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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <古代史の骨格>

 古代史の本は色々とあるが、元国土交通省湾岸技術研究所部長・長野正孝氏の三冊の本(PHP新書)、

『古代史の謎は「海路」で解ける』(1/30/2015初版)
『古代史の謎は「鉄」で解ける』(10/30/2015初版)
『古代の技術を知れば、『日本書紀』の謎が解ける』(10/27/2017初版)

は、これまでの常識にとらわれない実務家目線の内容でとても興味深い。

 同書(三冊)のエッセンスの幾つかは、

●二世紀の倭国大乱とは、半島から押し寄せた大量難民による社会変革をいう。
●倭国大乱の後、倭人とは別の遊牧民族系の交易路が日本海にできていた。
●卑弥呼は、海峡を渡る指導力を備えた巫女ではなかったか。
●四世紀末から五世紀の頭、初めて瀬戸内海航路が開通した。
●巨大古墳とは、治水・灌漑・交易を考えた公設市場であった。

といったもので、正史『日本書紀』とは大きく異なる見解となっている。

 これまで、この「百花深処」やブログ『夜間飛行』でその内容に触れてきたが、全体を分かり易く把握するために、以下、氏の知見を編年体に纏めてみた。

〇弥生中期前半(400BC〜200BC)
<燕から列島に鉄が渡来し始めた時代>

燕が朝鮮半島周辺を治めている時代、朝鮮半島で鉄が作られ始め、倭人(半島南部と九州、日本海沿岸の海洋民族)の手によって、列島に鉄器が流れ始めた。彼らは丸木舟で対馬海峡(九州北岸−壱岐−対島−半島南岸)を渡った。列島には倭人の他、狩猟民族としての縄文人、農耕民族としての弥生人がそれぞれ居住していた。

〇弥生中期中葉(200BC〜100BC)
<半島に漢の楽浪郡ができ、倭人の定期的な鉄の国内交易が始まる時代>

倭人は、列島各地から勾玉、翡翠、黒曜石を集め、九州で船団を組み、対馬海峡を横断、交易により定期的に半島から様々な鉄器を持ち帰った。

〇弥生中期後半(100BC〜100AC)
<前漢が滅び、新の時代を経て後漢ができる時代>

この時代、船は刳り船から縫合船(準構造船)へと進化。倭人の拠点が豊岡に出来、そこから彼らは大船団を組んで渡航、半島から鉄鋌(てつてい)を持ち帰った。鉄鋌は列島内で鉄器として加工された(鍛造と鋳鉄が行われた)。

〇弥生後期前半(100AC〜200AC)
<高句麗が半島を南下、「倭国大乱」が起きた時代>

高句麗が半島を南下し楽浪郡を侵略、大量の鉄が北や東に馬の背で運ばれた。高句麗の侵略で、夫余(ふよ)、東沃沮(よくそ)、濊(わい)、挹婁(ゆうろう)といった国々から大量の難民が列島に押し寄せ、社会変革が起きた。これを漢人は「倭国大乱」と捉えた。難民は、サハリンから南下するリマン海流と、対馬海峡から日本列島沿いを北上する対馬海流とを掴み、列島日本海側沿岸各地に辿り着いた。渡航には筏や丸木舟を平行に複数結わいた幅広の舟が使われた。 

〇弥生後期後半(200AC〜350AC)
<卑弥呼の時代>

半島南部で鉄生産始まった。魏の支配が半島に及び、倭人の国々(丹後や出雲、敦賀など)は、魏に半島での交易を認めてもらうために、洛陽まで使者(難升米)を送った。卑弥呼(場所は丹後か)は、天気を占い、船を選び、組織で「海峡を渡る」指導力を備えた巫女ではなかったか。

〇古墳時代前期(250AC〜400AC)

「倭国大乱」で大型の準構造船(木材を棚のように組んで波除板を設けた、幅広の少し大型の外航船)の技術が列島に齎された。これで半島東海岸から潮(リマン海流と対馬海流)に乗ってゆっくり流れ着くような航法が一般化し、馬が運ばれるようになった。遊牧民族系の渡来が引き続き、倭人ルートとは異なる、日本海ルートの交易路が新たに開かれた。列島には、

@ 海洋民族としての倭人(九州・日本海沿岸)
A 狩猟民族としての縄文人(東日本)
B 農耕民族としての弥生人(西日本)
C 北方アジア由来の遊牧民族(信州・関東)

が揃うこととなった(括弧内は主な居住地)。

〇古墳時代中期(400AC〜500AC)
<倭の五王の時代>

倭の王(場所は出雲か)は、半島での交易路を確保するために高句麗と戦い、歴代中国王朝に朝貢した。航海には帆船が用いられるようになった。戦の敗退と共に高句麗系文化が、特に出雲やCの地域に浸透した。この時代初頭、瀬戸内海航路が開通し、伽耶と百済の救済(難民受け入れ)が行われた。

〇古墳時代後期(500AC〜650AC)

瀬戸内海を交易船や軍隊が通るようになった。列島でも製鉄が出来るようになった。近畿水回廊(敦賀‐琵琶湖‐大坂)も整備された。ヤマトの地に各民族による共同都市(都)が形成された。水路が四通し、治水、灌漑、交易を考えた巨大公設市場(巨大古墳)が各地に作られるようになった。

 以上だが、@が活躍する時代から、Cが列島に地歩を固めた時代、ヤマトに都が形成されるまでの画期が、船と航路、鉄と交易、戦いと難民・移民の動きと併せて、分かり易く追えるようになったのではないだろうか。
「百花深処」 <古代史の骨格>(2020年07月20日公開) |目次コメント(0)

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