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■オリジナル作品:「百花深処 I」(目次

「百花深処」 <信長の舞>

 織田信長は、幸若舞(能の原型)の『敦盛』を好んだという。『敦盛』は、源氏の武将熊谷直実が一の谷の合戦で平敦盛を手に掛けたことに材を取ったもの。ウィキペディアから引用しよう。

(引用開始)

直実が出家して世をはかなむ中段後半の一節に、

思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も、月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

という詞章があり、織田信長がこの節を好んで演じたと伝えられている。

(引用終了)
<ウィキペディアより>

 <古代民族文化 III>で書いたように、漢字という外来文字をそのまま自らの思考ツールとして採用したので、

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日本古来の男性性の思考は、空間原理に基づく螺旋的な遠心運動でありながら、自然を友とすることで、高みに飛翔し続ける抽象的思考よりも、場所性を帯び、外来思想の習合に力を発揮する。例としては修験道など。その美意識は反骨的であり、落着いた副交感神経優位の郷愁的美学(寂び)を主とする。交感神経優位の言動は、概ね野卑なものとして退けられる。
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といった特徴を持つ。信長の『敦盛』への傾倒は、この美意識を反映したものといえるだろう。

 父性(国家統治能力)は社会への働きかけであり交感神経優位の能力だが、それとは別の副交感神経優位にある能力として、日本人はこの郷愁的美学(寂び)を磨いてきた(<隠者の系譜>)。

 前回<信長における父性>の項で、彼の父性の限界を記したが、漢文という中国からの借り物の発想で当時あそこまで行った信長はやはり卓越した人物だったと思う。列島の支配者は秀吉、家康と変遷するが、二人は信長の成功と失敗から多くのことを学んだ。もし信長が通訳なしで中国語やポルトガル語を話せるようになっていたら、歴史は違った展開を見せたに違いない。此処に、彼の父性とは別の一面を記しておきたい。
「百花深処」 <信長の舞>(2017年07月30日公開) |目次コメント(0)

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