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■オリジナル作品:「古い校舎に陽が昇る」(目次

「古い校舎に陽が昇る」 第6回

第六章

 翌日朝早く、孝二郎は自宅から車で飯森町へ向かった。中央高速から圏央道を通って関越道に入る。藤岡ジャンクションから信越自動車道に入り、そのあと上信越自動車道を少し北へ走り、孝二郎が目的地に着いたのは昼を少し過ぎた頃だった。高速道路はバスやトラックで混雑していたが天気は上々だった。

 役場に着くと、木村さつきが孝二郎を出迎えた。
「おはよう御座います!」
「木村さつきさんですね、どうぞ宜しく」
「こちらこそ。大変なことをお願いしちゃって」
「今日の面会、わざわざ手配してくれて有難う」
「それが困ったことになったんです」さつきが眉を曇らせていった。
「どうしました?」
「臼井助役が面会のことを聞きつけて、同席するっておっしゃるんです」
「なるほど」孝二郎は立ち止まり、少し思案してから、石田に携帯電話を入れた。なにやら話したあと、「いいですよ、どうぞ出席して貰って下さい。臼井さんの様子も知りたいからむしろ好都合です。面会後三十分ほどしたら私宛に電話が掛かってきます。そうしたら用件を伝えに来て下さい」といった。
「わかりました」さつきはほっとした表情で、孝二郎を応接室に案内した。田宮係長が心配そうに部屋の前で待っていた。中にはまだ誰も居ないようだった。さつきは田宮を孝二郎に紹介したあと、彼に今の話を伝えた。田宮も少し安心した様子だった。「石田さんには空き家登録制度が廃止になって、いろいろとご苦労をかけています。今回の件についてはそれでも町長を支えて下さって、地元の若い起業家と、小学校の改築や東京の会社との提携話を進めていただいています。我々も微力ながら町長の下でお手伝いさせて貰っています」と田宮がいった。

 二時になると、杉浦町長と臼井助役が応接室に入ってきた。町長の顔色は優れない。禿頭で細面の臼井は刺のある表情をしている。町長は丸顔だが、臼井の方は顔の輪郭が父啓三に似ていると孝二郎は思った。挨拶が終ると、最初に孝二郎の方から、信州ワインバレー構想と推進協議会設立の趣旨説明を行なった。次に、町長が資料を見ながら飯森町にある葡萄畑の種類や総面積、ワイナリーの数(三つ)、年間出荷本数、概算売り上げなどを説明した。「うちの町ではまだワイン事業のために特別なことはしていませんが、県の肝いりで推進協議会ができたということですので、我々もご趣旨に沿うよう何が出来るか知恵を絞りたいと存じます。葡萄畑の農家、ワイナリーの経営者、小売業者、飲食店、旅館、道の駅など、町としてワイン事業に関わっている方々と連絡会のようなものを立ち上げるのはどうかな、役場主催で」杉浦町長がいった。
「そのようなものは、船頭多くして船山に上るとの喩え通り、あまり役に立つとは思えませんな」臼井助役が口を挟んだ。
「でもなにか始めないと……」杉浦が弱々しげにいった。
「県全体としてワイン産業を守り立てていこうということですから、協議会でなにか出来ることがあれば遠慮なく仰って下さい」孝二郎がいった。「連絡会などの設立は多くの市町村で始まっています。そういう会にこちらから人を派遣して、資金援助や人材トレーニングなどの紹介をさせていただいています。飯森町でも役立つと思いますよ」

 三十分が過ぎたところで、予定通り木村さつきがドアをノックした。
「飯森ワイナリーさんから工場見学の準備が整いましたとのことです」さつきがいった。
「そんな話は聞いとらん」臼井助役が大きな声でいった。
「私もです」杉浦町長が不安げにいった。
「私がお願いしたんです」二人を手で制するようにして孝二郎がいった。「信州ワインバレー構想の推進協議会メンバーが来たということで、私を町の代表的なワイナリーさんにお引き合わせいただけないかと。ほんの一時間くらい町長のお時間をいただければ済みますので」
「飯森ワイナリーとどうやって連絡を取ったんですか?」臼井が眉間に皺を寄せて聞いた。
「こちらに来る時に建物が車から見えたものですから」
「いいですよ、私。ご一緒いたしましょう」杉浦が元気を取り戻していった。
「町長が行くのは軽率だと思いますよ。第一まだそのワインバレー構想なんぞというもの自体がよくわかりませんな」
「三ヶ月前に設立趣意書が役場に届いています。臼井さんにも回覧しましたけど」ドアの所に立っていたさつきがいった。
「本当か?」臼井は苦々しげにいうと「この人を紹介するだけですよ、それなら一緒に行ってもいい」
「ではそういうことで。私の車の助手席が空いていますから町長さんにお乗りいただいて、道中ワインバレー構想についてさらにご説明しましょう。ワイナリーでのお話の参考にしてください」孝二郎はそういって立ち上がった。

