このシリーズ、これまで平岡公威(ペンネーム・三島由紀夫)の性的嗜好にはあまり触れてこなかった。<
平岡公威の冒険 3>で、『仮面の告白』に始まる彼のクロスジェンダー的表現について、<
平岡公威の冒険 9>で、性倒錯者としての「三島由紀夫」という仮面・鎧について、各々論じたけれど、平岡のプライベートな性的嗜好そのものを俎上に載せることはなかった。
最近『三島由紀夫――剣と寒紅』福島次郎(文藝春秋)を再読し、平岡の性的嗜好についてある論点を得た。そのことを書いてみたい。まずは同書から引用する。昭和41年(1966)の夏、九州熊本で著者が平岡とベッドを共にしたあとのこと。
(引用開始)
あとで気づいたことだが、たしかに三島さんのセックスの形は、昔とは違っていた。上からおおいかぶさってきて、ただ、ひたすら掘削作業を行って終わっていった、十五年前の二十六歳の青年とは異なり、体は見違えるように灼けて、逞しく男臭くなっているのに、首は、母親から抱き上げられる前の乳のみみ子のようにのけぞり、眼はとじたまま、くねってゆさぶらせる背は、敷布から離れることもなかった。
もっとも、これは、インポ状態の私には、好都合の体勢であった。精一ぱいの奉仕ごころ(こんな先生の肉体にめぐりあえて幸せですという思い)がじかに伝わるようなやり方で、汗もしとどに勤められたのだから。
ただ、あの青年時代と異なった仰向けの姿勢――あれは、三島さんは、性的にも受身を演じたかったのではという気がする。私のものが役に立たないと初めからわかっていても、三島さんのかくれた性的経験から、習慣的に、そのポーズをとらせたのではと思うのだ。世にいう「ドンデンが来た」という奴である。
ひょっとしたら、そのドンデンがおきた頃から、三島さんは、外むきに「ますらおの道」にめざめはじめたのではないだろうか。性的に受身になればなるほど、剣を雄々しくにぎり、そういう時代でもないのに、軍帽、軍服で、身を鎧ってゆきたいと思ったのではないか。いや鎧ってゆかなければ、身の矜持が保たれないという、強迫観念のようなものが作動していたのでは、などといまになって改めて思うのだが、あの当座では、自分の脳に、精一ぱい白い紗をかけてやっているわけだから、三島さんさえことが終れば、勤めが終ったという感じでほっとしたものだった。
(引用終了)
<同書 181−182ページ(フリガナ省略)>
この本は「小説」となっており、内容的にも本人不在の一方的な証言ではあるからどこまで本当かわからないが、ここではこの通りだったとして先に進みたい。
これによると、平岡は性倒錯者(ホモセクシャル)としての一面を持っていたが、三島由紀夫というフィクション・キャラクターが男性的な肉体美を誇る「男役」(男性性)だとすれば、平岡の本性の方は、男に対して体をくねらせて喜ぶ「女役」(女性性)だった。著者によると、二十六歳の頃の平岡は違ったというが、平岡は子供のころから祖母に深窓で女の子のように育てられたわけだから、女性性は幼い時から彼のキャラクターに深く根を下ろしていたと推測できる。別の場面をふたたび同書から引用したい。九州熊本から帰る日のホテルでのこと。
(引用開始)
私がバスルームから出てきた時は、三島さんは、毛布もつけず、素裸のまま、眼を閉じて仰向けにねていたが、その恰好は、子犬が人の愛撫をうけるとき、腹を上にし、四肢を可愛く曲げる、あの姿勢を連想させた。股間のものも大人しく垂れて――それは性的なものではなく――相手は私でなくてもいいから――ともかく、自分の裸形を、いとしく眺められ、さわられ、いじられ、抱きしめられたい、という深い願望のポーズのような気がした。
ただ、その時は、私の方に(三島さんの肉体はどうしても愛せない)という、すまなさと、インポテンツというコンプレックスがあるがゆえに、逆に、性的に尽くすべきだという思い込みで立ち向かっていったわけだが、三島さんもそれに応じて、性的気配になりかかったものの、汽車の出発時間とか、帰京直後に山積みになっている仕事を急に思い出したような口吻で、三島さんの方から途中でやめてしまったのだ。
