文学(小説)の電子書籍コンテンツ・サイト「茂木賛の世界」


ここから本文です。(クリックすると本文を飛ばしてメニューに進みます)

■オリジナル作品:「古い校舎に陽が昇る」(目次

「古い校舎に陽が昇る」 第7回

第七章

 翌日の夕方、綾木孝二郎は、吉井優一、菜津子とオフィスの丸テーブルを囲んでいた。「石田商店の件、ここまでの話をまとめてみよう」孝二郎がいった。「僕は昨日、杉浦町長に会ってきた。飯森小学校も見てきたし、夜は県庁の柴崎さんからも話を聞くことができた。吉井くんは一昨日斉藤商事さんの所へ行ってくれたんだね。菜津子は石田さんの娘さんと会った。どうだった、まず菜津子の話から聞こうか」
「彼女の名前は石田みどりさんといいます。学芸員というからお硬い感じの人かと思ったら、優しくて父親思いのとても素敵な方でした。彼女はいま展覧会の準備で忙しいのですが、それが一段落したら瀬田区の美術館に勤めている川添はるかさんと三人で会うことができそうです。はるかさんのボーイフレンドが斉藤利明さんです」
「そう、彼とは一昨日僕が会ってきた」吉井がいった。
「みどりさんとはるかさんは、同じ学芸員という仕事なので、ときどき会って情報交換をしているそうです」
「父親が石田さんの元同僚ということだったね。はるかさんが斉藤商事と石田商店との間を繋いだ。三人で会うのはいつ頃になりそう?」
「みどりさんはカタログの校正を担当しているので、最終稿の確認が終れば一息つけるといっていました」菜津子はそういって『ブリューゲル展』と書かれたパンフレットをテーブルの上に置いた。「展覧会が始まるのは来月ですから、今月末にはお会いできるのではないかと」
「これね、この『雪中の狩人』もウィーンから来るのか」孝二郎はパンフレットを眺めながら感慨深げにいった。「有名ですよね、この絵」菜津子がいった。
「展覧会がオープンしたら観に行きたいな。飯森の話に戻るけれど、石田さんの話では、今月第三週、つまり来週の金曜日に開かれる産業建設委員会に臼井助役が提出しようとしている特養の建築プラン、そう例の小学校を壊して建てる方の計画だけれど、その提出をなんとか阻止できれば、石田さんが井上春人くんと計画している小学校改築プランの方の暫定承認が得られるかもしれないということだったね。校舎の有効利用は前から町長が進めていた案件で、予算がないから町主導では出来ないということだったけれど、井上くんの会社が自分でファイナンスして改築することになれば議会も反対する理由がなくなる」
「はるかさんとお会いする時、石田さんたちの計画が通っているといいですね」
「瀬田区の特養域外整備の話も諦める必要はないんだよ。別の話にはなるだろうが。はるかさん経由で区役所の福祉担当課長さんと会って、石田さんの計画を説明しておくのは無駄ではないとい思う。吉井君、斎藤商事さんのところはどうだった?」
「会ったのは利明さんというはるかさんのボーイフレンドの方ですが、すでに副社長としていろいろと任されているようでした。彼はなかなか頭が切れそうですね。契約はタフなものになりそうです。地元信用金庫の融資条件や、県からの補助金、町の援助などについては石田さんから説明を受けました。小学校改築費用の概算、運営費用などについては概ね妥当だと思われます。斉藤商事が運営する老人ホームとのエックスチェンジ・プログラムが上手くいくかどうかが最大の問題で、もし計画通りに事が進まないと採算割れになる可能性もあります」吉井は計画について調べたことを説明した。
「いまのスキームだと斉藤商事が成否の鍵を握っているね。エックスチェンジ・プログラムといったものが本当に成り立つのかどうか、よく検討する必要もある。近いうちにお父さんの方とも会ってみよう。それと石田さんが見学したファミリア・瀬田という老人ホームへ僕も行ってみたい」
「了解です。利明さんにその旨を伝えます」
「町の委員会の承認が下りたからといって、採算が取れないことが分かったら一旦止める勇気も必要だ」
「元々何がしたかったのかを振り返る、ということですね」菜津子がいった。
「所長がいつも仰るように、起業理念に立ち戻るということ」吉井がいった。
「石田さんや井上くんの起業理念に照らして、何がセカンド・ベストかを考えておくのは我々コンサルの重要な仕事でもある。特養の域外整備の話を瀬田区と繋いでおくのは、その意味でも大事だよ」
「はるかさんと会ったときに忘れないようにします」菜津子がいった。
「ちょっと休憩しようか」孝二郎はそういうと立ち上がり、事務机の上においた鞄から和菓子の詰め合わせを取り出した。「長野の街で買ってきたんだ」菜津子と吉井はキッチンで湯を沸かし日本茶を淹れた。

