『渋沢栄一(上)算盤篇』・『渋沢栄一(下)論語篇』鹿島茂著(文春文庫)を読んだ。まず内容について本カバー裏表紙の紹介文と目次(章立てのみ)を引用しよう。
(引用開始)
近代日本の「資本主義」をつくりだした渋沢栄一。彼がその経済思想を学んだのは、ナポレオン3世の統べるフランスからだった。豪農の家に生まれ、尊王攘夷に燃えた彼は、一転、武士として徳川慶喜に仕えることになり、パリ万博へと派遣される。帰国後、維新政府に迎えられるが……。波乱万丈の人生を描く、鹿島茂渾身の評伝。(上)
第一章 渋沢なくして日本の奇跡はなかった
第二章 パリで西洋文明の本質を見抜く
第三章 大蔵官僚として「円」を造る
第四章 日本の資本主義を興す
「どうしたら永く儲けられるのか?」欲望を肯定しつつ、一定の歯止めをかける。――出した答えは、「論語と算盤」だった。大蔵省を退官し、五百を超える事業にかかわり、近代日本経済の礎をつくった渋沢。事業から引退した後半生では、格差社会、福祉問題、諸外国との軋轢(あつれき)など、現代にも通じる社会問題に真っ向から立ち向かう。(下)
第五章 すべては「民」の発展のための
第六章 民間外交でみせた手腕
第七章 「論語」を規範とした倫理観
第八章 近代性に貫かれた家庭人としての渋沢
(引用終了)
著者は、渋沢がフランスで学んだ「人間の人間による搾取にかえて、人間による自然の活用、すなわち生産をもってする」という「サン=シモン主義」を紹介、渋沢の生涯にわたる経済活動が、この思想に基づいたものであることを解明してゆく。本書の良さは、著者が同思想の内容にまで踏み込んだことで、渋沢帰国後の行動がより分かり易くなったことだと思う。サン・シモン主義については、第二章の〔第二十回 サン=シモン主義者の銀行論〕、〔第二十一回 サン=シモン主義の三種の神器「株式会社、銀行、鉄道」〕に詳しい。
この評論では、渋沢を支えたもう一つの思想について考えてみたい。鹿島氏の本を読んで不思議だったのは、あれだけフランスのサン=シモン主義を深く体得し、欧米に知己も多かった渋沢が、なぜキリスト教に帰依しなかったのかということだ。勿論、『論語と算盤』という著書(談話録)を持つ渋沢が規範としたのは論語(儒教)なのだが、それは多分に教義的なものであり、儒教が持つ招魂再生などのエモーショナルな側面は渋沢にはない。彼が唱えるのは経済による個人の自立・救済である。徳川朱子学にも否定的だ。<
宗教・思想基本比較表>では、
<儒教>
「対象」:儒教国
「至高」:天命
「教義」:五経や四書など(日本:論語主体)
「信仰」:教義を守る
「特徴」:政治による集団救済。因果律。時代を経て朱子学や陽明学が出る。
としたが、渋沢には「政治による集団救済」への希求も見られない。ちなみにキリスト教(アウレリウス派)は以下の通り。
<キリスト教(アウレリウス派)>
「対象」:キリスト教徒
「至高」:イエス・キリスト
「教義」:福音書(啓典)
「信仰」:至高を信ずる(カトリック:教会の教義を守る)
「特徴」:個人救済(排他的)。予定説。キリスト教にはアウレリウス派以外にアリウス派やマリア信仰などあり。
この評論で展開している複眼主義の対比は、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
で、宗教においては、A=教義・外面、B=信仰・内面となる。A側は長く漢文的発想が担っていたが、戦国時代以降、漢文的発想と西洋語的発想とは共存、その後長い時間をかけて漢文的発想は英語的発想に置き換わってゆく。複眼主義ではAとBのバランスを大切に考える。
複眼主義に即していえば、渋沢における論語(や算盤)はあくまでA側の思考である。キリスト教であれば、A側は福音書(啓典)、B側はイエス・キリストを信ずることだが、渋沢におけるB側は何によって支えられたのだろうか。
前回<
天道思想について II>の項で、戦国時代の統治に主導的だった天道思想は、徳川時代に入ると、地域社会を統括した百姓たちに受け継がれていったのではないか、と論じた。天道は、
(一)人間の運命をうむをいわさず決定する摂理
(二)神仏を等価とする
(三)世俗道徳の実践を促す
(四)外面よりも内面の倫理こそが天道に通じる
(五)太陽や月をはじめとする天体の運行に存在を実感できる
(六)鎌倉時代には日本人の自家薬籠中のものであった
