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■オリジナル作品:「続・記号のような男」(目次

「続・記号のような男」 第十一回

11.桑富酒造

 桑富酒造は、桑富市桑富町の奥武蔵街道沿いにある、江戸中期から当地の宿場客に酒を供してきた古い酒蔵である。戦後の混乱期には生産量が減ったけれど、九代目当主大村壮司が桶売り桶買いでなんとか商売を続け、彼が過労で亡くなると妻ふゆがそのあとを守った。その後一人息子壮吉が当主となり、二年前の夏から壮吉の長女弓子が当主をつとめるようになった。七十歳を過ぎた壮吉は娘の後見と外回りの仕事を担っている。壮吉には弓子の他に長男の壮一、次男の壮太がいる。壮吉が考えていたのは息子二人の内どちらかが蔵元を継ぐことだったが、壮一は若い頃から親に反抗的で家を飛び出し、桑富町の駅近くで一緒になった元ホステスの女とカラオケ・バーを経営している。次男の壮太は酒よりもクラフト・ビールに熱を上げて有前町商店街にビア・バーBBKを開いた。先日の開店一周年パーティの様子は前に書いた通り。そういう次第もあって蔵元は長女が継ぐことになった。弓子は三十少し前、弟同様スラッとした背丈の美人である。優しい顔立ちも弟と似ているけれどこちらは女性らしい華やかさがある。彼女は子供のころから蔵に出入りして酒造りを見てきたし、その後杜氏の学校も出たから資格は充分。まだ元気な祖母のふゆも弓子を応援している。

 桑富酒造の商品はいろいろあるけれど、生産規模約800石のうち主力は純米酒で、なかでも純米大吟醸「くわとみ・蔵一」、純米吟醸「くわとみ・一献」、純米酒「くわとみ・有水」のラインアップはファンが多い。本醸造酒も造っていてこちらは手頃な日常酒として主に地元で愛されている。桑富神社他に奉納する樽酒もある。敷地内の井戸で汲み上げる水は関東では珍しくミネラルが豊富。米は新潟の百万石などを使っている。従業員は十名ほど、仕込みの時期には新潟から杜氏や蔵人たちがやってくる。

 その日桑富酒造では経営会議が開かれていた。といってもここは合同会社だから出席者は壮吉と弓子、杜氏長の北見、それと経理担当藤井の四人。
定例の議題に入る前に、
「先日連合会でまた水の話をしたんだけど多勢に無勢だな」と壮吉がいった。桑富酒造は桑富産業連合会の会員だが、月当初に報告されたモールの駐車場と県道延長案について懸念を抱いたり反対したりするメンバーは少なかった。県道は有前川を跨ぐことになるし駐車場は川岸にできるから、工事によっては川の土壌や水質に影響が出るのではないかというのが反対の理由。そのメンバーは有前川の水を染色に使う有前織の老舗「鴇(とき)田」と「桑富酒造」である。
「水質はそれほど変わらないという人もいますしね。それにうちの井戸はかなり深いところから汲み上げているから」と藤井がいった。
「大丈夫かもしれんが懸念はあるわな。山向こうの開発で有水山系の水も年々減っているし」と壮吉がいった。
「農地規制緩和の条例はまだ市議会に提出されていないんでしょ?」と弓子。
「産業連合会が農家にヒアリングをしている段階だって聞きました」藤井が答えた。
「農家さんたちが反対すれば強行はできんと思うがな」
「畑を続けたいという若い人がいればいいんですけどね」北見がいう。
「そうなんだよ、酒造りにはやってみたいというかわった若いやつもいるけど、畑仕事にはなかなかいない」と壮吉。
「そういえば昨日蔵人になりたいって子がまた一人来ましたよ」と北見。
「畑はどうだって聞いてやれよ」
「壮太さんのところでうちのことを知ったそうです」
「あいつも多少は役に立つってことか」壮吉が苦笑いしながらいった。
「この間、壮太のところの改築設計をしてくれた久岡さんにお礼をいってきました」弓子はそういって、久岡が現金を受け取らずに設計してくれたこと、水のことを心配してくれたことなどを話した。
「ご苦労さん、そう聴くとなかなか良い人らしいな。汚職に手を染めて会社を辞めたって聞いたことがあるけど」と壮吉。
「久岡さん、柿本町の畑にあるトレーラー・ハウスに住んでいるの」
「一人かい?」
「奥さんと娘さんがいるけど別居しているんだって」
「BBKでちょっと会ったことがありますが良さげな人でした」と北見。
「今度有前神社の奥宮建築の統括を任されたんですって」
「ああ、あれか。今度俺も彼に会っとくかな」と壮吉がいった。
「農業の後継者ねえ」北見がため息を吐いた。
「後継者といえば、鴇(とき)田も後継者がいないらしいですよ」と藤井。
「有前織りなんて、古くからのものだし面白いと思うけどね。あれこそ有前川の水質がもろに影響する」
「連合会には他にいないんですか、道路に反対する人」と北見。
「あそこは製造業やサービス業、新しいところではIT関連が多いからな」
「産業連合会より、議員さんに訴える方がいいかも」と弓子。
「連合会の息のかかった連中も多いよ」壮吉がいう。
そこでこの話題は堂々巡りに入った。やがて経理の藤井が白板に記した<議案その1>を指さし、「じゃあ、そろそろ今日の案件に入りましょうか」と言った。

(つづく)
「続・記号のような男」 第十一回(2025年12月28日公開) |目次コメント(0)

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