以前<
近世の家(イエ)について>の項で、中国や朝鮮とは一味違った江戸時代の家(イエ)の在り方について記したが、『百姓の力』渡辺尚志著(角川ソフィア文庫)によって、江戸時代の特に百姓の家(イエ)の成立について見ておきたい。この本は、『夜間飛行』「
江戸時代の土地所有」の項でも参照・引用した。
(引用開始)
一七世紀は、人口と耕地面積が急増した、日本史上でも特筆すべき時期でした。
一六〇〇年頃の全国総人口は約一五〇〇万〜一六〇〇万人、耕地面積は約一六三万五○○〇町と推計されています。それが享保六(一七二一)年には約三一二八万人、耕地面積約二九七万町へと急増しました。人口は約二倍、耕地面積は約一・五倍に増加したのです。
増加分のうちほとんどは、一七世紀中のものだったと思われます。以降、江戸時代中・後期になると、人口・耕地面積とも増加率は大きく低下し、弘化三(一八四六)年の総人口は約三二二九万人と、微増にとどまっています。つまり、人口爆発と大開発は一七世紀を特徴づけるものと考えて、まず間違いないのです。
ところで、これは単なる量的な変化ではありません。村社会の内部には、大きな質的変化が生じていました。それは百姓の家の成立です。
みなさんは、たとえ百姓だろうと、家なら古代からあっただろうに、と思うかもしれません。しかしここでいう家は、みなさんがイメージする現代の家、つまり「家族」とは異なっています。基本的に、現代の家族は生活の単位であり、生産の単位ではありません。
父親は毎日出勤して仕事は職場で行い、母親は家庭で主に家事・育児を担い、大きくなった子供はまた別の場所で働いているというような家族像を思い浮かべてください。あるいは、両親が共稼ぎで、朝それぞれの職場に出勤し、子供は学校に通って家族でもけっこうです。いずれにしても、家族構成員は、家を単位にまとまって働いているわけではありません。もちろん現代でも、農漁業や小売業、中小企業経営など、家族が経営の単位となっている場合は少なくありません。しかし一般的な考え方として、職住分離が主流になっているのではないでしょうか。
これに対して、江戸時代の家は、何よりもまず、共同で生業を営む生産の単位でした。家は、「家名」「家業」「家産」の一体性を持ち、過去から未来へ永続するものと観念された、生産・生活の基礎単位だったのです。したがって、家には現生に生きる者だけではなく、死んだ先祖やこれから生まれる子孫までもが含まれていました。これも現代とは異なる点です。
「家名」とは、家に代々伝わる名乗りです。江戸時代の百姓は、一般に苗字をもっていました。ただ、それを公的な場で名乗ることが許された人は、ごく一部でした。そこで各家の家長は代々同じ名前(勘左衛門とか吉兵衛とか)を名乗って家名とし、それによって家の連続性を象徴的に表示したのです。家を継ぐ男子は若いうちだけ別の名を名乗り、父親から家督を相続すると、父と同じ名前に改名します。名前全体ではなく、名前の一字を継承する場合も多くありました。こうした襲名慣行は、現代でも歌舞伎や落語の世界などで見られる通りです。
次に「家業」といえば、江戸時代の百姓の多くは農業であり、漁業や林業などの場合もありました。また「家産」とは、土地や家屋、主要な生産用具などを中心に、家に代々伝わる財産のことを表します。
家は、家名・家業・家産がワンセットになって構成されていました。家を守り、家産をきちんと子孫に伝えることは、多くの百姓の生き甲斐にもなっていたのです。
家はそのときどきの家長によって統括されましたが、家長は所持地を自由に分割したり、売却・譲渡したりすることはできませんでした。家長は先祖から伝わった家の土地を、少しも減らすことなく子孫に伝える責任がある、とされていたからです。百姓の所持地は先祖からの預かりものたる家産であって、家長個人や家族が勝手に処分してはなりませんでした。江戸時代の百姓の土地所有は、基本的に個人ではなく家を単位としていたのです。
このような性格をもつ家は、一六〜一七世紀頃に、一般の百姓層の間で広範に成立していきました。原始・古代以来、農民は存在していましたが、一五世紀頃まではその経営は不安定でした。安定した家産を継続的に維持することは難しく、したがって家も広範には成立しえなかったのです。江戸時代は、百姓が一般的に家を形成したという点で、日本史上画期的な時代だったといえるでしょう。
(引用終了)
<同書 50−53ページ(フリガナ・傍点省略)>
徳川幕府が導入した家名・家業・家産をもつ家(イエ)というユニークなシステム。これが一七世紀の人口爆発と耕作地大開発を支えたという。
百姓の家(イエ)は数集まって村を形成した。この本は、名主(庄屋)、組頭、百姓代といった村の役職、村と領主との関係、村同士の繋がり、一八世紀における地域の有力者「豪農」などについても詳しい。