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■オリジナル作品:「古い校舎に陽が昇る」(目次

「古い校舎に陽が昇る」 第9回

第九章

 翌朝、少し遅く町役場に出勤した臼井助役は、『東京瀬田区特別養護老人ホームの域外整備候補地について』と題された資料を鞄から取り出した。そして十時からの産業建設委員会に諮るために、委員人数分のコピーを庶務課の立花真由に命じた。しかし資料を受け取った立花はしばらくして戻ってくると、「コピー機の調子が悪いのか全てのページに大きなXマークが出ます」といった。
「なに?別の階のコピー機を使えばいいじゃないか」
「それも試したんですが駄目なんです」
「どんな問題があるんだ!委員会まで時間がないんだぞ」臼井が怒鳴った。
 怒鳴り声をきいて庶務課の富岡礼子課長が助役の席へやってきた。
「助役、どうしたんですか、そんなに怖い顔をして」
「こいつがこのコピーに変な文字が写るっていうんだ。新入りじゃあるまいし」
「変ですね、さっき他の書類のコピーを取りましたけれど問題ありませんでしたよ」
「そんな馬鹿な」臼井は富岡と立花を従えて自らコピー機のところへ行った。資料を置いてボタンを押くと、確かに排出トレイに出てくるのはオリジナルの上に大きなXマークが付いた紙である。富岡はコピーの印刷濃度を一杯に高くしたり、カラーの代わりに白黒に設定したり、用紙を替えたりした。しかしトレイから出てくるのはマークの付いたものばかり。
「これじゃ委員会で配れない」臼井が焦って叫んだ。
「もしかすると資料の方に問題があるのでは?」富岡がいった。
「そんなわけないだろう」
「スキャナーでパソコンに取り込みましょうか?」
「そんなことが出来るのか。早くやってくれ。委員会まであと五分しかない」
 富岡は自分の机のところへ戻り、スキャナーに資料をセットしてパソコンに取り込もうとした。しかし何度やってもうまくいかない。なぜか取り込んだデータにもオリジナルの上におおきなXマークが映し出されるのだ。
「駄目ですね、資料なしでお話できませんか」富岡がいった。
「そんなことできる訳ないだろう。資料を渡して読むように言うのがわしの仕事なんだから」臼井が目を剝いていった。
「庶務課総出で資料を人数分手書きしても、今からじゃ間に合いませんね」
「ええ、もういいわ。委員会のところに行って、今日は議案を取り下げるといってきてくれ」臼井はとうとう諦めて富岡にそう頼んだ。

 産業建設委員会では、臼井助役の案件が取り下げられたので、急遽井上春人から提出された『古い校舎に陽が昇る』プロジェクトを審議することとなった。臼井は自分の案件を取り下げたのに委員会が長引いているのでなにかと思って会議室を覗いてみた。すると小学校校舎の改築というとんでもない案件が審議されているのを知った。ストップしようとしたが、委員会はすでに井上のプロジェクト計画を承認し、改築の具体案が出たところで改めて委員会でその可否を判断するということで結審していた。これで臼井の案は、井上の改築具体案が委員会で否決されなければ提出できないこととなった。

 委員会が終ったあと、臼井は島田に資料の不備について文句を付けようと思い、念のために机の上に投げ出したままになっていた資料をもって、コピー機のところまで行った。そのとき資料の紙質がさっきとどこか違うような気がした。それでも深く気にせず、まず表紙をコピー機かけると、排紙トレイからは綺麗に『東京瀬田区特別養護老人ホームの域外整備候補地について』とコピーされた紙が出てきた。臼井は驚いて富岡課長を呼んで「コピー機が直っているぞ。どうなっているんだ!」と喚いた。富岡課長は落ち着いた表情で「良かったですね、これで普通の仕事に戻れます」とだけいった。

 ……昨日の夜、西野グランド・ホテルのフロントでは、午後八時過ぎに、係りが県庁の島田という男性から臼井峰雄宛の封筒を預かった。すると、エレベーターから臼井と思しき初老の男性が降りてきた。男はフロントのとこへ来ると、1025室の鍵を見せ、「いま私宛の封筒が届いただろう。チェックインするときは部屋のドアの下から差し入れておいてくれと頼んだけれど、届け主からいま電話で至急見て欲しいと連絡があった。だからこうして下まで取りにきた」といった。フロント係は鍵番号が臼井の部屋と一致するので預かった封筒を差し出した。横に、臼井のチェックインを担当した係りもいた。彼は男を見て先程チェックインした臼井であることに何の疑いも挟まなかった。
「ありがとう。明日の朝のフロント係は代わるんだろ」臼井が聞いた。
「ええ、別の者が担当いたします」
「そうか、わかった」臼井はゆっくりとエレベータ・ホールの方へ戻っていった。

