前回<
根村才一の憂鬱>の項で書いた、根村才一(ペンネーム丸谷才一)が長編小説『持ち重りする薔薇の花』の構想を途中で変更した件、『丸谷才一』(「文藝」別冊・河出書房新社)に収められた山崎正和氏と三浦雅士氏の対談「丸谷才一を偲ぶ」でも言及されている。
(引用開始)
山崎 もう一つ実話をいうと、彼は『持ち重りする薔薇の花』で、もっときわどい描写をもともとしていたんですって、それで、会ったときに、「今度は、裁判になるかもしれない。そのときはおまえ、特別弁護人で出てこい」というので、「喜んでやるから」という話があった。そうしたらどういうわけか、彼、ひっこめちゃったんだよ、その部分を。
(引用終了)
<同書 183ページ>
対談相手の三浦氏は「いや、それほどのものでもなかったと思うよ(笑い)」と往(い)なしているが、原稿を見ていなければ勝手な言い分だ。幾度も対談したことのある友人(山崎)に根村がここまでいったのなら、何故それが変更されたのかを二人は論ずるべきだろう。
さてこの対談、根村の短編小説『樹影譚』を巡って面白いやりとりがある。山崎氏が、民俗学者折口信夫について「あんなに丸谷氏がほめるのを聞きながら、はっきりいって折口信夫にはいまだに親しめない」というのを受け、三浦氏が次のように話を進める。
(引用開始)
三浦 そのことに関わるんだけど、「折口信夫を一言でいえば」と、丸谷さんが僕におっしゃったことがあるんですよ。
山崎 ほォ。
三浦 「『マレビト』にしてもなんにしても、よく考えてごらん。あれは、俺の本当の親父は違うんじゃないか、俺の本当の母親は違うんじゃないかという幻想が膨らんだ、それであれだけ書いた人でしょう」と、言ったんですよ。
山崎 それは、それは。
三浦 「それが折口の骨子だ、核心だ」と言ったんですよね。僕はそのとき「うん」と言って、その次にこのへん(喉)まで出かかって言わなかったことがあるんですよ。いま思うとすごく残念なんだけど、それは「それって、『樹影譚』じゃない?」という言葉だったんです。
(引用終了)
<同書 189−190ページ>
『樹影譚』という短編小説は、なぜか樹の影を偏愛する主人公の作家古屋が、実の母親だと自称する老婆と出会い、幼少期に自分が樹の影を偏愛していたことを指適される、という不思議な内容で、とくに終り方が印象的だ。『樹影譚』(文春文庫)からその部分を引用しよう。
(引用開始)
古谷は銀屏風を見た。ランプの焔がゆれ、五本の欅の影が、風が渡るようにゆらいで伸び縮みした。影が静まり、また乱れた。彼はそのとき、まことに不思議なことに、自作のどこかに「樹の影」を三度くりかへす登場人物が現れるのをこの女が記憶してゐて、それが狂った意識に働きかけ、かういふ過去を贋造したのだらうとは考へなかつた。自分の母は誰なのかとも、この女が母かもしれないとも思はなかつた。ただ、ざわめく影の樹々のなかで時間がだしぬけに逆行して、七十何歳の小説家から二歳半の子供に戻り、さらに速度を増して、前世へ、未生以前へ、激しくさかのぼってゆくやうに感じた。
(引用終了)
<同書 141−142ページ(フリガナ省略)>
折口信夫も自分の母親が誰なのか悩んでいたが、三浦氏はここで、根村自身も同じ悩みを抱えていたのではないかと考えたわけだ。『丸谷才一』の対談ではさらに次のようにいう。
(引用開始)
山崎 たとえば、故郷(ふるさと)に対する感覚。これは、書くと山形の人に悪いんだけど、丸谷はほとんど鶴岡のことを書いていない。『樹影譚』では、故郷に帰るんだけど。
三浦 でも中国地方になっている。
山崎 鶴岡とは書いていない。要するに鶴岡という町についてはほとんど言及していない。(中略)
