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■オリジナル作品:「記号のような男」(目次

「記号のような男」 第十回

10.幸子の協力

 小さな囲み記事だったが、放射光研究所が新聞の社会面に載ったことで、各所から内容についての問い合わせがデータ処理センターに入った。研究所の名前は匿名にしても「H研究所の桑富にあるデータ処理センター」といえばすぐにここだと分かる。内容が些細だし警察も動いていないことからすぐに騒ぎは収まったけれど、ある日、桑富市役所からこの件で問い合わせが入った。空き地活用案件の要望書がデータ処理センターの所員から出されているので、一応今回のクレームの内容を確認しておきたいとのことだった。
 電話は所長室宛に掛かってきた。所長は終日研究棟の方にいる日だったので、秘書の谷口なつ子は、電話を高田総務部長に回した。高田は「すぐに折り返します」と答えて一旦電話を切り、広報課の瀬戸課長ではなく、人事課の田上課長を部長室に呼んだ。
「例の新聞記事の件、いま市役所から問い合わせがあった。君からも聞いた柴山くんの空き地活用案の件、あれと今回のクレームと何か関係があるかどうか確認したいというんだ。柴山君にはちょっと厳しく言ったけれど、これは大したことじゃない。瀬戸君に回すとまた面倒を起こしそうだから君を呼んだんだ。役所には私から、事実は些細なことで要望書とは無関係ですとだけ答えておくけど、それでいいよな」
「柴山さん、喜ぶと思います」幸子が答えた。
「彼には君から適当に伝えておいてくれ」
「広報課は?」
「話さなくてもいいだろう」高田部長はそう言うと「君も聞いててくれ」と受話器を取り上げ桑富市役所へ電話を入れた。

 その日仕事が終わると、幸子は行きつけの喫茶店「杏里」にキーオを誘った。美味しいコーヒーを出す店で、有前町の居酒屋「次治」の近くにある。こちら方面にデーセンの社員はあまり来ないので込み入った話がしやすく、幸子は人事のことなどでもときどき利用している。幸子は高田部長との話を柴山にした。
「助かった。先日高田さんに話しておいてよかったなあ」
「彼は中立派だから」
「例の派閥の話だね。そういえばうちの杉田が、伊藤部長にあることないこと報告してたみたいだよ」
「伊藤部長は富永派よ。杉田くんは伊藤部長の秘蔵っ子で、あなたを追い落として自分が経理課長になりたいのよ。彼、もともと私たちのような現地採用を見下しているし。総務部では広報の瀬戸課長が富永派」
「やだやだ」
「こんな話、柴山くんにするなんて思わなかった。あなたはノンポリもいいところだものね」
「そう、空き地の公園化を考え始めなかったら、知る気も起きなかった」
「中央官庁の誰かに、デーセンで醜聞があると伝われば、管理不行き届きで所長の汚点になる。伊藤部長は賢いから表に出ないようにして、手を汚す仕事は部下にやらせてる。伊藤部長が杉田くんを使って作戦を練り、瀬戸課長が動く、そんなところじゃないかな」
「僕を首にするのと石橋所長の追い落とし、一石二鳥なんだね。でも石橋所長は清廉潔癖な人だと思う、経理報告でもすぐ動いてくれるし」
「こんど直接話してみたら?」
「経理報告会でしか会わないからな、報告会で数字以外の話はできないよ」
「来週デーセンに来たとき時間取ろうか」
「できる?」
「秘書のなっちゃんとは親しいからなんとかなると思う」
「ぼくは参道を通して公園を作りたいだけなんだ」
「それを所長にいうのよ、彼が真実を知っていれば、もともと根も葉もない話なんだし、富永副所長がうるさくいっても、中立の高田さんは処分なんかしないわよ」幸子は芝山を励ました。
「ところで、東都新聞の記者といえば、以前、デーセンの施設が記事になった時、施設課の遠山課長のところに記者さんが来ていたことがあるの。同じ人かどうかわからないけれど、遠山さんに聞けば名前がわかると思う。あした聞いてみるね」

 翌朝幸子は、遠山課長に東都新聞の記者の名刺を見せてもらった。名刺には「東都新聞社会部(武蔵野地区担当)井上雅文」とあった。部署からして、先日の記事の取材者である可能性が高い。机に戻って東都新聞社に電話で確かめると、やはり先日広報課に来た記者と同一人物だった。

 幸子は井上記者と直接会いたいと思った。施設の取材のときにチラリと見た感じは悪くなかったし、遠山課長が「なかなか好感が持てる人だったよ」と言ったことも幸子の背中を押した。考えを巡らせた後、自分が記者と会うには、今度のことは社員の一人が空き地公園化案を市に提出したことから起こった些細な行き違いだとして、研究所の広報マターとしてではなく、人事課マターとしてしまえばいいと思い付いた。幸子は再び電話をかけ総務部の人事課長であることを名乗ったあと「例の苦情の件でお話したいことがあります」といってその日のランチタイムに井上を「杏里」に呼び出した。

「あの記事の件、苦情があったことは確かですが、内容的にはあんな大げさなことじゃなかったんですよ」幸子は、柴山のプランターと空き地公園化案の話をし、その過程で地域のお年寄りが一人誤解してデーセンに苦情を言いに来たことを説明した。
「そうだったんですか、広報課の方からはそういう説明はありませんでした。苦情があって困っているということだけで」井上は困惑した表情でいった。
「うちの広報課が知らずに大げさなことを言っちゃったもんだから」幸子はそういって、柴山の要望書「有前町七丁目の空き地活用について」のコピーを井上に手渡した。「ところで苦情の件、どこからお聞きになったんですか。うちに来たお年寄りが新聞社にも行ったのかしら」
「いえいえ、御社から電話が掛かってきたんですよ。苦情が持ち込まれて困っているんだけれど、新聞社さんに他から漏れると厄介だからこちらから直接お話ししたいということで」井上は不思議そうな表情でいった。
「まあ、そうでしたの。社内での情報の行き違いね」勿論社内ポリティクスには触れなかったが、幸子の言い方で井上は何かを直感したようだった。
 しばらく井上は要望書をパラパラと捲っていた。そしてコーヒーに手を伸ばすと「この話、どんな感じなんですか?」と尋ねた。
「いま、市役所の方で実地検地をおこなうところまで来ています」
「こんどこちらの話も取材させて貰いたいですね」井上は最初と違って打ち解けた様子で幸子にそういった。

 それから数日後、石橋所長がデーセンに来た。幸子の計らいで十五分ほど時間が貰えたので芝山は所長室へ行った。「新聞記事のことでご迷惑をおかけしました」とまず詫びてから、要望書「有前町七丁目の空き地活用について」のコピーを手渡し、骨子を説明、参道の緑をつなごうとしてプランターを沿道に置いたこと、巡査に二度呼び止められたことも正直に話した。
「いいじゃないか、その参道と公園を作る話」所長がいった。「栗山ってひとのことは高田さんから聞いたよ。でも、巡査にとっ捕まったわけじゃないんだよな。だったらお騒がせしました、これからは法規に従いますって謝れば充分だろ。新聞記事のことも気にするな。むしろこの話、桑富市が乗ってくれば、研究所と地元との連帯を深めるいい機会にもなるし、高田さんにも応援するようにいっておくよ。緑をつなぐってのもいいなあ、木を育てるのは立派な科学だよ、植物ってやつはまだまだ分からないことが多いんだ」石橋所長そういって柴山を励ましてくれた。

(つづく)
「記号のような男」 第十回(2019年05月08日公開) |目次コメント(0)

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