 臼井、いや変装した綾木孝二郎は、念のために10階で一度エレベーターを止めた。そのあと13階まで階段を上がって自分の部屋に戻った。部屋では石田と沙織が孝二郎を待っていた。孝二郎は「うまく資料を手に入れましたよ」といって封筒を掲げた。ロビーを見張っていたボーイ姿の裕太も戻ってきた。四人は、持ち込んだ印刷機を使って島田の資料を複製した。その印刷機には特殊な紙が装着されていた。有価証券など不正な印刷を防止するだめの用紙で、普通のコピー機で印刷すると、隠されていた文字が浮かび上がる仕組みになっていた。印刷が終ると、ボーイ姿の裕太が1025室のドアの下にそっとその複製を差し入れた……。

「有難う御座いました!」産業建設委員会が終った午後、木村さつきがそういいながら石田の店に入ってきた。「井上さんの計画が承認されましたね」
「いやあ、上手くいったね。まだ仮承認といった段階だけど」石田がいった。「綾木って人は本当に天才だな!思っていた通りに事が運んだじゃないか」
「Uさん、困りきった顔をしてました」
「そうだったな、俺は井上と一緒にいたけれど、Uさん、途中で慌てて入ってきて、おれたちのプロジェクトが承認されたと知って愕然としていた」
「わたし、綾木さんにいわれたミッションをうまく遂行出来ました!」さつきが得意そうにいった。
「ああ、あれか。資料を元のものに戻すってやつ」
「田宮さんが用をつくってUさんを部屋から連れ出す手筈になっていたのだけれど、その前にUさん、委員会を途中で覗きに行ったでしょ。あのとき、さりげなく彼の席へいって資料を替えました」
「綾木先生、さっきまでここにいたけれど、俺が戻って上手くいきましたって言ったら喜んで、小学校の校舎をもう一度見てきますって、車で行っちゃったよ。今夜彼を家に呼んであるんだけど、どう?一緒に」
「あら残念です、今日はこれから母と温泉に行く予定なんです」
「いいね、早退かい」
「はい。綾木さんとはまたお会いできますよね」
「勿論さ。それにしても今度の件、先生のいったとおり、警察沙汰になりようがない見事な手さばきだったな。最終的には、Uさんの手元に本物があるわけだし」
「そうなんですよ。Uさんご本人もなにがなんだか分からなかったんじゃありませんかね」さつきはそういって気持ち良さそうに微笑んだ。

 その夜、孝二郎を家に呼んだ石田は、妻の優紀子も交えて祝杯を上げた。食卓には刺身やてんぷら、その他、優紀子が手によりをかけて作った散し寿司や郷土料理が並んでいる。酒は地元の『霙山』である。石田は孝二郎との西野グランド・ホテルでの冒険をすこし大袈裟に優紀子に説明した。
「ホテルの鍵、沙織さんの助けがなかったら複製できなかったですね」孝二郎がいった。
「旧式でね、あそこのはまだ。さっき電話したら楽しかったっていってましたよ、彼女。あんな仕事は初めてだったって。綾木さんにぜひ宜しくとのことでした」
「今度はぜひ本職のアクセサリーの腕前を拝見したいですね」
「裕太くんも面白がっていましたね」
「さっき事務所で会いました。またやりましょう、なんていってましたよ」
「高見君だけ蚊帳の外で悪いことしたな。今度うちの連中みんなと、井上くんや役場の木村さつき、田宮さんも入れて『古い校舎に陽が昇る』プロジェクトの発足会を開きますよ。そのときは是非参加してください。先生の事務所の方々も来られるといいな」
「有難うございます。かれらにもお手伝いしている先と会う機会が必要ですね」

