文学(小説)の電子書籍コンテンツ・サイト「茂木賛の世界」


ここから本文です。(クリックすると本文を飛ばしてメニューに進みます)

■オリジナル作品:「記号のような男」(目次

「記号のような男」 第一回

1.発端 

 芝山輝夫は、半官半民の研究所付属データ処理センターに勤めるサラリーマンである。経理課の係長として、帳簿をチェックしたり月次報告書を纏めたりするのが仕事だ。入社して十年、ずっと同じ部署で同じようなことをしている。

 研究所の名前は「放射光研究所」といった。全国各研究施設から持ち込まれる様々な物質を、巨大な放射光発射装置を使ってナノレベルで解析する。装置(のある研究棟)は茨城県にあるが、データ処理センターはここ埼玉県桑富市にあった。半官半民だから所員のほとんどは国立大学や中央官庁、企業からの出向者で、ここデータ処理センター(略してデーセン)もスタッフ六十名のうち、芝山以外の現地採用者は、契約社員を除き総務部に二名いるだけだった。

 芝山は今年、三十七歳になる。大学を卒業して都内の会社に入ったものの、身体を壊して郷里のこの桑富市(当時は有前町)に戻ってきたのが十二年前のこと。実家で養生し健康を回復したが、再び東京で就職する気をなくしていたので、有前町の斡旋所を通して仕事を探した。簿記の資格を持っていたのが幸いし、町内で建設中だったこのデーセンで経理の担当者として就職が決まった。採用試験のとき面接官から、現地採用だと出世するのは難しいといわれたが、「それでいいです」と素直に答えたのも良かったらしい。芝山は四年前に結婚した。家には妻(良子)と二歳になる男の子(輝樹)がいる。

「まったく君は、記号のような男だな」芝山から毎月数字だらけの経理報告を受ける所長が、ある日退屈のあまり芝山にそういった。同席していた経理部長がそれを部内でいいふらしたものだから、以来芝山は「記号男」、略して「キーオ」とあだ名されるようになった。いまはその所長も経理部長も研究所にはいないけれど、芝山の会社でのあだ名はいまも「キーオ」のままだ。

 丸顔で中肉中背、どこにでもいるサラリーマンだが、あえてその特長を探せば、とても人に優しいところだろうか。そしておっとりしている。決して怒らない。「キーオさん」と部下から呼ばれても平気。もっとも、さらに変なあだ名を追加されたときはさすがに彼もムっとする。そのあだ名は……、いや、それはもう少し先の話にとっておこう。

 芝山キーオの脳裏にその奇抜なアイデアが浮かんだのは、四月中旬、夜道を歩いて帰る途中のことだった。彼はいつも判で押したように八時に家を出て、六時過ぎに帰宅する。結婚してからは同じ桑富市内にアパートを借り、そこからいつも研究所へ自転車で通っている。しかしその日は新入社員歓迎会があったのでめずらしく徒歩で通勤した。歓迎会の居酒屋で酔っ払い、いつもより遅くなって暗い歩道を千鳥足で歩いていた。

 そこは桜の木が並ぶ有前神社の参道だった。神社は南の奥武蔵街道沿いにある。南北に通る参道の両側には昔、桑畑が広がっていた。昭和に入り、沿道にはアパートや住宅が建ち並ぶようになった。最近はそれを目当てにコンビニやドラッグストアができ始めた。

 その奇抜なアイデアは、最近工事で切られた桜の切り株のところで上を見たとき、突然芝山の脳裏に浮かんだ。そこだけ葉の重なりが途切れ、夜空がぽっかりと口を開けていたのだ。芝山は「ここの緑をつなげたい」と思ったのである。アパートの近くは昔からの桜が切られずに残っていたからあまり気付かなかったのだが、あらためて通りを見渡してみると、葉の重なりがない場所がいくつかあるようだった。工事のために桜が切り倒され、そのあと新しい木が植えられずそのままになっている。

 緑をつなげたい、なぜそのようなへんなアイデアが彼の頭に浮かんだのか。参道の緑が失われていくことへの反撥だったことは明らかだが、なぜ緑をつなげなければならないのか、あまりに突拍子もない発想である。緑をつなぐ?!勤め先の研究所が何でもかんでも分解・分析するところだから、その反動なのか。数字という離散的データによってしか業務に関われない、経理の仕事への苛立ちなのかもしれない。あるいは単なる気まぐれか。とにかく芝山キーオは、その夜ぽっかりと空いた葉の隙間を見上げ、「ここの緑をつなげたい」と思ったのである。

 一旦思ってしまったものは仕方がない。家に帰ると、お茶を飲みながら芝山は妻の良子に自分のアイデアを吐露した。「家の前の道、木が倒されたところに、なにか緑を置いて、隣の木の葉の下まで緑を繋げたい」
「ええ、どういうこと?」
「そこだけ緑が途切れているんだ」
「だから?」
「昔は綺麗な参道だったんだ。子どもの頃、よく親に連れられて神社参拝の帰りに歩いたものさ。そんな桜並木が切り倒される。そんなのはもう沢山だ。ぼくに桜を植えることは出来ないかもしれないけれど、緑を繋ぐことは出来る」
「それって何の意味もないじゃん」案の定である。だれでもそう言うだろう。良子はさらにいった。「工事が終われば、桜は植えられないかもしれないけれど、ちゃんと植栽が整えられて一応綺麗になるわよ。これまでだってそうだったじゃない。なぜ今度だけそんなことを考えるの?」
「緑をつなげたいんだ」
「久しぶりに外で飲んで酔っ払ったから、そんな馬鹿なことをいっているんでしょう。早く寝たら!」妻の良子はそのまま怒って奥へ消えてしまった。あとに残った息子の輝樹がぽかんとした顔で父親を見上げている。

(つづく)
「記号のような男」 第一回(2019年04月28日公開) |目次コメント(0)

コメント

コメントを書く

お名前(必須)
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント(必須)

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。


茂木賛の世界 / World of San Motegi

  • 茂木賛の世界について
  • 著者プロフィール
Copyright © San Motegi Research Inc. All rights reserved.

このページはここまでです。(クリックするとこのページの先頭に戻ります)