9.遂慧和尚の妙案
有前神社での打ち合わせから三週間後、遂慧和尚が一人の男性を伴って前田宮司のもとを訪れた。
「こちらが浅間大社の遠山宮司さん。わざわざ静岡からお越しいただいた」
「遠山と申します。よろしくお願いいたします」
「こちらこそどうぞよろしく。いやあ、遂慧和尚からお話を伺ったときは驚きましたが、これ、なかなかの妙案ですね」前田宮司が言った。
「先日遂慧さまとご一緒に有前山山頂へいってきましたが素晴らしいですね。いまは木が茂っていて見えませんが、伐採すれば富士山がきれいに見えることを確認させてもらいました」と遠山宮司。その横で遂慧が微笑んでいる。これはどういう事態なのか、すこし時間を遡ってみよう。
有前神社での打ち合わせのあと、奥宮づくりの予算が足りないことを知った遂慧和尚は、寺に戻るとそのことを弟子の叡慧に零(こぼ)した。
「せっかく工事の監理者がきまって前に進めると思ったのだが」
「おいくらほど足りないのでしょうか?」叡慧が尋ねた。
「追加で必要なのは二、三百万円といったところだと思う」
「それは大金ですね」
「なにか智恵はないかのう、うちの檀家さんに寄付を頼むわけにもいかんし」
「有前神社さんと縁のある神社がほかにあるといいのですが」
「ほかの神社か。そういえばうちで祠の周辺を掃除するとき手伝ってくれる檀家さんのなかに、昔富士講の講員だった人がおったなあ」
「犬山さん?」
「そうそう、最近来られないがどうしておるか知っているかい?」
「お歳ですから自然と足が遠のいたのかと」
「かれはまだ浅間大社さんと繋がりを持っておられるだろうか?」
「いまは富士講も盛んではなくなってしまいましたからどうでしょうか」
このとき遂慧が思い付いたのは、有前山の山頂は明治の廃仏毀釈まで浅間大社の下宮として祀られていたのだから、あの祠を社殿に格上げするにあたり、浅間大社にも寄付を頼むことが出来ないかということであった。今回社殿に格上げしようとしているのは有前神社であり、その位置づけは自らの奥宮としてで浅間大社の下宮としてではないが、もし有前神社側が過去の経緯を踏まえ、社殿を浅間大社の下宮としても併せ祀ることを提案し、大社側がそれに賛同すれば、二社の合祀という形ができる。そうすれば大社側からも寄付が期待できるのではないだろうか。系列を超えた神社間での提携。部外者こその発想といおうか、禅的な妙案といおうか。
「ちょっと犬山さんと連絡を取ってみてくれないか、儂が話したいといっておるということで」遂慧は弟子に頼んだ。
「承知しました、明日にでも」叡慧はそう答え、翌日犬山家に電話を入れた。
「ああ、おやじですか。今は介護施設に入っていて家にはおりません」叡慧の電話に出たのは、犬山氏の息子壮一さんだった。叡慧は師匠の遂慧が犬山氏と話をしたいと言っていることを伝えたが、「父は認知症を患っていて話をするのは無理だと思います」と壮一氏はいった。叡慧が富士講のことで、というと、「それなら私でも何かお役に立てるかもしれません。むかし父と一緒に有前山の祠の清掃にいったことがあります。その影響かどうかわかりませんが、自分も山が好きで富士山にも幾度か登ったことがあります。そのとき父の友人だった方と知り合い、富士講のことをいろいろと聞きました」という返事だった。それでは師匠と話していただけるかと叡慧がきくと、「桜岩寺ならそう遠くないですから、来週の頭にでも仕事のあとに寄りますよ」と壮一氏はいってくれた。