三島さんのあの甘えた一連のポーズを思い返す時、自分の身をまかせるべき母性の掌を求めていたのではないか、という気もした。わがままな祖母の専制的支配下で、幼児期から、ご機嫌とり役をさせられていた三島さんは、母親の腕の中で、慈しみ深くその眼で眺められ、その掌で抱かれたという幼い記憶に欠けているのではなかったろうか。三島さんが、必死に体を鍛え上げた理由は、自己の望む男らしい男になりたかったからだろうが、その望みがかない、充足したあとも、なお、あんなに裸を人に見せたがった心理の真相には、自分の素裸を、愛のある眼で見られた頻度が少ない、というより、無いに等しかった生い立ちの枯渇感を本能的にとりもどそうとする気持があったのではないだろうか。当たり前の幼児期でなかったので、成人して、あらゆる方面に自信がついたあとで、その未消化だったみどり児の頃の怨念の駄々捏ねが、むきだしにあらわれてきたのか、という気がふとしたのも、ずっとあとのことである。
(引用終了)
<同書 229−230ページ(フリガナ省略)>
平岡の性的嗜好の原点に女性的な甘える心根があったことがわかる。つまり、生物学的な性別は男性でありながら、ジェンダー(社会的・心理的性別)としては、幼少期から強く「女性性」を持っていた。「女性性」が彼の出自だった。そう仮定して話を先へ進めてみたい。
この評論では、<
出自と志向>の項などで、
男性性:「所有原理」「空間原理」
女性性:「関係原理」「時間原理」
という複眼主義の認識・欲望形式をベースに、「人は自分と反対(もしくは同じ)性性を求める」という、「出自」と「志向」の分析を行ってきた。
「出自」:その人がもともと持っている認識と欲望の形式
「志向」:その人が追及する認識と欲望の形式
「出自」→「志向」
女性性 → 男性性
<ヤンキー文化=女性原理のもとでの追及される男性性。バッドセンスな装いや美学のもと、アゲアゲのノリと気合でなんとかしようとする>
男性性 → 女性性
<オタク文化=男性原理のもとで追及される女性性。深いが狭く、細部にばかりこだわる不器用な性格を持つ>
男性性 → 男性性
<マッチョ文化=男性原理のもとで追及される男性性。豪放磊落でアバウトだが責任感は強い>
女性性 → 女性性
<フェミニン文化=女性原理のもとで追及される女性性。愛情深く共感力が強い>
さらに、ブログ『夜間飛行』「
ヤンキーとオタク II」の項で、
(引用開始)
建築家や経営者など、集団を束ねる仕事の人や、作家や役者など、仕事で個性を際立たせたい人は、自分の出自とは反対の性性を自家薬籠中の物とした上で、意図的にヤンキー、あるいはオタク的キャラクターを演じようとする場合がある。キャラを際立たせることで仕事がやり易くなるからだ。前者にはヤンキー的な人が多く、後者にはオタク的な人が多いのではないか(勿論その逆もあるだろう)。
(引用終了)
と書き、
「出自」→「ひねり」→「志向」
男性性 → 女性性 → 男性性
<ひねりヤンキー=個性を際立たせるために意図的にヤンキーを装う>
女性性 → 男性性 → 女性性
<ひねりオタク=個性を際立たせるために意図的にオタクを装う>
女性性 → 男性性 → 男性性
<ひねりマッチョ=個性を際立たせるために意図的にマッチョを装う>
男性性 → 女性性 → 女性性
<ひねりフェミニン=個性を際立たせるために意図的にフェミニンを装う>
という構図もみた。
出自に女性性を持ち、「ひねり」も自家薬籠中の物としたであろう平岡の場合、率直な志向としては、
「出自」→「志向」
@ 女性性 → 男性性
<ヤンキー文化=女性原理のもとでの追及される男性性。バッドセンスな装いや美学のもと、アゲアゲのノリと気合でなんとかしようとする>
A 女性性 → 女性性
<フェミニン文化=女性原理のもとで追及される女性性。愛情深く共感力が強い>
