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■オリジナル作品:「古い校舎に陽が昇る」(目次

「古い校舎に陽が昇る」 第5回

第五章

 石田商店から資料が届いたその日、スタッフの吉井優一、アシスタントの菜津子とプロジェクト内容を検討した綾木孝二郎は、夕方、石田商店へ電話を入れた。
「資料が届きました。お話どおり意義深いプロジェクトですね」
「助けていただけますか?」
「採算性に関して、斉藤商事との交換プログラムが上手くいくかどうかが最大の関門だと思いますので、もし宜しければ、斉藤商事との契約づくりをメインにお手伝いするというのはいかがでしょう?」
「助けていただけるんですか、嬉しいな。いや実は斉藤商事さんとの契約も大変ですが、それより例の別案件の方がもっといろいろ大変なんですわ」
「どういうことですか?」
「まあ、電話では話しづらいので、明日の午後そちらの事務所に伺って詳細をお話しますよ。ああ、場所ならいただいた名刺で分かります。ちょっと前まで東京の戸部不動産で営業をやってましたもんで、その辺りの地理には詳しいんですわ」

 翌日昼過ぎ、石田肇は地元の酒瓶二本を携えて孝二郎の事務所にやって来た。菜津子に案内された石田は、部屋に入るなり大きな声で、
「いやあ、いいですねここは、富士山まで見晴らせる。こちら秘書の方、お綺麗ですね。ああ、姪御さんですか、うちの娘と同い年くらいかな。あ、これ、飯森の地酒ですわ。皆さんでどうぞ」といってラベルに『霙山』とある純米酒二本を孝二郎に手渡した。
 孝二郎は礼をいってから石田をドアに近い窓辺のソファに座らせ、自分はドアに近い椅子に腰を下ろした。菜津子が二人の前の長方形のテーブルにティーカップを二つ置き、淹れたばかりの紅茶を注ぐ。初摘みの芳しい香りが立ち上った。菜津子が退室すると、
「いや、実は」石田は身を乗り出して、空き家登録制度が廃止になった本当の理由、市長が行動を見張られているらしいこと、助役の野望や浮気の件など、店では話さなかった事情を洗いざらい孝二郎に話した。「失礼とは思いましたが、ネットでいろいろと調べさせていただきました。そしたらコンサル以外に、探偵のお仕事もやっておられるとか。いろいろなお手柄が載ったサイトを見つけましてね、事件の新聞記事なども拝見しました。これは本物だということで、店にお寄り戴いたのは何かのご縁に違いない、それならもう一切合財お話してお助けいただけないかと。とりあえずは、今月末に産業建設委員会に提出される予定の助役の提案さえ握りつぶせばいいんです。町長のほうにも話は通ってます」
「そういうことですか。電話したらすぐにこちらへ来られるというので、ビジネスコンサルだけじゃないなと思いましたよ」孝二郎は苦笑しながらいった。
「お願いできますでしょうか?」
「教えていただいた小学校、長野じゃ相当古い建物じゃありませんか?そう、昭和初期の建造ですか。校庭のもみじや桜も見事でした。ああいう建物を気安く取り壊す計画には賛成できませんね。それが石田さんのおっしゃるような理由だったとしたらなおさらです。校庭もあのままじゃ済まないでしょう。地域再生のためにもお手伝いしますよ」
「有難う御座います!小学校は古いですがちゃんと耐震工事も施してあります」
「ただしお引き受けするとしたら、一度町長さんとお会いしたいですね。いくつか確認したいことがありますから」
「勿論です。臼井は委員会提出の前日に長野市に資料を受け取りに行くんですよ。なんとかその資料を盗んでしまうか、もし失敗したら浮気の現場を押さえて脅そうかと」石田は声を潜めて「ホテルのボーイの制服を借る当てがあるんですよ」といった。
「まあまあ、警察に捕まるようなことがあったらいけません。県庁に友人もいますからもうすこし調べてみましょう」
「そうでしたか、それは心強い。ところで費用はいかほどで?」
「実費だけで結構ですよ。斉藤商事さんとの契約のお手伝いについては成功報酬で幾らかいただくことになると思いますが」
「こっちの議案が通って斎藤さんとの話が上手く進めばこんな嬉しいことはない」
「明日にでも町長さんにお会いできますか?会うのは役場の中でお願いします。木村さんや田宮さんともお会いしておきたいですから。町長さんの行動が見張られているとしたら、表向きの理由は、本件と全く関係のないことにしておいた方がいいでしょう。いまちょうど信州ワインバレー構想の推進協議会メンバーになっていますから、そのヒアリングで飯森町のワイン事業への取り組みをお聴きしたいということではどうでしょうか」
「あちゃ、ワインの方を持ってくればよかったな、日本酒じゃなくて。そんな活動もしておられるんですか、驚きました。うちの町にはワイナリーも幾つかあるんですよ、今度是非紹介させてください」
「日本酒も好きですよ」孝二郎はテーブル脇の酒瓶を見ていった。

