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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <平岡公威の冒険 8>

 平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)の小説も見ていこう。まずはその遺作となった『天人五衰』(『豊饒の海』第四巻)から。ここに丁度良い手引書がある。『三島由紀夫 幻の遺作を読む』井上隆史著(光文社新書)がそれで、平岡没後40年の2010年(平成22年)に出版された。この本については以前ブログ『夜間飛行』「新書読書法(2010)」の項で、

(引用開始)

 去年は平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)の没後四十年ということで、様々な本が出版された。この本もそのうちの一つ。“豊饒の海”四部作は発表された時に読んだけれど、40年経って初めて、作品のラストを巡る納得のいく解釈に出会ったような気がする。「皮膚感覚」の項にも書いたけれど、平岡氏は「精神と肉体」という二元論を身をもって追及した人で、最後は「戦後の欺瞞性」を座標軸に据えてそれに体をぶつけて死んでしまった。井上氏の想像するようなラストがあり得たならばその死も無かっただろうけれど、そのためには「精神と肉体」という袋小路的な二元論から脱する、別の契機が必要だったように思う。

(引用終了)

と書いたことがある。2011年2月ことだから、今から凡そ5年前だ。ちなみに当シリーズの第1回「平岡公威の冒険」を書いたのは、それから7ヶ月後の同年9月である。

 改めて『三島由紀夫 幻の遺作を読む』のカバー表紙裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

三島由紀夫は昭和四十五年十一月二十五日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた。その死の当日、遺作となった小説『豊饒の海』の第四巻『天人五衰』の最終原稿が、編集者に渡された。
ところが、「創作ノート」と呼ばれる三島のノートには、完成作とは大きく異なる内容の最終巻のプランが検討されていた。
近年、調査が進んだ「創作ノート」と、『豊饒の海』の重要なテーマである仏教の唯識(ゆいしき)思想に基づいて、三島が検討していた幻の第四巻の作品世界を仮構し、そこから三島の自殺の意味と、三島文学が書かれ、かつ読まれた場である戦後日本の時空間について再考する意欲作。

(引用終了)

ということで、この本の面白いところは、平岡が当初に検討していた『豊饒の海』のラストを発展させて、幻の第四巻として仮構したところである。本の副題には「もう一つの『豊饒の海』」とある。

 『天人五衰』のラストの不条理さは、平岡の分身である本多繁邦が、最後奈良の月修寺にて、第一巻『春の雪』のヒロイン綾倉聡子たる門跡から、『春の雪』で彼女の恋人だった松枝清顕について、「その松枝清顕さんという方は、どういうお人やした?」「松枝さんという方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、何やらお人違いでっしゃろ」と、その存在を全否定されてしまうところにある。この小説は、第一巻『春の雪』の松枝清顕、第二巻『奔馬』の飯沼勲、第三巻『暁の寺』のジン・ジャン、それぞれの主人公が二十歳で死んで、清顕→勲→ジン・ジャンと転生する物語だから、清顕がはじめからいなかったとすれば、飯沼勲もジン・ジャンもいなかったことになる。第四巻『天人五衰』の主人公安永透は、二十歳で死なず贋物である疑いが濃厚であるから、この四巻を通して語られてきた「転生」そのものがなかったとすれば、それをずっと追いかけてきた本多自身もいなかったことになりかねない。

 井上氏は、平岡の「創作ノート」を手がかりに最後の平岡の思考過程を追い、こういった不毛とも取れる最終巻を、『天人五衰』とは違った筋立てによって救い出そうとする。その筋立ては第九章で展開される。詳しくは同書をお読みいただきたいが、井上氏は、『豊饒の海』においては「転生」が「救済」として位置付けられていると論じる。『天人五衰』では贋物の疑い濃厚だった透は、従ってここでは本物として蘇ることになる。そしてまた本多自身にも転生の可能性が与えられる。本多は綾倉聡子たる門跡とも会うが、門跡は松枝清顕の存在を否定するのではなく、本多の語る輪廻転生についてのみ「それも心々ですさかい」と言うように変更される。最後本多は病院を出てゆく透を追う。その部分を同書から引用しよう。

