大正天皇との関係とは、また一味違う関係が想像される。「現役」の二文字を削除するにあたり、原敬が大正天皇になんらかの働きかけをしたかどうかはわからない。しかし、原敬が山本権兵衛首相に「削除」を強く働きかけていたことはわかっている。

(引用終了)
<本書 007−008ページ>

とあるように、大正天皇は「軍部大臣現役武官制」という陸軍の横暴な反政府制度を変更させた。

 大正10年(1921)に65歳で暗殺される原敬、大正15年(1925)に47歳で死去する大正天皇。二人がもっと長く生きていれば、<後藤新平と原敬>などでも触れた「現人神天皇制」と「統帥権の独立」という明治憲法下の制度問題は、憲法改正(大正憲法)によって解決できていたかもしれない。平山氏も<まえがき>の最後に次のように書いておられる。

(引用開始)

 原稿を書きながら強く思ったことがある。大正天皇の時代がもっと続き、首相の原敬が暗殺されなければ、近代日本は違った道を歩めたのではないか、天皇制が無暗に強化されることはなく、皇室は「政治」の外にあって政治に関与せず、「万年の春」を言祝ぐ役割に徹する。「君臨」はすれども、「統治」することはなくすんだのではないか。大正天皇と原敬との関係を辿っていると、そうした重い課題に引き寄せられる。昭和史の悲劇にも、大正天皇の存在あるいは不在は大きく関わってくるのではないか。
 歿後百年にして、大正天皇がむっくりと起き上がる。

(引用終了)
<本書 008ページ(フリガナ省略)>

 大正時代は、幕末前後に生また新しい人材によって、明治から45年続いた藩閥維新政府とその理不尽な憲法に、「待った」を掛ける最後のチャンスだったと思う。しかしそれは叶わず、時代は、制度をそのままにして戦前昭和へと流れ込んでいってしまう。

「百花深処」 <原敬と大正天皇>(2026年05月22日公開) |目次コメント(0)

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