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■オリジナル作品:「百花深処 I」(目次

「百花深処」 <近世の「家(イエ)」について>

 『江戸の思想史』田尻祐一郎著(中公新書)の一読を終えた。その序章「江戸思想の底流」10ページに、「イエ」と題された文章がある。

(引用開始)

 「イエ」と表記して「家」としないのは、近世日本で広く確立した「イエ」が、東アジアの漢字文化圏で一般的に言われる「家」とは異なった独特な構造をもっているからである。それを端的に表すのは、養子と隠居をめぐる、日本の「イエ」を知る者には馴染み深い制度と慣行である。
 養子とは、血縁的な連続にない者を、「イエ」保持のために後継者に選ぶことである。例えば大きな商家においては、何人もの使用人の中から、商才があって人格的にも信頼できる若者を選んで、主人が自分の娘と結婚させて新たな主人に立て、「イエ」の世代交代を果たすことが普通になされる。長い歴史を誇る老舗には、こうして「暖簾」を守ってきたところが多いし、また武家に生まれた次男・三男たちにとっては、条件の良い養子縁組の話を見つけることが主要な関心とならざるをえなかった。
 生業や居所と関わりなく、まさに父祖から子孫への「気」を連続させる男系のタテの繋がりが「家」であると考える中国や朝鮮の観念からは、このような養子慣行は説明できない。日本の「イエ」は、その家産・家名・家業と一体のもの、つまり本質的には一つの経営体であって、経営体としてのイエの維持と発展とが自己目的となっている。均分相続の中国・朝鮮には見られない、跡取りとそれ以外の庶子の間の格差の大きさもこれに由来する。
 隠居もまた、このような「イエ」ならではのものである。経営体としての「イエ」の維持・発展が優先されるから、活力や判断力の衰えた主人は、次の若い主人にその権能を譲ることになる。隠居した者は、「イエ」の経営に口出しをしない。年長者は、年長であるからこそ「家」を支配し、それに見合う権威をもって総計を受けるという中国や朝鮮のあり方とは、ここでもまた異質な面が見える。

(引用終了)
<同書 10−11ページ(フリガナ省略)>

前回の<中世武士の思想>と同じく、近世日本の「家(イエ)」も、中国や朝鮮とは一味違った在り方を示しているという。そしてそれは平和裏に三百年近く続いた。

 これを複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

で考えてみると、どのような組織もAとBの両面を持っているが、近世日本の家(イエ)システムは、両者のバランスが特に上手く保たれたのだろう。Aの英語的発想は当時まだ漢文的発想が主だったろうが。複眼主義ではAとBのバランスを大切に考える。

 士農工商、いづれの階層にも共通する、

A 経営体 
B 血族

の合体均衡システム。Aの経営体としての家(イエ)は、「公(Public)」の性格が強く、Bの「自然」な血族が機能しなくなると、非血族(養子)によって運営が継続された。そのときAとBのバランスは大きくA側に傾くが、選ばれた養子はB側も大切にし、やがてバランスは回復へ向かう。

 この日本独特の仕組みはなかなか面白い。過去へさかのぼって「氏(うじ)」との関係、時を進めて明治以降の家父長制度との関連、さらには戦後の近代家族(核家族)との違いなどを考えることで、日本の父性(国家統治能力)の変遷が見えてくると思われる。
「百花深処」 <近世の「家(イエ)」について>(2017年05月20日公開) |目次コメント(0)

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