(引用開始)

 その瞬間、本多の目に透の姿は清顕、勲、ジン・ジャンと二重、三重、四重写しになって見える。今度こそ透は本物の転生者へと変貌した。かすれゆく意識のなかで、本多はそう思う。夏の光に輝く転生者の姿は美しかった。それは本多の阿頼耶識であると同時に、転生者の阿頼耶識そのものでもあった。清顕、勲、ジン・ジャンらとともに生きてきた本多の全生涯と世界の全貌も蘇ってきた。
 死期が迫った自分が、こういう瞬間に立ち会うことができたのは恩寵である。あるいは私はこのまま死ぬかもしれない。自分が解脱するとは思えないが、それでもいいと思った。もし転生するのであれば、再び愚かしい業を重ねる人生を生きるに違いないだろうが、そのことによって、自分は既に救済されているのである。
 背後で本多が倒れたのも知らず、透は夏の日のなかを歩み去っていった。

(引用終了)
<同書 228−229ページ>

「新書読書法(2010)」でも書いたようにここまでは納得がいく。

 このあと井上氏は、もしこうして平岡が虚無を乗越え救済へと至る道筋を探り当てたとすれば、彼の割腹自殺はなかっただろうとし、この仮構された『豊饒の海』は遺作ではありえないことになるという。だから逆に、実際に書かれた『豊饒の海』第四巻と平岡の自決は、はじめから合わせて一つになるような一対の計画として考えられたのだろうとする。同書からさらに引用しよう。

(引用開始)

 これは、自身の内部に巣食う虚無から癒されることは決してありえないと覚悟した三島が、世界崩壊の脅威を一身に受け止める他ないと思い定め、『豊饒の海』において虚無というものを、これ以外にはない形で描きぬこうと決意したことを意味する。(中略)三島がこのようなことを試み、他に類例を見ない深さにまで掘り下げているおかげで、私たちは日常生活において虚無の脅威に脅かされることから免れ、守られているという見方も成り立つだろう。(中略)
 ここから三島の考えはさらに先へと進んだ。すべてが虚無に終るということは、そこではあらゆる意味が消滅し無化するということだが、『天人五衰』の大破局(カタストロフィー)がそのようなものだとすれば、これに対して現実の時間における三島自身の死を意味あるものとすることはできないだろうか。そのようにして両者を厳しく対比し、無意味と意味とを拮抗させる。そうすることによって、無意味は一層無意味に、意味は一層意味へと深まるのではないだろうか。

(引用終了)
<同書245−247ページ>

つまり井上氏は、『豊饒の海』という作品と平岡自身の死が、無意味と意味という形で拮抗していたと考えるわけだ。

 もし作品の時間と、実際に生きる時間とが同一時象にあり、どちらかを選ばなければならないとすれば、人は作品の中に生きることは出来ないから、必然的に、実際に生きる時間の方を選ぶことになる。そして、時を止めることに意味を見いだそうとするならば、作品を捨て、自死を選ぶしかない。平岡はたしかにそのように考えたのだろう。その結節点が、作品の擱筆日であり自決の日でもあった11月25日ということになる。「転生」が「救済」だと考えていたから、平岡は自決の際の鉢巻に「七生報国」と書いた。

 しかし、(井上氏は言及していないが)これは明らかに時間論の混同だ。作品を考える「脳の時間」と、実際に生きる「身体の時間」とは、同一の時象にはない。私が「新書読書法(2010)」で書いた「別の契機」とは、この時間論の混同から抜け出る契機を指す。だから7ヵ月後、そのことを「平岡公威の冒険」に、「“見る者”と“見られる者”はそもそも異なる時間に属している」と論じたのである。