 石田は「ちょっと失礼します」というと携帯電話を取り出して木村さつきに電話を入れた。翌日昼の町長との面会を依頼するためだ。
「そうそう、うちのスタッフを紹介しておきましょう。アシスタントの菜津子はもう紹介済みですからもう一人のほうを」孝二郎は菜津子に、スタッフルームにいる吉井優一を呼ぶよういった。
 吉井優一が部屋に入ってくると、孝二郎は「彼が斉藤商事さんとの契約をお手伝いすることになります」と石田にいった。吉井は三十過ぎだがまだ少年のような雰囲気で、身体にフィットした背広を優雅に着こなしている。石田ははじめ孝二郎の息子かと思ったが自己紹介を受けてそうではないと知った。孝二郎は石田に、吉井を斉藤商事に紹介してくれるよう依頼した。石田がさっそく斉藤商事に電話を入れてアポイントを取ると「吉井くん、契約サポートのところだけうちと石田さんとのコンサル契約書を作ってくれ、いつもの定型NDA(機密保持契約)だけ今日サインしてもらってあとは後日でもいいよ。コンサル料は上限を決めた成功報酬として、井上さんのところの売り上げと連動したパーセンテージにしよう。上限金額はあとで僕が石田さんと相談して決める。それでいいですね、石田さん」孝二郎が確認すると、
「結構です」と石田がいった。
「さっそくNDAを二部用意して持ってきます」吉井がいった。
「ああ、それと斉藤商事へ行く途中、石田さんから資料にあった地元信用金庫の融資の条件や、県からの補助金、町の援助についてよく教わっておいてくれ」
「了解です」吉井はそう返事をすると部屋を出て行った。
 石田の携帯電話に木村さつきから電話が入った。明日の二時に町長との面会時間が取れたとのことだった。

 石田肇と綾木孝二郎は、吉井が準備したNDAに署名した。そのあと石田は吉井と一緒に綾木孝二郎の事務所を出た。
「日本人離れしてますな、所長さんは」山手線の目黒駅に向かって歩きながら石田がいった。「上品で落ち着いているんだけど、こっちの考えを全て見通すような鋭さがある。仕事の進め方もまるで無駄がない。先日飯森に来られたときからこう、なんか不思議なオーラがありました」
「確かにちょっと変っていますね」
「こっちは営業で飛び回っていただけだからガサツでいけません。三年前、田舎に引っ込んでからはますますですわ。歳は幾つも違わないはずなんですが」
「所長は長くアメリカにいましたから」
「仕事の指示がたくさんありましたね」
「いつもああなんですよ、人使いが荒いんです」吉井が笑った。
 歩きながら石田は吉井に、地元信用金庫の融資の条件や、県からの補助金、町の援助について説明した。
「それにしても本件、とても対応がお早いですね」
「最近事務所は暇でして。石田さんから資料が送られてきて、所長、喜んでいましたよ」
 吉井が上司のことをあけすけに言うので石田は驚いたが、これも孝二郎のアメリカ仕込の流儀なのだろうかと妙に感心した。
「いつ事務所にお入りになったんですか?」
「二年ほど前です、友人の父親の紹介で」吉井は、給料は安いが休暇が比較的自由に取れるこの仕事が気に入っているといった。

 三十分後、石田と吉井は、浜松町から歩いて数分の所にある斉藤商事に着いた。オフィスはこじんまりとしたビルの二階にあった。応対に出たのは老人ホームを案内してくれた息子の斎藤利明だった。
「石田さん、資料ありがとう御座います。父にも今見て貰っているところです」利明はそういって二人を応接室に案内した。
「こちら、吉井優一さん。AKコンサルティングの方です」
「ほお、石田さんがお雇いになったんですか」
「そうなんですよ、御社との契約でご迷惑をお掛けしてはと思いまして。事務所も目黒にありますからなにかと便利かと」
「宜しくお願いいたします、吉井と申します」吉井がいった。

