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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <平岡公威の冒険 12>

 <平岡公威の冒険 10>の最後に書いたように、上昇機運時の『アポロの杯』(紀行文)と『小説家の休暇』(日記的評論)、恋人と別れた後の『旅の絵本』(紀行文)と『裸体と衣装』(日記的評論)、二つのペア作品の違いを見ていこう。この四作品は、

1952年(昭和27年)『アポロの杯』
1954年(昭和29年)恋人との出会い『小説家の休暇』
1957年(昭和32年)恋人との別れ
1958年(昭和33年5月)『旅の絵本』
1958年(昭和33年6月)結婚
1959年(昭和34年)『裸体と衣装』

という時系列で書かれた。まずはそれぞれが収録された文庫カバー裏表紙から、作品の紹介文を引用する。

(引用開始)

初めて欧米に旅したときの新鮮な感動を「航海日記」「北米紀行」「南米紀行―ブラジル」「欧州紀行」「旅の思い出」からなる長編紀行として結晶させた表題作。<『アポロの杯』(新潮文庫)>

芸術および芸術家にかかわる多岐広汎な問題を、日記の自由な形式をかりて縦横に論考、警抜なパラドックスと示唆に充ちた表題作。この評論には三島文学の全体を形成する重要な諸要素のすべてが含まれており、著者の哲学の原点を示すものと言うことができる。<『小説家の休暇』(新潮文庫)>

昭和32年7月から33年1月にかけて、アメリカをはじめ、メキシコ、ドミニコ、ハイチ、さらにはスペイン、ローマ、ギリシャを訪れた際の紀行文、見聞録、観劇記からなる「旅の絵本」。<『外遊日記』(ちくま文庫)>

文壇の寵児の超人的生活の表と裏、国際的作家として脚光を浴び始めた著者の充実した日々を、日記の形で自由に綴った「裸体と衣装」。<『裸体と衣装』(新潮文庫)>

(引用終了)

以下、それぞれの作品からいくつか特徴的な文章を拾ってみる。

(引用開始)

 希臘は私の眷恋の地である。
 飛行機がイオニアか海からコリント運河の上空に達したとき、日没は希臘の山々に映え、西空に黄金にかがやく希臘の冑のような夕雲を見た。私は希臘の名を呼んだ。その名はかつて女出入りにあがきのとれなくなっていたバイロン卿を戦場にみちびき、希臘のミザントロープ、ヘルデルリーンの詩想をはぐくみ、スタンダールの小説「アルマンス」中の人物、いまわのきみのオクターヴに勇気を与えたのである。<『アポロの杯』(新潮文庫)108ページ(フリガナ省略)>

 しかし日本文化の感受性は稀有のものである。これこそどんな民族にも見当たらぬほどに徹底したものである。(中略)日本文化の稀有な感受性こそは、それだけが、多くの絶対主義を内に擁した世界精神によって求められている唯一の容器、唯一の形式であるかもしれないのだ。(中略)とにかくわれわれは、断乎として相対主義に踏み止まらねばならぬ。宗教および政治における、唯一神教的命題を警戒せねばならぬ。幸福な狂信を戒めねばならぬ。<『小説家の休暇』(新潮文庫)113−117ページ(フリガナ省略)>

 熱帯と死の情緒とは、私のいつに渝らぬ主題であるけれど、どうしてこの二つが緊密に私の中で結びついてしまったのかわからない。ハイチで病んでいたときも、メキシコのユカタン半島で病んでいたときも、私をたえずこの二つのものの結びつきが魅していた。<『外遊日記』(ちくま文庫)7ページ(フリガナ省略)>

「鏡子の家」のそもそもの母胎は、一九五三年の夏に書いた「鍵のかかる部屋」だと思われる。この短編小説はエスキースのようなもので、いずれは展開されて長編になるべき主題を含んでいたが、その後五年間、ついぞ私は、「鍵のかかる部屋」の系列の作品を書かなかった。(中略)
「鏡子の家」は、いわば私の「ニヒリズム研究」だ。ニヒリズムという精神状況は、本質的にエモーショナルなものを含んでいるから、学者の理論的探求よりも、小説家の小説による研究に適している。<『裸体と衣装』(新潮文庫)183−184ページ(フリガナ省略)>

(引用終了)

 詳細は各作品をお読みいただきたいが、前者(『アポロの杯』と『小説家の休暇』)に特徴的なテーマは、アポロン(理性)的美意識と相対主義、後者(『旅の絵本』と『裸体と衣装』)のそれは、熱帯と死の情緒の結びつきとニヒリズムである。

 勿論内容は多岐に亘るが、全体的に、前者は前向きで明るく、後者は後向きで暗い。前者時期(1956年・昭和31年)に書かれた小説『金閣寺』は「生きようと私は思った」というポジティブな言葉で終り、後者時期(1959年・昭和34年)に書かれた小説『鏡子の家』は「ひろい客間はたちまち犬の匂いに充たされた」というネガティブな文章で終る。

 平岡公威(直面)と三島由紀夫(仮面)という対比で見れば、前者は仮面を脱いで直面で生きようと考えた時期、すなわち三島の平岡化の時期、後者は直面ではやはり生活できないと考え始めた時期、すなわち平岡の三島化が本格的に始まった時期(文壇の寵児の超人的生活!)といえるだろう。

 以上、『アポロの杯』と『小説家の休暇』、『旅の絵本』と『裸体と衣装』、二つのペア作品の違いを概観した。ここまで平岡の早すぎる死を、

(1)「時間論の混乱」(「平岡公威の冒険」)
(2)「私生活上の行き詰まり」(<平岡公威の冒険 2>)
(3)「熱狂時代の先取り」(<平岡公威の冒険 4>)
(4)「戦後日本の父性の不在」(<平岡公威の冒険 5>)
(5)「三島由紀夫の解体」(<平岡公威の冒険 9>)

と追ってきたが、この1950年代後半は、恋人との破局、結婚生活の始まりの段階だから、まだ(2)「私生活上の行き詰まり」までは行っていない。しかし、(3)「熱狂時代の先取り」は、この「熱帯と死の情緒の結びつき」の頃から始まったといえよう。(4)「戦後日本の父性の不在」が彼の行動と結びつくのもこの時期からのことだ。表面的には国際的作家として脚光を浴び始めたけれど、内面的にはニヒリズムが忍び寄っていた。

 新潮社の編集者であり平岡を担当していた小島千加子さんの『三島由紀夫と檀一雄』(ちくま文庫)という本に、「以前、アメリカでだけど、たった一人で六ヶ月間暮らしてみたことがあるんだよ。そのときの経験で、人間はとても一人では生きられるもんじゃないってことは身に沁みて分かっているんだ」という平岡の言葉が載っている(83−84ページ)。この「アメリカでの生活」は『旅の絵本』にある1958年のニューヨークでの貧乏生活を指しているだろう。恋人と破局した直後のことだから、異国での単身生活は(自由ではあったが)身に堪えたに違いない。彼が瑤子夫人と結婚するのは翌年6月のことである。
「百花深処」 <平岡公威の冒険 12>(2016年06月27日公開) |目次コメント(0)

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