月曜の夕方犬山壮一氏が寺に来ると、遂慧は彼から富士講は衰退したが今でもその伝統を受け継ぐ団体があり、壮一氏が知り合った父親の友人もそこに所属していて、浅間大社の宮司とも親しくしていることを聞いた。その人の電話番号を聞いて連絡してみると、次の週末に浅間大社で集いがあるとのことだった。そこで遂慧は翌日有前神社の前田宮司と会い、有前山山頂の社殿を浅間大社の下宮としても併せ祀るという案を話した。前田宮司は最初驚いていたが、話をするうちに乗り気になってきた。
「有前山神社のいまのご祭神は大山祗神さまと木花咲耶姫さまです。大山祗神さまはうちの素戔鳴尊さまとご兄弟ですし、木花咲耶姫さまとうちの須世理姫さまはそれぞれの娘さんです。うちの奥宮と浅間大社さんの下宮が一つになれば、兄弟とそれぞれの娘さんが一緒に祀られることになります。勿論仲間や氏子さんたちには諮りますが、先方がそれでよければうちはみな歓迎すると思います」と前田宮司はいった。
次の週末、遂慧は弟子の叡慧が運転する車で、静岡の浅間大社を訪れた。前田宮司からゴーサインが得られたからである。手にしたのは、有前神社に保管されていた江戸時代の奥宮移管に関する浅間大社との合意文書、有前山山頂の祠と周辺の写真、今回の社殿建設の概要、予算案など。浅間大社では犬山氏の友人だったという一ノ瀬氏と会い、浅間大社の遠山宮司を紹介してもらった。団体との集いのあとに遠山宮司の時間を貰った遂慧は、持参した資料を見せ、有前山山頂に作る予定の有前神社の奥宮を浅間大社の下宮としても併せ祀る案を話した。そして有前神社からは賛同を得ていると付け加えた。遠山宮司は、前田宮司同様はじめ驚いていたが、過去の資料や祠周辺の写真、社殿の概要などの説明を受けるうちに、これも前田宮司同様、前向きになっていった。
「廃宮扱いになって久しい間、桜岩寺さまが祠周辺の清掃を続けて頂いたことには感謝の念しかございません。そしてこの度、このようなご提案を頂いたこと、大変うれしく存じます」と遠山宮司はいった。遂慧が予算案を見せてさらりと費用不足のことに触れると、「我々の仲間と相談し、有前山の現地を視察させていただいた上の話ですが、もしそのようなかたちで話を進めることが出来るのであれば、うちでは全国各地の浅間神社や下宮の補修費用を毎年積み立てていますから、いかほどかの浄財を社殿づくりに向けて寄付することは可能です」と宮司は答えた。
このような経緯があり、冒頭に記(しる)した三者会談が行われることになったのである。
「しかし時代ですかね、うちの氏子さんたちで反対する人はいませんでしたよ」前田宮司がいうと、
「うちもそうでした」と遠山宮司が間髪を入れずに答えた。
両者は諸々の手続きについて話し合い、最後に遂慧和尚に対してこの件で労を取ってくれたことに深く礼を言った。
その翌週、有前神社の社務所の一室で二回目の奥宮進捗会議が開かれた。出席者は前田宮司と宮大工二人、久岡俊夫、それに遂慧和尚の五人。前田宮司が、奥宮を浅間大社の下宮としても併せ祀る方針が関係者の間で了承されたこと、後日正式な合意書が交わされること、それに伴い浅間大社側から三百万円の寄付が得られることを報告。遂慧がここまでの経緯を久岡と宮大工二人に説明した。久岡が工事のスケジュールとしては、社殿の外装仕上げまでほぼ10ヶ月、内装や鳥居、周辺整備も含めた全体の完成までおよそ15ヶ月と報告、それを踏まえ前田宮司が、来年の春の例祭に合わせて社殿の竣工式、秋祭のときに奥宮/下宮としての落成式を行いたいと言った。材料の発注を始めること、本会議を社殿進捗会議と変更し必要に応じて浅間神社にも参加してもらうこと、なども合意された。遂慧は、社殿が完成した暁には桜岩寺が責任をもって日々の清掃管理を行うと表明。前田宮司が改めて遂慧和尚の尽力に感謝すると、八十過ぎの老和尚は「これぞ現代の神仏習合、万法帰一」といって朗らかに笑った。
(つづく)