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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <蘭学について>

 前回<国学について>では、徳川時代の国学について<宗教・思想基本比較表>に沿って考えたが、今回は蘭学ついて同様に見てみたい。まず『江戸の思想史』田尻祐一郎著(中公新書)から、蘭学についての章(第9章)冒頭を引用する。

(引用開始)

 地球説や活字印刷術・測量術など、西洋の優れた学問や技術が日本に紹介されたのは、カソリック宣教師たちの時代である。それらは南蛮学と呼ばれたが、一六三〇年代からのいわゆる「鎖国」体制のもとで、その伝統は途切れてしまった。
 しかしそれは、西洋からの知識の呼吸が止まったということではない。マテオ・リッチをはじめとする中国で活躍した宣教師たちが漢文で著した書物が、厳しい制約を受けながら、日本に舶載されたからである。天地宇宙が法則的に秩序だってあるのは、それが全能の神のなせるわざなればこそというのが宣教師たちの確信であったから、カソリックの教義に及ぶものは注意深く排除されたものの、この確信に裏打ちされた、自然の事象を法則性のもとに分析した自然科学の書物は、漢文という東アジア世界共通の文章語の力によって脈々と読み継がれていた。そして、漢訳洋書の輸入制限緩和という吉宗の政策によって、この傾向は加速された。蘭学は、こうした基盤の上に開花する。
 また田沼意次(一〇代将軍家治の側用人、老中)の採った国益重視の開明政策は、蝦夷地開発やロシア交易までもを射程に入れようとする積極的なもので、時代の知的な雰囲気も一変した。蘭学の知識を背景とした多彩な思想家が活躍するのは、こうした時代の空気においてである。明治・対象・昭和へと続く「西学東漸」の時代が始まった。

(引用終了)
<同書 151−152ページ(フリガナ省略)>

この章では、杉田玄白、前野良沢、大槻玄沢、富永仲基、三浦梅園、司馬江漢、平賀源内、山片蟠桃らの思想が紹介されている。

 富永仲基(1715−1746)は、「加上」説(後世になればなるほど議論は前のものに付加された部分が重なって精緻になり、より古い時代のものを装うようになるという理解)によって、大乗仏教についてその多くが後世の編纂になることを明らかにした。『江戸の思想史』には、

(引用開始)

 教説が、歴史的に形成されるというだけでなく、精神的な風土によって形作られることにも、仲基は着目している。そこからなされた観察は、民族性への直感的な洞察であり、インドの民族性としての「玄」、中国の「文」、日本の「絞」として定式化された。
<道を説き教えをなすは〔中略〕みな必ずその俗によって、もって利導す。〔中略〕天竺人の幻における、漢人の文における、東人の絞における、みなその俗しかり。>
「幻」は空想癖、「文」は装飾癖。「絞」は、懐の深さや長期的な見通し、スケールの大きさに欠けるということであろう。仲基のこうした思索は、その言語論にも生かされて、「言に人あり」「言に世あり」というテーゼにまとめられた。同じ言葉でも、人により時代により、その意味は同じではないということであり、さらに「言に類あり」、言語の展開は「張」(拡張)、「偏」(固執)、「泛」(一般化)、「磯」(限定)、「反」(反転)というように類型化されると論じている。こういう着眼を武器として、仲基は、教説の文献的な批判を行った。

(引用終了)
<同書 158−159ページ(フリガナ省略)>

ともある。実証的な解析方法。富永仲基の実利的な面については、<宗教・思想の基本比較表>でその著書を参照した副島隆彦氏の別著『日本の歴史を貫く柱』(PHP文庫)にさらに詳しい。

 三浦梅園(1723−1789)は、豊後の医者で、百科全書的な知識人であった。『江戸の思想史』には、

(引用開始)

 梅園は、物を物として見るという点で明らかに徂徠を受けて、かつ宣長と同じ問題に立っている。梅園と宣長が、同時代人として生きたことは偶然ではない。惰性や常識から出て、物を物として見たならば、私たちの生きている世界自体が不思議に満ちているという発見が、宣長にも梅園にもある。
 そこから(宣長は神々の世界に向かい)梅園は、「天地の条理」をいかに捉えるのかと進む。
<天地の道は陰陽にして、陰陽の体は相反す。反するに因て一に合す。天地のなる処なり。反して一なるものあるによりて、我これを反して観合して観て、基本然を求むるにて候。〔中略〕反観合一は、則ちこれ(条理)を繹ぬるの術にして、反観合一する事能わざれば陰陽の面目をみる事能わず。>
「陰陽」という伝統的な範疇を用いながら、「反観」、広く客観的に対象を観察してその矛盾や対立を解きほぐす中から、それを高い次元で止揚する「一」を突き止めていく方法によって、「陰陽の面目」に接近できると梅園は論じている。事象を集め分類する博物学的な見方にとどまらない方法論がここにはある。

(引用終了)
<同書 161−162ページ(フリガナ省略)>

とある。反転法とは違う弁証法的な思考。国学(宣長)と蘭学(梅園)が共に徂徠の古文辞学から影響を受けたという指摘は面白い。

 蘭学は、<父性の源泉 II>で纏めた戦国時代までの父性(国家統治能力)の源泉、

(1) 騎馬文化=中世武士思想のルーツ
(2) 乗船文化=武士思想の一側面
(3) 漢字文化=律令体制の確立
(4) 西洋文化=キリスト教と合理思想

における(4)の系譜だ。幕末になるとその論理性・実利性が開国派の行動を支えた。<宗教・思想基本比較表>に沿って蘭学を表にすると、

<蘭学>
「対象」:日本国
「至高」:近代科学
「教義」:解体新書など科学文献各種
「信仰」:合理思想
「特徴」:集団救済。因果律。キリスト教の信仰と表裏一体。徳川時代末、開国思想の源泉となる。

と書けると思う。
「百花深処」 <蘭学について>(2018年03月23日公開) |目次コメント(0)

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