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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <伊藤仁斎と荻生徂徠>

 前回<安藤昌益と三浦梅園>の最後に、“儒教にはもともと「天人合一思想」(天と人が一体化するという基本概念)がある。だから(列島の近世において)どこかに、「天道」と「民意」とを繋げて考える思想家がいたのではないか。研究を続けたい”と書いたが、今回は、その可能性を伊藤仁斎(1627−1705)と荻生徂徠(1666−1728)に探ってみる。『江戸の思想史』田尻祐一郎著(中公新書)には、第4章「仁斎と徂徠@――方法の自覚」と第5章「仁斎と徂徠A――他社の発見、社会の構想」とあるが、天人合一思想との関連はとくに記載されていない。そこで、副題に<仁斎学における「天人合一」の理論>とある、『伊藤仁斎の思想世界』山本正身著(慶應義塾大学三田哲学叢書)を導きとしたい。

 <宗教・思想基本比較表>で纏めたように、儒教の特徴は政治による集団救済である。『伊藤仁斎の思想世界』によると、その救済とは、天と人が一体化し社会全体の調和と充実が実現した状態を指すという。同書から伊藤仁斎における「天人合一」の論理をみてみよう。

(引用開始)

 第一に、仁斎は「天地」のことを「人倫世界」と読み替えた。(中略)第二に、仁斎はこの意味での「天地」に調和と充実をもたらす役割を、天子・諸侯などの社会の上層部にある人々や卓絶した徳の持ち主といった一部の人々に委ねるのではなく、基本的に万民に期待した。(中略)第三に、ただし「天地」の調和と充実を担うためには、天与の「四端の心」の働きのままでは不十分であり、それは学問によって「拡充」させられなければならなかった。(中略)第四に、その学問とは、「道」の真義への知を獲得する「本体の学」と、個々人による「道」の行為実践としての「修為の学」とに大別された。(中略)第五に、仁斎は、万民による「天人合一」の実践可能性をより確かなものにするため、「忠信を主とする」という教義に加えて、それを孟子が再定義した「四端の心の拡充」という教説の学問的意義を強調した。(中略)第六に、「人倫世界」の調和・充実とは、それを担う主体による能動的・自律的な行為実践によって、その実現が期された。(中略)こうして仁斎は、儒学思想の核心をなす「天人合一」という立論を、万人が学問に取り組むことで「人倫世界」を担うに足る実践主体となること、として再定義した。

(引用終了)
<同書 167−169ページ>

仁斎の「天人合一」とは、天地を人倫世界と読み替え、人と人との人倫的結びつきを個々人が引き受け担っていくことで、世の中全体が調和と充実へと導かれるという考え方だとある。衆庶民の側に立って「天人合一」の論理を解き明かそうとしたわけで、当時(徳川前期)としては急進的な思想であった。しかし、「民意」を上手く掬い上げる為に、士農工商各層代表の選出や、効率向上の為に地方分権を推し進める、といった統治的発想ではないようだ。では、仁斎の考え方は、荻生徂徠(や本家の朱子学)とどう違うのか。著者は仁斎の「道」に関連して次のように書く。

(引用開始)

 ただし、仁斎はその「道」というものを、人と人との人倫的な結びつきの一点に焦点を絞り込んで、理解しようとした。この理解は、仁斎が思想的に対峙した朱子学の理解、すなわち「道」を万事万象を規定する形而上学的な「理」に基づいて理解しようとしたことと、その思想的態度を著しく異にしている。仁斎学を批判的に克服しようとした徂徠学の理解、すなわち「道」を聖人の作為になるものとし、礼楽刑政をもってその内実とするような理解とも異なっている。
 仁斎が「道」の所在を「人倫世界」に見出したことは、その根源を形而上学的世界に見出した朱子学とも、その実質的意味を政治的世界に見出した徂徠学とも異なる思想的特質といえる。だが、仁斎学の思想的特質はそれとともに、万人が「道」の実践主体たりうるとの立論をより現実的・整合的に提示しえた点にあった、というのが筆者の着眼点である。確かに、朱子学には「聖人学んで至るべし」との認識があった。だが、内なる自己の「理」と外なる事物の「理」を把握するための「居敬・窮理」を基軸として展開された朱子学の学問論は、「知り難く行い難く高遠及ぶ可からざるの説」(童上五)といえ、万人がこれを実践することは困難であった。また、「聖人の叡智」を衆庶人の到来不可能な地点に据えた徂徠学にあって、衆庶人とは聖人が作為した「道」の恩恵に浴する機会を受動的に与えられた存在であるにすぎなかった。それに対し、仁斎学は「道」が身近なものであり、知りやすく行いやすいものであることを強調することで、万人がその実践主体たりうるための根拠を、明確なリアリティをもって示したのである。

(引用終了)
<同書 170ページ(フリガナ省略)>

荻生徂徠における「天人合一」とは、礼楽制度の政策によって「道」をもたらした先帝の功績を、後世の聖人が讃えて「天」に合祀したことを意味するものであった。従って「天人合一」とは、論理的にも実践的にも、「天」に法り「天」を敬し「天」を祀ることの許される聖人のみが到達できる境地だとするのが、徂徠の認識であった(同書48ページ)。形而上学的な本家の朱子学はもとより、徂徠の考えの中にも、「民意」を上手く掬い上げる為に、士農工商各層代表の選出や、効率向上の為に地方分権を推し進める、といった発想はなかったようだ。
「百花深処」 <伊藤仁斎と荻生徂徠>(2018年04月07日公開) |目次コメント(0)

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