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■オリジナル作品:「記号のような男」(目次

「記号のような男」 第三回

3.作戦変更

「これ、このままにしないでね、洗濯物干せないから」テラスに山と積まれたプランターを前に良子がいった。中には玉龍が並んでいる。その日の午前中、芝山は岩田巡査と一緒にプランターを回収してきて、とりあえずテラスに運び込んだのだった。
「まず玉龍をプランターから出して道に植えるよ」
「歩道の敷石は剥がせないわよ」
「わかってる。土のあるところだけにする」緑をつなぐアイデアもだいぶ縮小されてしまった。
「大家さんにいって、これごと庭の隅にでも置かせてもらったら、それとも中身だけお義母さんのところの庭へ戻す?」
「鶴橋の先が空き地になっているだろ、残ったらあそこに植えてくるよ」芝山は下見にいってくるといって表に出た。

 鶴橋の交差点(三叉路)は、参道と東西に走る市道(鶴橋通り)がぶつかるところにあった。以前、参道はそのまま線路の先まで続いていた。しかし今から十年前、鶴橋通りから線路までの部分五十メートルが廃道になった。東側に南北をつなぐ新しい道ができたのが理由だった。桜の木もそのときに切られた。五年前、有前町が近隣の町(桑富町や柿本町など)と合併し桑富市になった後も、市道から線路までの旧参道部分五十メートル、および周辺の広い土地は、雑草が生え放題の空き地となっていた。

 鶴橋は、有前川に古くから架かる橋の名前である。川は有水(ゆうすい)山系の水を畑に流す水路で、今でも四季を通して涸れることなく、有前の市街地を北西から南東に横切っている。有水山系とは、桑富市の北側を東西に走る低い山脈で、東側はすぐに関東平野だが、西側はなだらかに埼玉の山々へ続いている。参道に架かっていた木製の橋は、東西に走る市道(鶴橋通り)ができた際、コンクリート造りの立派なものに架け替えられた。芝山は橋まで来ると、鶴橋通りを渡って、橋げたから北側の空き地に降りた。空き地はワイヤーを張った柵で囲われていたが、二本のワイヤーの間を潜れば簡単に中に入ることができた。

 玉龍をどこに植えようか。芝山は、空き地にまだはっきりと道跡が残っていることに気付いた。雑草が生い茂っているが、道跡に立つとずっと先の線路までは見渡すことができた。線路には使われなくなった踏み切りが見える。芝山は線路に向かって歩いていった。ふとみると、切られたはずの桜並木の跡に、なんと何本か桜の若木が生えているではないか。まだ小さいからよくみないと雑草と区別が付かない。しかしそれは紛れもなく桜の木だった。切り株から出た芽が育ったのだろうか。

 線路のところまで来ると、芝山はワイヤーを張った柵を潜って外へ出、左右を確認しつつ、使われなくなった踏切を渡った。下りたままの遮断機を跨ぐ。反対側には参道がまだ残っていた。桜並木はなかったが、道は畑の中をまっすぐ北へ伸びている。どこまで続いているのだろう?時刻はまだ昼過ぎだった。芝山はその道をさらに北へ向かって歩いてみることにした。途中で道幅が狭くなった。どれ程歩いただろう、気が付くと柴山は有前山の麓に立っていた。この山は有水山系の中ほどに位置している。有水山系は、有前山の東西で一旦低くなる。だから海抜百五十米ほどの高さしかないのに、麓に立つと、この山は単独峰にように見える。有前山は古墳ではないか、という説もあるらしい。目の前に古びた石の階段がある。芝山はその石段を登った。登りきると、山頂に苔むした小さな祠があった。祠脇の古い由緒書を見ると、神社の名前は有前山神社、祭神は大山祗神と木花咲耶姫とあった。

 どうやら、有前神社の参道は、昔、この有前山の山頂までまっすぐに続いていたようだった。途中が線路で分断されたことで、北側に延びる部分が参道の続きであることが忘れられ、さらに一部が廃道になったことで、参道の全貌が人々の記憶から失われてしまったのではないか。そのとき、芝山の脳裏に新しいアイデアが浮かんだ。

 芝山は「(緑のかわりに)参道自体をつなごう」と思ったのである。鶴橋通りから線路までの五十メートルを整備すれば、南の有前神社から山の頂にある祠まで、参道を一直線につなぐことができる。参道の緑をつなぐことは出来なくても、参道そのものをつなぐことができれば、その方が意義深いのではないか。緑をつなぐ算段はそのあと考えよう。玉龍を植えようとするまでこの空き地のことを忘れていた。緑をつなごうとしたから廃道のことを思い出した。そしてその先にある山の祠を見つけた。だから参道を復活させることは緑をつなぐことの発展形なのだ。こうして、芝山は作戦を変更したのである。へんなルールも必要ない。

「参道をつなぐ」アパートへ戻ると芝山は良子に新しい作戦を宣言した。
「は〜あ?」
「緑のかわりに参道自体をつなぐ」
「何いってるの?」良子は呆れ顔で芝山を見た。
「あそこの空き地、ほら、玉龍を植えようとした鶴橋の向こうの空き地、行ってみたんだ。そしたら参道の跡がまだ残ってるんだ。おまけに切られた桜の切り株から、新しい若木が何本も生えている。それだけじゃない。線路の向こう側にはまだ参道が残っていて、それが有前山の山頂にある祠まで続いているんだ」
「空き地って柵で囲ってあるところでしょ?」
「そう、でも簡単に入れた」
「所有者が入っちゃダメっていってるんでしょ、柵があるってことは」
「そうだな」
「ということは不法投棄どころじゃない、不法侵入とかいうもっと重い罪でつかまるってことよ、わかってる?」
「あそこ、ぼくの記憶じゃ十年くらい前、東側に市道ができた時に廃止になったんだ。参道だから神社が所有してるんだろ、だから有前神社に掛け合えばいいんだと思う。調べてみるよ」
「でもさ、それって何の意味があるの?」
「参道をつなぐことは意義があると思う」
「なんであなたはそんな馬鹿ばかりなこと思い付くの?」
「馬鹿なことなんかじゃないよ」芝山がそう呟いたとき、良子に抱かれていた輝樹がその小さな手でスっと有前山の方角を指し示した。

 何かをつなぐ、それはたしかに何でも分断する研究所の仕事と真逆の営みである。しかし、物質も経理の数字も大きな何かの一部であり、その何かをより確かに見るために分断するのだから、並木の緑や参道が途切れていることとは意味が違う。参道をつなぐことは本当に意味があるのか?妻には強がってみたものの、芝山が頼りにしているのは「思い付いたことには意味がある筈」という頼りない直感だけだった。へんなアイデアであることには変わりないのである。輝樹が有前山の方向を指差したのは何かの暗示かもしれない(単にそっちに虫でも飛んでいっただけかもしれないが)、だからいけるところまでいってみよう、芝山は(自分に都合よく)そう考えることにした。

(つづく)
「記号のような男」 第三回(2019年05月01日公開) |目次コメント(0)

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