三浦 丸谷さんとしてはあまり話題にしてほしくないことかもしれないのですが、ぼくは、『樹影譚』は、きわめて本質的な意味で、実話だという説なんですよ。
(引用終了)
<同書 191−192ページ>
山形県鶴岡の開業医の、齢の離れた次男として生まれた根村才一。父親と母親以外の女性との間で『樹影譚』のようなことがあったとしてもおかしくはない。三浦氏のいうようにそれが実話だとしたら、興味深いのは根村の自己韜晦の仕方だ。
『樹影譚』は勿論フィクションとして書かれている。しかし<根村才一の憂鬱>の項でも引用した鹿島茂氏は、毎日新聞書評「この3冊・丸谷才一」で、『特装版・樹影譚』について次のように書いている。
(引用開始)
『特装版・樹影譚』は一冊で小説家・丸谷才一を知るのに最適の本。とくに表題作の「樹影譚」は賛嘆措くあたわざるという表現がぴったりの傑作。これを読んだ小説家はみんな自分がモデルではないかと思うと同時に「やられた」と嫉妬した。小説家・丸谷才一の技法と語り口、その人間への興味の持ち方などすべてがぎっしりと詰め込まれている。傑作の誉れ高い『横しぐれ』の構成が雑に見えてくるほどである。特装版には『玩亭新句帖』、和田誠氏の『装丁物語』の抜粋と三浦雅士氏の『出生の秘密』から『樹影譚』に関する部分が添えられている。
(引用終了)
<毎日新聞 10/21/2012(フリガナ省略)>
三浦雅士氏の『出生の秘密』とは、講談社から2005年に出版された600ページの著書で、その最初(と最後)に『樹影譚』のことが書いてある。三浦氏は(同書にあからさまにそう書いてあるわけではないが)「ぼくは、『樹影譚』は、きわめて本質的な意味で、実話だという説なんですよ」と言っているわけだから、特装版にわざわざそれを転載したのは、根村自身が「これは実話かもしれませんよ」とヒントを与えているようなものだ。
平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)に、折口信夫をモデルにした短編小説がある。『三熊野詣』がそれだ。折口が人生の最後に、昔自分には愛した女性がいたというフィクションを、自己韜晦を演じつつ弟子の常子に信じさせようとする物語だが、上の引用にあるように、折口は「俺の本当の母親は違うんじゃないかという幻想」を抱いていて、根村は「それが折口の骨子だ、核心だ」と思っていた。<根村才一の憂鬱>で引用した『書物の達人 丸谷才一』菅野昭正編(集英社新書)収録の「官能的なものへの寛容な知識人」という鹿島茂氏の寄稿文には「おそらく丸谷さんは折口信夫を自分と重ねあわせていらっしゃったのではないかと思います」とあった。さらに同寄稿文には、
(引用開始)
僕が病室に訪ねていったときに、「やはり、折口信夫という人の面白さとわからなさというのは、その隠したいと表したいとが混在しているところにある」と、はっきりと口に出しておっしゃいました。僕は思わず、「でも、それ、丸谷さんのことじゃないですか」と、言いたくなったけれども、ぐっとこらえました。
(引用終了)
<同書 150ページ>
ともある。
方向は逆だが自己韜晦という点で、『三熊野詣』の中の折口と、『樹影譚』における根村は極めて近いところにいる。『三熊野詣』では折口が自己韜晦しながら昔愛した女性というフィクションをつくり、『樹影譚』では根村が自己韜晦しながら母親に関する実話をフィクションとして描く。根村はさらに死の4年前(2008年)に『特装版・樹影譚』で「これは実話かもしれませんよ」と自己韜晦を重ねた。折口に自分を投影していた根村が、平岡の『三熊野詣』を読んで、『樹影譚』創作を思いついた可能性もあるように思うがいかがだろう。