「いや、助かりました」杉浦町長は綾木のBMWの助手席に乗り込むと嬉しそうにいった。うしろから臼井助役を乗せた黒塗りの車が追いかけてくる。サイドミラーでそれを見ながら、孝二郎は「車内なら盗聴器もないですから自由に話せますよ」といった。杉浦は笑いながら頷いた。飯森ワイナリーまでは十分ほどの道のりだったがその間、孝二郎は石田肇から小学校の老人ホーム改築に関するコンサルティングを頼まれたこと、それと、今月の産業建設委員会に助役の出す案件を止める算段の依頼も受けたことを町長に話した。杉浦は全てスタッフから聞いているといい、「宜しくお願いします」といった。

 飯森ワイナリーの建物は、町の南側、南北に走る国道に面したところにあった。今日の段取りは、孝二郎が来る時に寄って話を付けたわけではなかった。先程ワイナリーから役場に連絡が入ったのは、彼が電話で石田に依頼したからだった。オーナーは佐山武彦という七十前後の老人で、先程の町長の資料では町で一番古いワイナリーとのことである。町長からワインバレー構想の紹介があり、孝二郎が挨拶したあと、三人は佐山の案内で、試飲室、貯蔵庫、タンクや破砕機、搾汁機などを見学した。設備は古いが整備が行き届いていて気持ちが良かった。五年前に戻ってきたというオーナーの息子夫婦が、他の従業員たちと一緒に立ち働いていた。試飲室に戻り、しばらくして町長は助役と一緒に役場へ帰った。孝二郎はワイナリーを出ると石田に連絡し、飯森小学校の建物を見学したいといった。

 石田商店のオフィスへ着く。「うまくいきましたね、綾木さん」孝二郎を見るなり石田はしてやったりという表情でいった。「いや、電話をいただいてすぐに佐山の爺さんに電話したら、ワインバレー構想や推進協議会のことは既によく知っていて、町長がわざわざ来る事情を説明するのに苦労しましたわ。車中で町長と大事なことは話せませたか」
「ええ、いろいろと確認させていただきました」
「よかったよかった。それで今日は今から小学校に?」
「先日は校舎を外から眺めただけでしたからぜひ中も拝見したいと思いまして」
「鍵は私が預かってますからさっそく行きましょう。さっき井上君、例の老人ホーム事業を手がけようっていう若いヤツですが、彼も呼んどきましたからあっちで会えるでしょう」
 二人は石田の運転する車で小学校へ向かった。

 飯森小学校は、駅前の通りを東へまっすぐ進んだ先にあった。途中国道を横切り、山裾への勾配を少し上がった左手に広い校庭が見えてくる。校庭を過ぎた先にある道を左折ししばらく行くと門があり、入ると正面に校舎があった。道の両側に、もみじや桜の並木が続いている。先日孝二郎は、門の外に車を止めて並木の紅葉を鑑賞したのだった。石田は校舎の前に車を止めた。すでに井上のものと思しい黄色いワゴン車がその先に止まっていた。中から井上春人が降りてきて孝二郎に挨拶した。

