『江戸の思想史』田尻祐一郎著(中公新書)に拠って、
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中世武士の思想>
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近世の「家(イエ)」について>
という、東アジア正統的価値観と違う、二つの日本の独自性を見た。前者は武士という存在の独自性、後者は家(イエ)の独自性だ。
日本近世は徳川幕府の時代であるから、
A 経営体
B 血族
の合体均衡システム「家(イエ)」は、そもそも武士の思想が基となり、それが農工商各層へ広がったと考えるべきだろう(幕府が広めたと言うべきか)。だから家(イエ)は、武士の思想あってこそということになる。これに就いて、
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日本古来の男性性の思考は、空間原理に基づく螺旋的な遠心運動でありながら、自然を友とすることで、高みに飛翔し続ける抽象的思考よりも、場所性を帯び、外来思想の習合に力を発揮する。例としては修験道など。その美意識は反骨的であり、落着いた副交感神経優位の郷愁的美学(寂び)を主とする。交感神経優位の言動は、概ね野卑なものとして退けられる。
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というメンタリティと、複眼主義の対比、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
を補助線として、さらに考えてみよう。この時代、Aは漢文的発想がメイン、複眼主義ではAとBのバランスを大切に考える。
中世において、組織を支えたA側の思想・教義は何だっただろう。仏教の古い教え、中国諸子百家の思想、日本独自の修験道もあった。西洋思想も入ってきた。しかしこの時代の主導的思想・教義は、天道思想、さらに新しい仏教、「禅」と「浄土思想」であったと思う。鎌倉仏教である。禅は主に武士集団、浄土思想は主に非武士集団に受け入れられた。
中世から近世にかけての共同体組織は、
「氏(うじ)」:同祖の血族集団
↓
「家(いえ)」:戸主と家族の共同体
↓
「家(イエ)」:経営体と血族の合体均衡システム
と変遷してゆく。
氏(うじ)から家(いえ)への変遷は、共同体の関心事の一つ、資産管理・継承に関する合理的な手段が、社会の成長拡大につれて細胞分裂を起こしたようなものと考えてよかろう。家(いえ)は氏(うじ)の延長線上にあると思う。
武士集団の場合、氏(うじ)においても家(いえ)においても、AとBのバランスはAに傾斜していた。戦闘者であり為政者でもある武士=男性性による統治、それが<中世武士の思想>で見たことだ。中世武士におけるAの主導的思想・教義は、天道思想と仏教の中の禅哲学である。現世における生死観を説く禅は、世代を超えて、能く武士集団のA側を支えた。しかしこの時代、Bを持続的に支える非血族(養子)による継承システムは、まだ十分機能していなかった。だからBの「自然」な血族が絶えると、組織は上手く継続されなかった。
一方、非武士集団の場合、氏(うじ)においても家(いえ)においても、AとBのバランスはBに偏っていた。Aの主導的思想・教義は仏教の中の浄土思想だが、来世を見据えていた浄土思想は、現世統治には向かなかった。古来からのメンタリティもあって、武士の言動は野卑として退けられる。組織は自ずとBの環境中心の日本語的発想に寄りかかった。多くの場合、Bの「自然」な血族が絶えずとも、世代を超えると内紛が起こった。
徳川幕府は、国家統治における共同体組織の在り方について、中世の欠点を補うべく、斬新な「家(イエ)」システムを導入した。Aの主導的思想・教義には、禅よりも社会性のある儒教(朱子学)を導入。それは武士以外の階層にも受け入れられた。武家においては、Bの「自然」な血族が絶えても非血族(養子)によって運営が継続できるようにし、農工商階層においては、儒教によってA側を強化、世代を超えても内紛が起きないよう工夫した。かくして江戸時代、士農工商、いづれの階層にも共通する、
A 経営体
B 血族
の合体均衡システムができあがり、三百年近く平和が保たれた(勿論内包された歪みはあるけれど)。
家(いえ)から家(イエ)への変遷は、武士の出現あってこそという事実。これが重要だ。日本独自の父性(国家統治能力)は、中世武士の思想を源の一つとしている。武士出現のルーツを探ると同時に、これからの時代に武士のエトスをどう生かすか、さらに検討してゆこう。尚、禅については、以前書いた<
反転同居の悟り>なども参照してほしい。中世の思想・教義に神道を含めなかったが、それについては、ブログ『夜間飛行』「
神道について」を参照のこと。修験道については、<
修験道について>の項に詳しい。