 平岡もこのこと(時間論の混同)にうすうす気付いていたのではないか。『天人五衰』に次のような箇所がある。本多の財産が戦後殖えたことを描いた場面で、彼は次のように書く。

(引用開始)

 人々はそうやって財産が少しずつ増えてゆくと思っている。物価の上昇率を追い越すことができれば、事実それはふえているのに違いない。しかしもともと生命と反対の原理に立つもののそのような増加は、生命の側に立つものへの少しずつの侵蝕によってしかありえない。利子の増殖は、時の白蟻の侵蝕と同じことだった。どこかで少しずつ利得がふえていくことは、時の白蟻が少しずつ着実に噛んでゆく歯音を伴うのだ。
 そのとき人は、利子を生んでゆく時間と、自分の生きてゆく時間との、性質のちがいに気づく。……
(引用終了)
<同書 120−130ページ(フリガナ省略)>

ここで平岡は、利子の増加という「都市の時間」と、生命という「身体の時間」とを対比しその性質の違いに言及する。しかし平岡はすぐそのあと、次のように書く。

(引用開始)

あらゆる老人は、からからに枯渇して死ぬ。ゆたかな血が、ゆたかな酩酊を、本人には全く無意識のうちに、沸き立たせていたすばらしい時期に、時を止めることを怠ったその報いに。

(引用終了)
<同書 131ページ(フリガナ省略)>

しかるべきときに時を止めることこそ、「救済」であるというわけだ。小説の中ではあるが、ここで平岡は、性質の違う「都市の時間」と「身体の時間」とを、同一時象に置いてしまう。片方を無意味にするためにはもう片方を止めるしかないと考えてしまう。「脳の時間」と「身体の時間」とを同一時象に置いてしまったように。ここに彼が死に急ぐ理由(の一つ)があったと思う。時間論の詳細については、ブログ『夜間飛行』「複眼主義の時間論」などをお読みいただきたい。

 井上氏は『三島由紀夫 幻の遺作を読む』本文で無意味=虚無とした『天人五衰』の最後、月修寺の庭の場面について、エピローグでは次のように書く。

(引用開始)

 そこには何もないという。
 しかし、庭があり、蝉の声が響き、夏の日ざかりの日がある。これら物象がある。物象しかないのではなく、物象が、物象と言って悪ければ現象は常にあるのだ。
 虚無そのもののうちに終る『天人五衰』をこのように読み替えることができるならそれはぎりぎりの局面で私たちを救済する場面となるのではないだろうか。なぜならそれは、全てが崩壊した後に、なおかつ何かが存在していることを示しているからである。
これは、生前の三島のあずかり知らない、いわば、さらにもう一つの『豊饒の海』の世界、と言うべきものかもしれない。
 もし現代の日本が本当に後戻りできぬ程空洞化の極まった状況にあり、それにもかかわらず私たちが生きようとするのであれば、まさにこのような場所から歩み始めなければならない。私にはそう思われる。
 そして、それが具体的にどのような生を意味するかということは、私たち皆に与えられた問いかけなのではないだろうか。

(引用終了)
<同書 254−255ページ(傍点省略)>

私も月修寺の庭をこのように読む。平岡も実は一方でそう考えて著作を残したのではないか。その夏の庭は、私が小説『太陽の飛沫』冒頭に描いたニューロッシェルの街路へと続いている。 

参考:

平岡公威の冒険」(『夜間飛行』)
平岡公威の冒険 2>(『百花深処』) 
平岡公威の冒険 3>(『百花深処』)
平岡公威の冒険 4>(『百花深処』)
平岡公威の冒険 5>(『百花深処』)
平岡公威の冒険 6>(『百花深処』)
平岡公威の冒険 7>(『百花深処』)
「百花深処」 <平岡公威の冒険 8>(2016年04月20日公開) |目次コメント(0)

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