 丸テーブルでお茶と和菓子を食しながら、「それで、どうやって臼井助役の議案提出を阻止するんですか?」と菜津子が尋ねた。「石田さんはホテルのボーイの制服を社員に着させて資料を盗んじゃおうっていってましたね」
「そうそう、そんなことを言っていたね。でももし捕まったら小学校改築計画もおじゃんになってしまう。僕に秘策があるんだ」
「なんですか、秘策って?」
「まあまあ、そのうちに教えるよ。それより昨夜、県庁にいる柴崎さんと話したんだ。臼井助役と、県庁に出向しているキャリア官僚や建築会社のバックアップを受けた県議との関係についてね。柴崎さんが臼井氏のために資料を作っている県庁側の担当者を見つけ出して、なんでそこまでやるんだって聞いたら、一旦断ったんだけれどある県議員から『県は町のための案作りに協力しないのか!』と怒鳴られて、いやいや作成しているといっていたらしい。その県議は飯森町を地盤にしているというから、臼井助役との関係は濃厚だよ。県としては、案件が本会議で決まったあと、建築会社の選択に不正がないかどうかチェックすることくらいしか出来ないと柴崎さんは言うんだ。臼井助役はこれまでもなにかと妙な噂があったがなかなか尻尾を出さないらしい」
「それでその秘策というのは?」菜津子が再び訊いた。
「難しい話じゃない。いやこれまでの事件と較べたらむしろ楽な作業といえる。二人には、もうすこし計画を詰めてから話すよ」孝二郎は皿の栗饅頭を一つ摘むと「そうそう、産業建設委員会への石田案の付議は直前まで伏せておくよう彼に伝えておかなければ」といった。

 その夜、孝二郎は東京の西郊にある自宅へ戻った。帰りがけに吉祥寺でちょっとした買い物を済ませ、家に着いたのは七時半ごろだった。前日、朝早く飯森町までドライブし、仕事を済ませて長野市のホテルに一泊、帰京後上大崎の事務所へ直行したので、一日半ぶりの帰宅ということになる。週一度来てくれる家政婦が昨日、掃除と洗濯を済ませておいてくれたので、部屋の中は綺麗に片付いていた。カーテンも閉まっている。孝二郎は明かりを点け暖房を入れてから、旅行鞄と買い物袋をソファーの上に置き、家政婦がダイニング・テーブルの上に纏めておいてくれた郵便物をチェックした。

 キッチンで解凍した肉と残りもの野菜を炒め簡単に食事を済ますと、孝二郎は部屋中央にあるジャグジー・バスに湯を入れた。換気扇のスイッチも入れる。旅行鞄から出した洗濯物を階段後ろの洗濯機に放り込み、ジャケットなどを二階のクローゼットに仕舞った。白いバスローブに着替え下に降りるとソファーに腰を下ろした。買い物袋から小物を出し、飯森で撮った幾枚かの写真を矯めつ眇めつしながら湯が溜まるのを待った。湯が溜まると、孝二郎は書棚の一番下の段からブリューゲルの画集を取り出してバスタブの脇に置いた。

 ローブを脱いで身体を湯に涵す。ジャグジーを回さず、半身浴の恰好で孝二郎は画集のページを捲った。今日菜津子からブリューゲル展の話があったとき、孝二郎はその展覧会が開かれることは知っていたものの、どの絵が来るのかまでは調べていなかった。パンフレットを見て、そこに印刷された「雪中の狩人」という絵が来ることを知り、以前ヨーロッパを旅していたとき、ウィーンの美術史美術館でそれを観たときのことを思い出した。アントワープで観た「悪女フリート」という絵も印象深かった。友人の作家から贈られた西洋の邸宅美術館を紹介する本に、中野考次の『ブリューゲルへの旅』に書いてあったのを憶えていてアントワープのマイヤー・ヴァン・デン・ベルグ美術館まで見にいった、とあったので、孝二郎は最近その『ブリューゲルへの旅』を読んだばかりだった。ウィーンの美術史美術館では「農民の踊り」という作品も記憶に残っている。ブリュッセルの王立美術館で観た「氷滑りと鳥罠のある冬景色」も忘れがたい。これらの絵も坂田美術館に来るのだろうか。孝二郎は画集を眺めながら思った。

 バスタブを出て身体を拭き、栓を抜いてお湯を流すと、孝二郎はふたたびバスローブを羽織った。キッチンでグラスに氷とレモンの欠片を入れ、ウィスキーをソーダで割ってハイボールを作る。少し頭を活性させようと考えたからだ。居間に戻ると換気扇を止め、画集を書棚に戻す。そしてサイドテーブルに置いてあった別の本を手に取った。ここのところずっと関心を持っているユーラシアの歴史書だ。孝二郎はソファーに深く座り本を開いた。

 その本は教科書的なものだが、太古からの民族の動きが分かりやすく記述してある。孝二郎はちょうど八世紀の時代に差し掛かっていた。突厥という国が解体したあと、ユーラシア中央の覇者となったのは、満州に古くからいたイェメク族のキメク汗国だとある。キメク汗国は遊牧の大帝国で、西のカザール帝国と並立し、その威勢は同時代の東ローマ帝国やフランク王国を遥かに凌いだという。ヨーロッパとユーラシア中央、草原の道を東にいった先にある国々、そしてさらにその先の日本列島。南の中国、中東からイベリア半島に伸びるイスラム勢力、全ての民族が有機的に繋がって様々な文明を紡ぎ出す。キッチンで二杯目の酒を作り、居間へ戻るとステレオのスイッチを入れてロシアの古いバイオリン曲のCDをかけた。部屋の明かりを消して手元の電灯だけ灯す。ソファーへ戻り、冷たい酒をゆっくりと喉に流し込んだ。バイオリンの音色が静かに晩秋の夜を深めてゆく。八世紀の昔に想いを馳せながら、孝二郎は、一六世紀北欧の雪中を町へ帰還する狩人達の絵のことを想った。<続く>
「古い校舎に陽が昇る」 第7回(2016年03月19日公開) |目次コメント(0)

コメント

コメントを書く

お名前(必須)
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント(必須)

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。


茂木賛の世界 / World of San Motegi

  • 茂木賛の世界について
  • 著者プロフィール
Copyright © San Motegi Research Inc. All rights reserved.

このページはここまでです。(クリックするとこのページの先頭に戻ります)