1.相談事
桑富市有前町に参道公園が出来てから三年が経ったある日、公園づくりに奔走した芝山輝夫(キーオ)は、旧知の遂慧(すいけい)和尚に呼ばれて、有前山北裾の池の畔にある桜岩寺を訪れた。どういう用事か分からなかったけれど、休日だったし他に予定もなかったので、芝山は二つ返事で寺までやって来た。春の日差しが心地良い午後のことである。
芝山が最初にこの寺を訪れたのは参道公園が完成してすぐ、開園式に法事で来られなかった遂慧への挨拶のためだった。遂慧は、踏切で分断された参道を繋ぐ件で芝山に貴重な知恵を授けてくれた。今回弟子の叡慧(えいけい)に招じ入れられたのは、その時と同じ部屋だった。和室ながら応接用に低い椅子がテーブルを挟んで向かい合わせに設えてある。奥の床の間の壁に虎の画の掛け軸がかかり、床には季節の花が活けてあった。和尚を待つ間、芝山は手前の椅子に座り、懐かしく思いながらガラス戸の先の庭と、その向こうに広がる池を眺めた。
しばらくして、黒い袈裟姿の遂慧和尚が部屋に入ってきた。「やあやあ、よく来てくれたな」そう言いながら和尚は奥の椅子に腰を下ろした。八十を過ぎているが相変わらず矍鑠としている。
「こちらこそご無沙汰しております」芝山は立ち上がって頭を下げた。
「いやいや、堅苦しい挨拶は抜きにして。それにしても公園が出来てから町に活気が出てきたようで良かった」
「そうですね。先日の屋台村も大盛況でした」
「公園で去年から始まったイベントだな」
「商店街の人たちが有前神社の祭りに併せて開催しています。僕も手伝いましたがすごい人で。でも、町に活気が戻ってきたのは参道公園が出来たせいばかりではありません。有前川緑道が完成したことも大きいです」有前川は桑富市を北西から東南へ流れる一級河川である。「川岸が整備されたことで有前町を訪れるサイクリストやハイカーが増えました」
「有前川緑道は二年前の市長選挙で三選された谷沢市長の公約だったな」
「市長には参道公園の開設にも力になってもらいました」
「儂も保育園に行くときなどよくその緑道を利用させてもらっている。ところで今日来てもらった話じゃが、きみも有前山の山頂に有前神社の奥宮として社殿をつくる話が進んでいるのは知っておるだろう」
「聞いています。いま小さな祠が建っているところですね。社殿が出来たらお参りに行こうとみんなで話していました。でもいつ出来るのかまでは聞いていませんでした」
「前田宮司が三年前から検討してくれていたんだが、今年に入ってようやく実現できそうな話になって来た。資金手当てや手続きの目途がたってきたということで。市長さんも乗り気で山頂の土地の無償貸与と周辺の整備を予算に組み入れてくれた」
「素晴らしい!」
「でも、一つ問題が発生した。昔から神社の面倒を見てきた宮大工の棟梁が先日病気で倒れてしまったんじゃ。奥宮の設計図やなにかはほぼ出来ているんじゃが、若い大工たちだけでは資材業者との折衝や予算管理など工事の全体を統括することができない。代わりを探しておるのだが、なかなか見つからないということで儂に相談がきた。つい先週のことじゃ」
「それは大変ですね」
「儂も四方探しておるが、急にといわれても知り合いの大工はみな手いっぱいでできそうにない。そこで相談なのだが、きみは町の住人や有前商店街の連中に顔が広い。工事の全体を統括できるような大工に知り合いはおらんかね、まあダメ元で尋ねとるんじゃが」
「建築家なら工事の仕切りを出来るような人を一人知っています」しばらく考えてから芝山が答えた。「でも彼は工場の建設が専門だから、神社となるといろいろと勝手が違うんじゃないかな」
「設計図は大体できているというから、工事の進捗管理だけなら畑が違ってもいけるんじゃないか」遂慧は椅子から身を乗り出していった。
「彼に聞いてみますね、出来るかどうか」
「出来るかどうかと、暇があるかということ、それと報酬があまり出せないことも伝えておくれ」
「わかりました」芝山が了承すると、遂慧はしばし安心した様子で、有前山山頂にある今の祠について話し始めた。
「きみも知っていると思うが、あれはもともと有前神社の奥宮だった。それが、江戸時代冨士講が盛んだった頃、富士山が望めるということで浅間大社の下宮として祭られるようになった。しかし明治の廃仏毀釈で、面倒を見ていた柿本町のお寺さんが潰れて、放置されたままになってしまった。その後儂のところが周囲を掃除するようにしておるから、いまはなんとか祠だとわかるようはなっておるが」
「以前山頂へ登った時お参りしましたが、脇に『浅間大社下宮有前山神社』という古い由緒書きがありました」
「あれは倒れて葉に埋もれていたのを儂どもが起こしておいたんじゃよ」
「そうだったんですね」
「しかし、今のままじゃ周辺に草木が生い茂って暗いし、第一浅間大社の下宮なのに、木の枝が邪魔して肝心の富士山が見えやない」
「そうですね」
「なんとかならんかと思案していたところ、きみの参道公園ができた。そこでこれを機に、あそこをもういちど有前神社の奥宮として復活できないか、そして小さな祠をグレードアップして社殿に作り替えられないか、小さいものでいいから、と前田宮司に相談しておったのじゃよ」
「そんな経緯があったのですね。公園が出来たこと、参道が繋がったことで、町の活性化の輪が広がっていくのを実感します。池に投げた石が波紋を広げるように」
「そう、形のあるものをつなぐと、形のないことのつながりがみえてくる」遂慧和尚がそう言った。
弟子の叡慧が茶と菓子を運んできてくれた。三人でしばし世間話をしたあと、芝山は建築家に今回の件を話すことを遂慧に再度約束し、池畔の桜岩寺を後にした。
(つづく)