「ひねり」を加えたところで、
「出自」→「ひねり」→「志向」
B 女性性 → 男性性 → 女性性
<ひねりオタク=個性を際立たせるために意図的にオタクを装う。深いが狭く、細部にばかりこだわる不器用な性格を持つ>
C 女性性 → 男性性 → 男性性
<ひねりマッチョ=個性を際立たせるために意図的にマッチョを装う。豪放磊落でアバウトだが責任感は強い>
という四つの「認識と欲望の形式」を追求することができたと考えられる。<平岡公威の冒険 3>で、晩年彼が自分のことを様々な美意識の「ごった煮」だと称していたことを記し、それは反重力的美学系(高揚感/野卑/華やかさ/魔的なもの)の意識すべてを揃え持っているからだと推論したが、ごった煮感は「認識と欲望の形式」を四つも併せ持っていたからとも言えるだろう(ヤンキー/フェミニン/ひねりオタク/ひねりマッチョ)。それでは、平岡はこの四つを自らの人生、創作活動の中でどのように使いこなしていったかを考えてみたい。
平岡は自らの肉体を改造することで、「三島由紀夫」という男性性を表に出したキャラクターを作り上げた。平岡の仮面、鎧である。その認識と欲望の形式は、
B <ひねりオタク=個性を際立たせるために意図的にオタクを装う。深いが狭く、細部にばかりこだわる不器用な性格を持つ>
C <ひねりマッチョ=個性を際立たせるために意図的にマッチョを装う。豪放磊落でアバウトだが責任感は強い>
であった。このうちBは、もっぱら小説世界の文章(描写や様々なレトリック)に使われたといえるだろう。Cは、あきらかに身体表現に活用された。「写真」「映画」「ファッション」「彫像」などなど。
率直な志向として追及された認識と欲望の形式は、
@ <ヤンキー文化=バッドセンスな装いや美学のもと、アゲアゲのノリと気合でなんとかしようとする>
A <フェミニン文化=愛情深く共感力が強い>
であった。平岡の直面(ヒタメン)の方である。@は、実生活上の処世術的な部分で活用されたといえそうだ。自らを流行作家に仕立てた才覚はきわめてヤンキー的である。<
平岡公威の冒険 14>で触れた彼の論理の破綻は、ヤンキーとしての非論理的側面(女性性)が出ている部分だとも考えられる。一方Aは、母親、妹への愛情など極めてプライベートなものとして、最後まで私生活の奥に隠されたようにみえる。長編小説で追及された<愛情深く共感力が強い女性像>は、数は少ないが『夏子の冒険』、『にっぽん製』、『恋の都』、『幸福号出帆』などの娯楽小説に残されている。
私生活の奥に隠されてしまったAではあるが、平岡にはもっと本格的な小説で、Aの愛情深く共感力が強い女性、明るく活動的な女性を描いてほしかった。ひょっとすると、それが平岡公威には一番ふさわしかったのではないだろうか。
平岡は、出自に女性性を色濃く持っていたとはいえ、生物学的な性別は男性である。バイセクシャルとして、女性の恋人も持ったし普通の結婚もした。しかし、彼が獲得した男性性は後付けの「ひねり」だった。自然なものではなかった。それが<
平岡公威の冒険 2>などで書いた恋人との別れ、結婚生活の破綻へ繋がったと推察できる。この項の仮定を前提にすればの話だが。
この前提でさらに考えれば、最後の平岡による「三島由紀夫」の解体は、自ら作り上げたフィクションの解体であったとともに、あこがれの対象だったマッチョな肉体を滅ぼすという、女性性としての性的嗜好の追求でもあったのだろう。これまで彼の死を、
(1)「時間論の混乱」(「
平岡公威の冒険」)
(2)「私生活上の行き詰まり」(<平岡公威の冒険 2>)
(3)「熱狂時代の先取り」(<
平岡公威の冒険 4>)
(4)「戦後日本の父性の不在」(<
平岡公威の冒険 5>)
(5)「三島由紀夫の解体」(<平岡公威の冒険 9>)
と分析してきたが、ここに、
(6)「性的嗜好の追求」(<平岡公威の冒険 16>)
を加えることができるかもしれない。