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■オリジナル作品:「百花深処 I」(目次

「百花深処」 <天道思想について II>

 以前<天道思想について>の項で、戦国時代の統治に主導的だった天道思想についてその特徴を纏めたが、徳川時代に入りこの思想が誰にどう引き継がれたのかを考えてみたい。天道は、

(一)人間の運命をうむをいわさず決定する摂理
(二)神仏を等価とする
(三)世俗道徳の実践を促す
(四)外面よりも内面の倫理こそが天道に通じる
(五)太陽や月をはじめとする天体の運行に存在を実感できる
(六)鎌倉時代には日本人の自家薬籠中のものであった
(七)信仰を内面の問題とし他者への表明は不要
(八)その摂理は人間の理解を超えたものである

といった特徴を持ち、その思想は自然を敬う考え方をベースにしている。「天」のpositioningは、「天体運行・四季循環・災害といった具体的な自然現象」。<宗教・思想基本比較表>では、

<天道思想>
「対象」:天道信者
「至高」:天道(自然現象)
「教義」:神仏儒などの宗教
「信仰」:教義を守る(儒教の教義を守る)
「特徴」:個人救済。因果律。

と纏めた(日本の儒教教義は論語主体)。

 <百姓の家(イエ)の成立>や『夜間飛行』「江戸時代の土地所有」の項で参照した『百姓の力』渡辺尚志著(角川ソフィア文庫)に、入会地を巡る話で「人と自然の共生システム」という言葉が出てくる。

(引用開始)

 耕地・屋敷地・山野・川(用水)・道・橋などは、いずれも村人たちの生活に不可欠なものでした。それら全体が村の領域として、村の統一的管理下にあったのです。地種・地目の違いにかかわらず村の領域内の土地は、いずれも村の共同所有地という性格を持っていました。村は、領域内の土地利用を全体としてコントロールすることにより、持続的な農業生産と資源・環境の保護、生態系の維持を実現していたというわけです。村人たちの知恵によって生まれた、「人と自然との共生システム」だといえるでしょう。

(引用終了)
<同書 100ページ>

具体的な言及ではないが、村人たちの自然を敬う知恵は、「天体運行・四季循環・災害といった具体的な自然現象」を大切に考える天道思想と重なる。

 戦国の世から信長、秀吉、家康と時代が移ると、統治思想は信長の、

<預治思想>
「対象」:日本国
「至高」:天命
「教義」:天下布武(未完成)
「信仰」:教義を守る
「特徴」:政治による集団救済。因果律。

家康の、

<徳川朱子学>
「対象」:日本国
「至高」:天皇
「教義」:神仏儒などの宗教
「信仰」:教義を守る(儒教の教義を守る)
「特徴」:政治による集団救済。因果律。

と変遷してゆき、「至高」を自然現象に置く天道思想は、統治の現場から姿を消す。しかしそれは、戦国武士が去った後の地域社会を統括した百姓たちの間に、「人と自然との共生システム」のベースとして、脈々と受け継がれていったのではないだろうか。

 <安藤昌益と三浦梅岩>の項でみた農家の長男・二宮尊徳の “自然の理法を知り、それに従いそれを生かしながら、そこに人間の経験的な知恵を働かせ、「作為」(労働)を加えることで「人道」がはじめて成立する”という考え方も、天道思想と整合的である。
「百花深処」 <天道思想について II>(2019年07月24日公開) |目次コメント(0)

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