3.久岡俊夫
建築家の久岡俊夫は三年ほど前、身に覚えのない汚職事件に巻き込まれ、勤めていた十海建設を辞職した。いま彼は、埼玉県桑富市・柿本町にある畑の脇にトレーラー・ハウスを停めてそこに一人で暮らしている。畑は柿本町に住む両親のものだから、そこに寓居するのは一種の里帰りのようなものである。
久岡が巻き込まれた汚職事件というのは、当時十海建設が参画していた仙波重工の中東でのエネルギー関連プロジェクトにおいて、日本のODA(政府開発援助)資金の一部が与党の政治家Aに還流した事件で、Aが十海建設の社長と親しかった関係から十海建設の関与が疑われ、プロジェクトに出向していた久岡が事情聴取されたというもの。十海建設は証拠不十分で罪に問われなかったけれど、その後プロジェクトから外され、久岡がその責任を問われ懲戒処分となった。そのすぐあと久岡は辞職した。彼は十海建設の次期社長を窺う専務の娘と結婚していたため、その勢いを削ごうとしていた社長が、事件を奇貨に専務の娘婿を追い詰めたとも噂された。
専務の娘である妻の美香は夫を庇うどころか、彼が辞職したことを責めた。たたけば埃が出るに違いない社長をそのままにして会社を去るのは義父への裏切りだと詰った。手に職がある久岡は、長く勤めた会社を辞めることに抵抗はなかった。むしろ、汚職事件でいやというほど組織の醜さを味わされたので、そこから自由になる事の方が嬉しかった。家では十三歳になる一人娘のしほりだけが久岡の味方だったけれど、離縁を迫る妻が実家に連れ帰ってしまったので会えなくなり、一人になった久岡は家を出て、柿本町の実家に身を寄せたのだった。
実家で久岡は、ひと月ほどかけてトレーラー・ハウスを設計、柿本町の工務店と一緒に三か月程でそれを完成させた。多少の蓄えがあったから、ハウスに移り住んだ久岡は暫くは充電期間と考えて、アルバイト程度のことのほか仕事はしなかった。いつか造りたい建物の構想を練ったり、近所を散策したり、旅行をしたり、絵をかいたり。友人たちは、彼のことを四十歳半ばにして早くもリタイヤー生活に入ったか、優雅なものだ、などと噂し合った。実家の両親は畑仕事で生計を立てていて裕福ではなかったが、そんな息子を温かく見守ってくれた。
久岡の「自適の生活」とはざっとこのような背景を持っていた。それはそれとして、芝山から打診された奥宮づくりの進捗管理を彼が請け負おうと思ったのは、第一に、エネルギー設備と伝統建築の違いはあるけれど、久岡にとってはそれほど難しい仕事とは思われなかったこと、第二に、柿本町で毎日有水山系の山々を見ながら育った男にとって、有前山の頂に神社の奥宮をつくること自体、魅力的なプロジェクトだと思えたからであった。
久岡のトレーラー・ハウスは長さ12メートル、焼き杉板の壁と片流れの屋根だけのシンプルなもの。ハウスの南側中央ガラス扉を入ると、左手北側にキッチン、南側に備え付けのテーブルと大きな窓、北側中央に寝室のロフトへ上がる階段、寝室はキッチンの上にあった。右手が居間スペース、ソファーと本棚、小さな暖炉、東の窓の下には仕事用の机が据えてある。キッチンのむこうには洗面所とシャワー、トイレ(コンポスト型)があった。電気は太陽光パネルと充電バッテリーで賄い、水は畑に引かれた水道からもらっている。南側の戸外にデッキを作ろうと考えてはいたが、いつまで此処にいるか分からないのでまだ手を付けていない。ハウスの東側に小体な花壇を造った。久岡の楽しみの一つは、美恵との約束で月に一度娘のしほりが訪ねて来ることだった。祝日の今日火曜日がその日で、もうすぐ彼女がやって来る。朝淹れた珈琲をテーブルで飲みながら、久岡はぼんやりと外を眺めて娘を待っていた。
「こんにちは、お父さん」しほりが手を振りながら畑の向こうからやって来た。季節は春、天気は良好。久岡は入口の扉を開いていつも通り「よお、元気かい」と答えながらしほりをなかへ招き入れた。久岡が決めた今日の二人の予定は、昨日のBBKでの話を受け、山頂の視察を兼ねて有前山へのハイキング、実家への挨拶、そのあとハウスに戻ってゆっくりあれこれ語り合うというもの。実家には昼頃に着く予定で、母親からランチを用意しているからとの連絡があった。
(つづく)