 夜が更けた頃、杉浦町長が久しぶりに石田の家を訪ねてきた。
「今日の件、有難う御座いました」食卓に着くと杉浦は二人に頭を下げた。
「いや、なにもしちゃあねえよ」石田は照れたように胡麻塩頭を掻いた。
「石田さんが東京で斉藤商事さんと話を進めて下さり、私としては感謝の言葉もありません。なにより今日は臼井助役の案件が提出されなくて本当に良かった。そのあと委員会が井上さんの案件を受入れる方向で動いてくれて」
「今日のことは俺よりこの綾木先生がお膳立てしてくださったんだ」
「そうでしたか。先日飯森ワイナリーにご一緒したときから、信頼できる方だと思っておりましたが大変お世話になりました」杉浦が孝二郎に礼をいった。
「それはそうと、きみはまだ、Uさんに後を付けられてるのかい?」石田が尋ねた。
「それが臼井助役、奥さんに浮気がバレてしまって、私の尾行どころじゃなくなっちゃったらしいですよ」杉浦が愉快そうにいった。「なんでも今日の午後、臼井さんの奥さん宛に封筒が送られきたんです。奥さんが開けたら、昨夜長野市のクラブでホステスと一緒に遊ぶ臼井さんの写真が入っていて、今回仕事で遅くなるから泊まるっていう話が嘘だったってバレちゃったんですよ。奥さんが役場に来てみんなに写真を見せたものだから大騒ぎになっちゃって」
「へえ、そんなことがあったのかい」
「ご本人は濡れ衣だってこぼしてましたが」
 石田は孝二郎がニヤリと笑ったのを見逃さなかった。「わかった、そういうことか!西野グランドで仕事が終ってから沙織さんを帰し、僕ら二人が寝袋で寝ようとしたら綾木さん、お一人でどこかへ出かけましたよね。ちょっと一杯引っ掛けてくるなんていって。帰ってきたとき音で目が覚めましたが、真夜中過ぎだったんじゃないかな、どこへ行って何をしてらしたんです?」
「あの夜、せっかく変装したのにそれをすぐ解くのはもったいないから、もうひと仕事しておこうと思ってクラブへいったんですよ、石田さんが以前名前を挙げておられた」
「Uさんのお相手が働いているクラブですな」
「そこで適当に遊んで撮った写真が、今日奥さんの手に渡ったわけです」
「やっぱり!ところで奥さんの住所はどのようにして?」
「石田さんの事務所に貼ってある地図にUさんの家の場所がマークしてありました。最初に来た時、地図にいろいろな場所がマークしてあるのを覚えていたんですよ。高見さんに臼井さんのお宅かどうか確認したらそうだって。石田さんの御宅も書き込んでありますね。それを頼りに、さきほど車で直接行って写真をポストに投函したんですよ、注意を引くために呼び鈴も鳴らしました」杉浦町長が驚いた顔で綾木の話を聞いている。
「そうか小学校を見に行くというからてっきり騙された」石田がいった。

 酒が進んだところで、「ところで君、まだ独身だろ、Uのような心配はないが、へんな女に引っかかる危険性はあるよな」と石田が杉浦にいった。
「そんな、僕は品行方正ですよ」
「そういうやつほどあぶないんだ」
「いや、これで次の選挙にも出る自信が湧いてきました。考えてみれば私もこれまでびくびくしすぎていました。尾行されても別に悪いことをやっているんじゃないんだから、気にしなきゃいいんですよね」杉浦がいった。
「空き家登録制度に絡んで、Uからとんでもない攻撃をしかけられたって聞いたけど、なんだったんだい?」
「賄賂をもらったという、ありもしない話をでっち上げられたんです」
「それで死んだ振りかい」
「尾行されたりもして、役所の経験が浅かったから怖くなってしまって」
「で、田宮君が木村さおりを通して俺に話したわけか」
「まあ、そういうことです。ところで石田さんはどうするんですか。田宮君から聞きましたが、引退するとかしたいとか」
「いやあ、今度のことで少し伸ばそうかと」
「それは嬉しいな。これから私も死んだ振りじゃなく、死んだ積もりで頑張りますよ。そうそう、来年度の予算に、少し規模を縮小した空き家登録制度を復活させようと思ってます。先輩、これからも応援お願いします」杉浦が力強くいった。
「そうかい、それはどうも。今日はいい日だ、綾木先生も泊まっていくんだ、君も一緒に泊まっていきなよ」石田は上機嫌で、キッチンに戻っていた優紀子に「おおい、町長さんも交えて、四人でもう一度乾杯しよう」と声を掛けた。<続く>
「古い校舎に陽が昇る」 第9回(2016年03月20日公開) |目次コメント(0)

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