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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <信長の雄姿>

 『安土往還記』辻邦生著(新潮文庫)を読む。この本は、織田信長の時代を超えた突出性、卓越性を能く描いていると思う。まずカバー裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

争乱渦巻く戦国時代、イエズス会の宣教師を送りとどけるために渡来した外国の船員を語り手とし、争乱のさなかにあっても、純粋にこの世の道理を求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする“尾張の大殿(シニョーレ)”織田信長の心と行動を描く。ゆたかな想像力と抑制のきいたストイックな文体で信長の栄華の盛衰を鮮やかに定着させ、生の高貴さを追求した長編。文部科学省芸術選奨新人賞を受けた力作。

(引用終了)

 巻末の解説者(饗庭孝男氏)は、『回廊にて』(一九六三年)、『夏の砦』(一九六六年)から『安土往還記』(一九六八年)、『嵯峨野明月記』、『天草の雅歌』(一九七一年)へと至る辻邦夫の長編小説を辿ったあと、

(引用開始)

 『安土往還記』は、辻文学の、右にのべたような文脈(コンテクスト)のなかで理解しなければならないと私は思う。とはいえ、この小説の魅力は、そうした思想のゆたかな感性化にあるのみではない。語り手のジェノヴァ生まれの船員が大殿(シニョーレ)をみる視点は、事の理非をあきらにし、道理をつらぬく大殿(シニョーレ)のなかに、イタリア・ルネッサンスの政治の暗闘を生きぬいた人間たちの、果敢な意思(ヴォロンタ)と重ね合わされている。そう考えてみると、大殿(シニョーレ)は単に日本の歴史の中に生きた人物というだけではなく、世界の歴史における十六世紀の政治家のなかにか数えられ、よりひろい歴史の展望のなかに置かれていることが理解される。そして大殿(シニョーレ)を中心とした当時の日本の激動と栄華が巨視的にうかびあがってくる。作者の想像力のひろがりはまことにゆたかであると言わなければならない。

(引用終了)
<同書255−256ページ>

と書いておられる。辻文学の文脈(コンテクスト)については解説全文をお読みいただくとして、引用部分にあるように、この本は、信長とその統治を西洋近代史の文脈・視点から描こうとしたもので、イタリアの船員を語り手にしたところが秀悦。事象についてはルイス・フロイスの『日本史』などを参考にしたと思しい。
 
 本の後半に、安土山の催しにおける「信長の雄姿」がある。ときは本能寺の変(1582年・天正十年)前年の夏。ちょっと長い引用になるが、その場に居合わせたつもりで篤(とく)とご覧いただきたい。

(引用開始)

 すでに出発の準備はととのえられ、堺まで送ってゆくオルガンティノやフロイス師の荷物も整ったが、大殿(シニョーレ)から、出発すべき日の指定は来なかった。
 それは八月半ばのある晴れた日のことであった。私たちが食堂で朝食をとっていると、城郭(カステルロ)から、顔見知りのキリシタン武士が「ながいことお待たせしたが、今夜、日暮れから祝祭が行われる。ぜひそれをたのしんで貰いたい」という言葉を伝えた。
 私はセミナリオの生徒を湖の水浴に連れていったが、通ってゆく安土の町並は花や提灯で飾られ、城郭のなかでは爆竹の音がしていた。町じゅうが賑やかに浮れたって、市には大勢の人が集まり、見世物が小屋をかけ、呼び売りする男や、鐘や太鼓を鳴らす男などが目白押しに店をひろげていた。
 私たちが午後早目に水浴から帰ってくると、町の賑わいは一段と熱気を加えていて、どの通りにも、着飾った女や娘たちがぞろぞろと歩き、市のたつ町々は身動きもできない人出だった。オルガンティノの説明によると、大殿(シニョーレ)の計画で行われる夜の祭典はすでに京都まで伝えられ、それを見るための人が集まっているのだということだった。
 ながい、明るい、華やかな夏の夕焼けが安土山の向こうに消えてゆくと、やがて湖のほうから濃い、輝くような宵闇が安土の町々のあいだを這って流れはじめた。しかし大殿(シニョーレ)からの命令で、夜になっても、蝋燭一本、燭台一つともしてもならないことになっていた。突然訪れた濃い闇のなかを、ことさら明るい蛍の群れが、青白い光を冷たく点滅させて湖のほうへ急いでいた。
 どの町角でも、どの戸口でも、人々は息をのんで、じっと待ちつづけた。闇のなかで人々はひっそりと囁きかわしていた。何が起こるか知っている人間は、安土の町には一人もいなかったのである。
 どのくらいの時間がたったであろうか。私たちが宣教師館の二階の露台に待ちくたびれたころ、突然、安土山のうえに、一すじののろしが赤くするするとのぼり、闇のなかで乾いた鋭い音をたてて爆ぜ、湖の遠くへ反響した。と、それを合図に、突如として、闇のなかから、安土城郭(カステルロ)の全貌が火に照らされて浮かびあがったのである。私たちは思わず息をのんだ。何百、何千という篝火に、いっせいに火が入り、それが一挙に燃えあがって、安土山を赤々と照しだしたのだった。七層の高楼にはその一層ごとの屋根の形に提灯が並び、それがくっきりと夜空に城の形をえがきだした。
 町角という町角から人々のどよめきが起り、安土山にむかって駆けてゆく群衆の波が暗闇のなかに感じられた。と、思う間もなく、城門の一角に輝きだしたたいまつの火が、あたかも火縄を伝わって走る焔のように、城門から宣教師館に至る道すじの形のままに、次々に燃えあがった。その火の先端は、みるみる私たちの立っている宣教師館へと近づいてきて、あっという間に、昼のような明るさになった。そのあかりでよく見ると、道の両側には、黒装束の男がずらりと並んで、燃えさかるたいまつをかかげているのであった。
 しばらくすると、その焔のなかを、黒装束に同じようにたいまつをかざした騎馬武士の群が、ひとつづきの火の河のように、城門から溢れだし、宣教師館にむかって疾走し、宣教師館の門前までくると、突然火を消して、闇のなかへ溶けてゆくように次々に姿を消し、そのようにして溢れてくる火の流れは小半時もつづいた。
 私たちは茫然として火竜のうねりに似たその火の河を見ているうち、一段と明るい焔の群が、宣教師館に近づいてきた。それは矢のような早さで、城門から火の道を走りぬけると、宣教師館の門前にぴったりとまった。
 私たちは思わず自分の目を疑がった。その光のなかには、同じ黒装束の大殿(シニョーレ)が馬上から、たいまつを高々とかかげヴァリニャーノにむかって挨拶を送っているのであった……。

(引用終了)
<同書 235−238ページ(傍点・フリガナ一部省略)>
 
いかがだろう、闇のなかから炎をかざしてヴァリニャーノへ告別の挨拶を送る黒装束の信長。あくまで小説家の想像ではあるが、<一所懸命と天下布武>や<代議制>の項で述べた、

〇 中央政治(外交・防衛・交易)は預治思想による集権化
〇 地方政治(産業・開拓・利害調整)は天道思想による分権化
〇 文化政策(宗教・芸術)は政治とは切り離して自由化

といった世界観が、大殿(シニョーレ)の視野の先に透けて見えるようだ、と書いたらいい過ぎだろうか。安土城下の様子については、<信長の城>の項もお読みいただきたい。尚、作者は本能寺の変については通説(光秀謀反説)を踏襲している。
「百花深処」 <信長の雄姿>(2019年03月30日公開) |目次コメント(0)

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