 校舎の入り口の門扉はアーチ型をなしている。校舎全体は二階建ての木造だが、入り口の上だけは高い塔になっていて、見上げると中に始業時に鳴らす鐘が見えた。中に入ると、広々としたロビーが三人を迎えた。しばらく人が来なかったのだろう、空気が淀んでいる。木組みのタイルが貼り詰められた床の左右には、背の低い靴箱が並んでいる。正面奥に手摺り付きの階段があった。「この上が職員室ですわ」石田が頭上を指差していった。見上げると古い電灯が埃を被っていた。ロビーの左右には同じアーチ型の仕切りの向こうに長い廊下が続いていた。廊下の片側は校庭に面し、反対側は教室になっている。
「上の階もだいたい同じ造りになっています。今の我々の案では、ロビーから一方の側を老人ホーム用に改築し、反対側を我々が今やっている宅幼老所にする考えなんです」井上がいった。「宅幼老所は全棟分いらないから、ロビーに近いところに共通の調理場と食堂を設けます。どっち側に何を作るか、校庭の北側にある体育館兼講堂の扱いや全体の構造、水周りなどを含めて検討中です」
「ほら、見てください」石田がロビーから入り口のアーチを振り返った。「この建物は真東を向いて建てられているんです。だから正面の山の向こうから朝日が昇ると、建物全体が陽に照らされてそれは綺麗なんですわ。プロジェクトの名前を『古い校舎に陽が昇る』としたのは、廃校した校舎を別用途に蘇らせるという意味のほかに、陽が当ると美しく映えるこの校舎を自慢したい気持ちもあるんですよ」
「なるほど」孝二郎は頷くと「ちょっと廊下を歩いてみましょう」といって北側の廊下に歩み出た。
 歩くと床が軋んだ。右手の窓から校庭がみえる。左手には教室が並んでいた。窓から教室を覗くと椅子や机は今もそのまま残されていた。持って行く先がないのだろう。黒板もそのままだった。教室の反対側の窓の向こうは低い潅木が連なっている。廊下と向こう側の壁の所々に頑丈そうな筋交いが入っているのは、石田がいっていた耐震施工だろう。孝二郎が確認すると「そうなんです。真ん中の塔の部分も施行してあります。2004年の中越地震のあと工事したんですわ。2007年の地震や先立ての東日本大震災のときも、瓦が少々落ちた程度で建物自体はびくともしませんでした。わざわざここまでしてあるのを中央の予算を取る為だけに取り壊すってのはどういう了見でしょうかね」石田がいった。

 廊下を進んで中程の階段まで来ると「二階も拝見できますか?」と孝二郎がいった。「ええ、上がりましょう」石田が先頭に立って階段を登る。二階も同じように廊下と教室が続いていた。ゆっくり歩き真ん中の職員室のところまで戻ってくると、
「ここはそのまま事務所にするつもりです」と井上がいった。
 職員室は机や椅子が撤去されがらんとしていた。ストーブだけが部屋の片隅に忘れ物のように置いてあった。「ここの備品は役場で使ってますわ」石田がいった。
「この上が鐘付き塔ですね。そこへも上がれますか?」
「上がれると思います」三人は職員室を出て階段を上がった。職員室の真上は物置になっていた。理科の実験用具とか、古い人体模型とかが乱雑に積み置かれている。かび臭い間を抜け、奥の扉を開くと鐘付き塔に出た。そばで見る鐘はかなり大きい。
「明治時代の学校にあったものを再現したと聞いています」石田がいった。
回り込んで東側から校庭を見下ろすと、正面にさっき車で入ってきた並木道が続いている。門の向こう、道路を挟んでその先に小高い山があった。稜線の向こうから朝陽が登り建物全体が光に照らされる様を、孝二郎は頭の中で想像した。

 校舎の見学を終え石田に別れを告げると、孝二郎は長野市に向かった。予約した西野グランド・ホテルにチェックインすると、孝二郎は県庁にいる柴崎隆に電話を入れた。柴崎は県の広報責任者をしている。孝二郎は昔ある事件で彼を助けたことがあった。それ以来二人は友人として付き合っている。孝二郎を信州ワインバレー構想の推進協議会メンバーに推挙したのは柴崎だった。「やあ、いま西野グランドにいるんだ。今晩会えるかい?いろいろ聞きたいことがあってね。いや、推進協議会の話じゃない。今度飯森町が候補に上がっている東京瀬田区の特養老人ホームの域外整備の話、君も知っているだろう」孝二郎が続けた。「ちょっと調査を頼まれてね。飯森町の臼井助役というのが、そちらにいるキャリア官僚と親しいらしく、聞いた話ではその人を通して瀬田区との交渉が進んでいるらしい。特養の場合、新築すると国から援助費用が出るそうで、そのキャリア官僚が絡んでいるかまでは分からないが、どうも建築会社のバックアップを受けた県議とかがその援助費用を狙って動いているらしいんだ。ああ、遅くなってもいいよ、ロビーについたら部屋に電話をくれ」孝二郎はそういって電話を切った。<続く>
「古い校舎に陽が昇る」 第6回(2016年03月18日公開) |目次コメント(0)

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