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■オリジナル作品:「百花深処 II」(目次

「百花深処」 <宿命の完成>

 ここのところ、『文明としての徳川日本』芳賀徹著(筑摩選書)や『俵屋宗達』古田亮著(平凡社新書)などで江戸時代の文化的達成を辿り返しているのだが、宗達繋がりで、本阿弥光悦・俵屋宗達・角倉素庵、三つの<声>によって「嵯峨本」作成前後を描いた『嵯峨野明月記』辻邦生著(中公文庫)を読んだ。その中に<宿命の完成>という言葉があったので紹介したい。その前に、本の内容についてカバー裏表紙の紹介文を引用しておこう。

(引用開始)

<嵯峨本>は、開版者角倉素庵の創意により、琳派の能書家本阿弥光悦と名高い絵師俵屋宗達の工夫が凝らされた、わが国の書簡史上燦然と輝く豪華本である。
十七世紀、豊臣氏の壊滅から徳川幕府が政権をかためる慶長・元和の時代。変転きわまりない戦国の世の対極として、永遠の美を求めて<嵯峨本>作成にかけた光悦・宗達・素庵の献身と情熱と執念。芸術の永遠性を描く、壮大な歴史長編

(引用終了)

 光悦・宗達・素庵という三つの<声>が織りなす三重奏の差異を聞き分けながら、各々が担う<宿命>のかたちを読むという寸法でこの本は進む。戦国の混乱と暗黒の土壌から生まれた不易の花「嵯峨本」が作られるのは、三人の宿命が交差する一時期(慶長年間後半)のこと。<宿命の完成>という言葉は、本が終るあたりに、

(引用開始)

まさしくこの生は太虚にはじまり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命をとり戻すのだ。(中略)私は太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにあって、その宿命を完成させる以外にどんな仕事が残されていようか。

(引用終了)
<同書 431ページ>

と、光悦の声として記されている。

 「人には各々の宿命を完成させる以外にどのような仕事があるのか」という言葉は、今の世でも、人生の意味として的を射ていると思う。人は誰も、

@ 親
A 脳と身体
B 時と場所

を持って生まれてくる。@には兄弟や親族、家業などが連なり、Aには親からの遺伝的要素があり、Bには共同体(市町村や国家)や言語(母語)が付随する。Bを地球という枠にまで広げて考えれば共同体は人類ということになる。

 この三つが人の育つ環境を差配しつつ、Aの発育、発達の仕方によってその人の一生が決まってくる。人は自分の為に生まれてくるのではなく、@の期待を担い(多くの場合)、Aの限界を抱えつつ、Bに何らかの貢献をなして死んでゆく。<宿命>とはその環境と過程を指し、<完成>とはその貢献の最大限界値を指すと考える。人の志(こころざし)とは<宿命の完成>の行路を自覚することと言えるだろう。

 光悦のいう「太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにある自分」とは例えばどのようなものか。

(引用開始)

今日、窓の外をそよぐ風は、千万年生きても二度と私を吹いてくれることのない風である。私のうえに降りそそぐ滑らかな六月の日の光、青葉の色、澄んだ空気、静かにたぎる湯の音――こうしたものは、今日あって、明日はもう消えはてて存在することはできないのだ。私は東尋坊のたてる茶を前にして、すべてのものが深い虚無へ音もなく滑り落ちてゆく、どうすることもできぬこの空無感と、それゆえに、いっそう息づまるように身近に感じられる雲や風や青葉の光や影などの濃密な存在感とに、自分の身体が奇妙に震撼されるのを感じた。(中略)私は眼をあげて庭を見、木立を見、木立の奥の築地塀を見、そのうえに拡がる洛外の空を見た。それは、刻々にすぎさっているゆえに、私の眼には、異様に美しいものと映った。それは何の変哲もない庭の草であり、土の色であり、木立であった。だが、そうした草が、土の色が、湿りが、物の影が、そこにあるということがすでの私の驚きであった。(中略)また、人々が刀剣を磨礪したり、夜ふけの窓の外を酔った男が二、三人で話を躱し、高笑いをしたり、井戸端で若い女が物を洗ったりするのを見聞きするするときなどにも、不思議な愛着に染められた陶酔感を味わったのである。こうした日々の感銘は、当然、そのころ私が精魂をこめていた書法のなかに影を落としていたはずである。なぜなら私は私で、以前よりもいっそう明確な自覚のもとに、書家としての道を歩こうと決意していたからだ。

(引用終了)
<同書 211−214ページ>

光悦は書・陶芸・漆芸・能楽・茶の湯などの活動でその名を残した。

 本の解説者菅野昭正氏は次のように書く。

(引用開始)

騒然たる戦乱の世から平和へ向かう時代に生まれた《嵯峨本》の背景に、あるいはそんな時代の中で《嵯峨本》を刊行した三人の協力者の宿命の向こう側に、作者はおそらく現代を見ている。すべてがあわただしく変転する現代の「太虚」のなかで、空無の脅威をどんなふうに乗りこえるか、どこでどのように生の充実へ向かう手がかりをつかむか、作者はそういう問いを推進力としてこの小説を書いたにちがいない。

(引用終了)
<同書 439−440ページ>

 『嵯峨野明月記』は第一部と第二部とに分かれている。没後20年を記念して企画・出版された『辻邦生永遠のアルカディアへ』学習院大学史料館編(中央公論新社、2019年)によると、第一部は1968年9月雑誌「新潮」に掲載され、第二部は同誌に1971年3月から6月まで連載、単行本は同年に新潮社から出版された。
「百花深処」 <宿命の完成>(2023年12月21日公開) |目次コメント(0)

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