(七)信仰を内面の問題とし他者への表明は不要
(八)その摂理は人間の理解を超えたものである
といった特徴を持ち、その思想は自然を敬う考え方をベースにしている。「天」のpositioningは、「天体運行・四季循環・災害といった具体的な自然現象」。<宗教・思想基本比較表>では、
<天道思想>
「対象」:天道信者
「至高」:天道(自然現象)
「教義」:神仏儒などの宗教
「信仰」:教義を守る(儒教の教義を守る)
「特徴」:個人救済。因果律。
と纏めた(日本の儒教教義は論語主体)。
この天道思想の内容は、豪農出身でもある渋沢の考え方と、とても親和性があるように見える。彼は内面の倫理を大切にし、人々に世俗道徳の実践を促す。神仏(やキリスト教)に対して寛容である。政治による集団救済ではなく経済活動による個人救済を目指すと共に、努力することで報われるという因果律を肯定する。日本の儒教教義は論語主体だから、渋沢のB側の信仰が、この天道思想によって支えられていたと考えれば、彼が論語に拘ることとも話が合う。
『論語と算盤』渋沢栄一著(角川ソフィア文庫)に、次のような言葉がある。「成敗と運命」の章の終わりの部分。
(引用開始)
とにかく人は誠実に努力黽勉(べんびん)して自ら運命を開拓するが宣い。もしそれで失敗したら、自己の智力が及ばぬためと諦(あきら)め、また成功したら智恵が活用されたとして、成敗に関わらず天命に托(たく)するがよい。かくて敗れても飽くまで勉強するならば、いつかは再び好運に際会する時が来る。人生の行路は様々で、時には善人が悪人に負けたごとくに見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである。ゆえに成敗に関する是非善悪を論ずるよりも、まず誠実に努力すれば、公平無私なる天は、必ずその人に福(さいわい)し、運命を開拓するように仕向けてくれるのである。
道理は天における日月のごとく、終始昭々乎(しょうしょうこ)として豪(ごう)も昧(くら)まざるものであるから、道理に伴って事をなす者は必ず栄え、道理に悖(もと)って事を計る者は必ず亡ぶることと思う。
(引用終了)
<同書 312−313ページ>
ここにある「天命」や「天」は、儒教の「天命」と考えるよりも、天道思想の「天道」(自然現象)と考えた方が妥当ではあるまいか。同じ判断をしているのか、『現代語訳 論語と算盤』渋沢栄一著・守屋淳訳(ちくま新書)ではこの部分、「成敗に関わらず天命に托(たく)するがよい」を「成功したにしろ、失敗したにしろ、お天道さまから下された運命にまかせていればよいのだ」、「公平無私なる天」を「公平無私なお天道さま」と訳している。
同じ『論語と算盤』に、二宮尊徳について触れた箇所がある。神田猿楽町の家へ訪ねてきた西郷隆盛に、二宮尊徳が相馬藩に招かれたときに考えた興国安民法について説明する場面で、
(引用開始)
西郷参議におかせられては、相馬一藩の興国安民法は、大事であるによってぜひ廃絶させぬようにしたいが、国家の興国安民法はこれを講ぜずに、そのままに致しおいても差し支えないとのご所存であるか、承りたい。苟(いやしく)も一国を双肩に荷われて、国政料理の大任に当たらるる参議の御身をもって、国家の小局部なる相馬一藩の興国安民法のためには御奔走あらせらるるが、一国の興国安民法を如何にすべきかについての御賢慮(ごけんりょ)なきは、近頃もってその意を得ぬ次第、本末転倒(ほんまつてんとう)の甚だしきものであると、切論いたすと、西郷公はこれに対し、別に何も言われず、黙々として茅屋を辞して還られてしまった。とにかく、維新の豪傑のうちで、知らざるを知らざるとして、豪も虚飾の無かった人物は西郷公で、実に敬仰(けいぎょう)に堪えぬ次第である。
(引用終了)
<同書 200ページ>
とある。二宮尊徳が遺した興国安民法は、相馬藩繁栄の基盤となった財政や産業についての方策であり、渋沢はこれを高く評価している。<天道思想について II>の最後に述べたように、農家の長男・二宮尊徳の考え方は、天道思想と整合的である。ここにも渋沢の同思想への近接が見て取れる。
いかがだろう、渋沢栄一と天道思想の組み合わせについて、これまで論じた人はいないかもしれないが、この線で考えると、昨今渋沢を評価する人が増える中、現代社会における天道思想の可能性が見えてくるように思う。研究を続けたい。