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■オリジナル作品:「百花深処 II」(目次

「百花深処」 <ヘニング・マンケルを読む>

 65歳でリタイヤしてから、ミステリーを多く読むようになった。海外の作品ではとくに(前回<『ミレニアム』について>で書いたミレニアム・シリーズもそうだが)北欧ものが好きだ。今回紹介するヘニング・マンケル(1948-2015)も、北欧スウェーデンのミステリー作家で、刑事クルト・ヴァランダーを主人公にしたシリーズもので知られている。同シリーズは全12冊、タイトル及びスウェーデン語版の発刊年は以下の通り。

『殺人者の顔』(1991年)
『リガの犬たち』(1992年)
『白い雌ライオン』(1993年)
『笑う男』(1994年)
『目くらましの道』(1995年)
『五番目の女』(1996年)
『背後の足音』(1997年)
『ファイアーウォール』(1998年)
『ピラミッド』(1999年)
『霜の降りる前に』(2002年)
『苦悩する男』(2009年)
『手/ヴァランダーの世界』(2004/2013年)

オリジナルから数年遅れで東京創元社から日本語版(柳沢由美子訳)が出ており、その後すべてが文庫(創元推理文庫)になっている。私は2020年に文庫で1作目『殺人者の顔』を読み、その後時系列に沿って12作目までを読んだ。

 主人公のクルト・ヴァランダーはちょっと草臥れた人間味ある刑事で、スコーネ地方にあるイースタという町の警察署に勤務している。事件は人種差別、バルト海を挟んだ国境問題、アフリカの内戦、私有財産に関する犯罪、外国からの不法侵入、コンピュータ関連の事件などで、作品は『ミレニアム』同様「後期近代」の諸相が網羅された社会派ミステリーだ。イースタ署の他の面々も魅力的。『霜の降りる前に』からは同じ警察官になった娘リンダも活躍する。

 マンケルは1970年代にアフリカ・モザンビークの首都マプートに居を構え、その後二十年ほど、スウェーデンとアフリカを行き来しながら、マプートの劇場アヴェニーダで脚本家、舞台監督、劇場支配人として活躍していた人で、ミステリー以外に児童文学や社会小説なども書いている。だからミステリー作家というより、作家、舞台監督、劇作家とした方が正確かもしれない。2006年に彼は『イタリアン・シューズ』という小説を発表する。

 同作品は、日本で2019年に単行本(東京創元社、柳沢由美子訳)が出版され、去年(2022)の秋、文庫(創元推理文庫)が出た。ヴァランダー・シリーズを読み終えていた私はさっそく購読した。冒頭の紹介文を引用したい。

(引用開始)

かつて犯した医療事故が原因で、人目を避けるようにしてひとり離れ小島に住む元医師フレドリック・ヴェリーン。ある日そんな彼のもとに、37年前に捨てた恋人ハリエットがやってくる。治らぬ病に冒された彼女は、白夜の空の下森の中に黒く浮かぶ湖に連れて行くという、昔の約束を果たすように求めに来たのだ。かつての恋人の願いをかなえるべく、フレドリックは彼女と一緒に島を出発する。だがその旅は彼の人生を思いがけない方向に導いていくことに……。〈刑事ヴァランダー・シリーズ〉の著者が描く、孤独な男の贖罪と再生、そして希望の物語。

(引用終了)

元医師フレドリック・ヴェリーンは、刑事ヴァランダーとは違うマンケルのもう一人の分身のようで、その複雑な内面に、同世代の男性として甚(いた)く共感を覚えた。小説はフレドリックの独白形式で展開する。だから主人公により感情移入しやすい。

 マンケルは2015年の秋に癌で死去した。罹患の告知を受けたのは2014年初頭というから、『イタリアン・シューズ』を発表した時点で彼はそうなることを知らなかったわけだが、日本語訳を読む我々はむろんそのことを知っていて、そのことがなおさら孤独な主人公をマンケルの分身と思わせる。

 そのことは、2016年に日本語訳が出た彼の闘病記『流砂』ヘニング・マンケル著(東京創元社、柳本由美子訳)を読むと一層強く感じられる。同書は、彼が罹患を知ってから六か月の間に書き書き綴ったエッセイで、珠玉の67篇は彼の年齢と同じ数の章からなっている(本国での発表はその年の初夏)。私はこの作品を『イタリアン・シューズ』購読後に入手して読んだ。本のカバー表紙裏の紹介文には、

(引用開始)

これが私の生きる条件を変えた十日間の真実である。流砂は地獄への穴だが、私はなんとかそれに嵌(はま)らなくて済んだ。
がんの告知を受けた北欧ミステリの帝王マンケルは何を思い、押し寄せる絶望といかに闘ったのか。遥かな昔に人類が生まれてから今日まで、我々は何を受け継ぎ、そして遠い未来の人々に何を残すのか。

(引用終了)

とある。

 『イタリアン・シューズ』を読み終えてから「訳者あとがき」に目を通すと、2023年の春、同書の続編が(同じ柳沢さんの訳で)発売される予定とあった。『スウェーディッシュ・ブーツ』ヘニング・マンケル著(東京創元社、柳沢由美子訳、2023年4月)。本国ではマンケルが死去した年(2015)の春に出版された。罹患を知った後の作品。私は日本語版発売の日に近くの書店で買い求め、感慨深く読んだ。

 『スウェーディッシュ・ブーツ』は、フレドリック・ヴェリーンの住む離れ小島の家が燃えてしまうところから始まる。前作同様フレドリックの独白形式。本のカバー表紙裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

小島に一人で暮らす元医師フレドリックは、就寝中の火事で住む家も家財道具もすべて失った。その後警察の調べで火事の原因が放火であったことが判明、フレドリックは保険金目当ての自作自演だと疑いをかけられてしまう。ところが、火事はそれだけではおさまらなかった。付近の群島の家々が続けて放火されたのだ……。幸い死者は出ていない。犯人の目的はどこにあるのか?

(引用終了)

地方新聞の記者リサ・モディーンとの出会い、港の店の店主やフレドリックの車の駐車場の持ち主の死、娘ルイースの妊娠、パリへの旅、などがフレドリックの視点で淡々と語られる。小説の最後、放火犯人は意外な人物であることが判明するが、小島の家は保険で建て直され、フレドリックがその家へ向かって歩み出すところで物語は終わる。ポジティブなラストは、死を前にした作家の渾身の思いと言えるだろう。

 スウェーデンの初老の男の話に、何故日本人の私がこれほど共感を覚えるのか。それは、「後期近代」の諸相を共有する同世代作家との連帯意識に起因すると思う。社会派ミステリーから「孤独な男の贖罪と再生、そして希望の物語」へ、さらに闘病記。マンケルはこれらの作品で、今という時代と人の心を見事に描いた。残った我々は、マンケルの思いを継いで、次の時代への希望を紡ぎ出さなければならない。

 以上でヘニング・マンケルの紹介を終えるが、『流砂』の心に残る文章等について、Twitter(Motegi San@sanmotegi)の方でもtweetしてきたので併せてお読みいただけると嬉しい。
「百花深処」 <ヘニング・マンケルを読む>(2023年06月21日公開) |目次コメント(0)

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