 三人は二時間ほど計画の詳細について話し合った。話し合ったというよりも石田が自分の資料を一通り説明したという方が正しい。その後、斉藤商事を出て吉井と別れると、石田は娘のみどりに電話を入れた。いま東京にいることを伝え、出来れば早めの夕食を一緒に取りたいといった。
「いいわよ、五時でどう?そのあとまた仕事に戻るけど、一時間くらいなら抜けられそうだから」みどりがいった。
「今日面白い人と会ったんだ」石田は綾木孝二郎のことを娘に話した。「秘書に菜津子さんという彼の姪がいるんだけど、お前と年が同じくらいだし、これから関係が出てきそうだから、一緒に来られるかどうか電話で聞いてみるよ」石田はそういって一旦電話を切った。
 孝二郎の事務所に電話を入れると菜津子が出た。今から外出できるかどうか聞いてみると、彼女は「いいですね、ちょっと待って下さい。いま所長に許可を取ってきます」と答え、しばらくして戻ってくると「所長も是非、といっています」と嬉しそうな声でいった。
「お嬢さまが働いていらっしゃるのはどこの美術館ですか?」菜津子がきいた。
「丸の内にある三谷美術館ですよ、ほら古いレンガ造りで再建された」
「ああ、わかります。それでは五時に美術館のロビーで待ち合わせましょうか」
「了解」石田は電話を切ると、浜松町の方へは戻らずに隣の新橋駅へ向かった。斉藤商事のあるビルから新橋駅まで、歩いて十五分ほどの距離だった。

 五時に三谷美術館の受付ロビーで待ち合わせると、石田はみどりに綾木菜津子を紹介した。三人はそのあと、美術館の裏庭に面したフレンチ・ビストロに向かった。店にはまだほとんど客がなかった。席に着くと、石田は改めてみどりに今回のAKコンサルティングとのことを説明した。
「父から電話で御社のことを伺いました。力になっていただけるとのことでどうも有難う御座います」みどりが菜津子に頭を下げていった。
「こちらこそ宜しくお願いいたします」菜津子が答えた。
 レストランの窓から外の庭を眺めると、コスモスや百日草などの秋の草花が咲き乱れている花壇があった。花壇の中央に欅の木があり、枝が気持ち良さそうに左右に広がっている。その後ろには美術館の煉瓦の壁が連なっていた。
 給仕が来ると、みどりはニース風サラダ、菜津子は白身魚のポワレ、石田は鴨肉のコンフィをそれぞれオーダーした。石田だけハウスワインの赤を、他の二人は仕事が残っているからとペリエを注文した。飲み物が運ばれると、
「それじゃ、乾杯。わるいなあ、俺だけお酒で」石田がそういってグラスを掲げた。
「美術館のお仕事、いかがですか」菜津子がみどりに尋ねた。
「いまちょうど展覧会の準備で忙しいんです。でもとてもやりがいがあります」
「それにしても似てますね、孝二郎さんと。輪郭や鼻筋がつっと通ったところなんか特に。眉毛も似てるかな」石田がいった。
「よしなさいよお父さん、そんな風にジロジロ人の顔見るの」みどりがいった。
「やあ、つい見とれちゃって」石田が胡麻塩頭を掻いた。
「みどりは母親に似たんですよ、幸いなことに」石田はそう続けると「戸部不動産時代の同僚に川添ってやつがいましてね、その娘さん、はるかさんというんですが、先日みどりと三人で食事したんですよ、銀座でね」といい、「彼女はみどりと同じ学芸員をしていて、しかも瀬田美術館で働いているので、瀬田区の特養の域外整備に関するヒントを得られるかと思いまして。そしたら、特養の話じゃなかったんですが、彼女のボーイフレンドが斉藤商事の副社長さんで斎藤利明さんといって、そうそう、今日吉井さんと一緒に会ってきた人ですが、そこが都内でいくつか老人ホームを経営していたんですよ。彼らは地方の老人ホームと提携したいと考えていて、それで今回のうちの老人ホームの話が進んでいるんです」と経緯を説明した。
「だいたいは叔父から聞いています」菜津子がいった。
「変でしょ、うちの父親」みどりが菜津子にいった。「飯森へ帰って不動産屋を始めたときは驚いたけど、空き家を減らして地域の活性化を図るのは素晴らしい仕事だと今は思っています。最近もう齢だ齢だというから、止めちゃ駄目よといってるんです」
「おまえが早く継いでくれればいいんだがね」
「わたしは今の仕事が楽しいの。あと十年したら考えてもいいわ」
「十年かよ、そのころ俺はとっくに死んでるよ」
「まだとっても元気じゃない」
「結婚はどうなってるんだ?」
「そんなの何にもないわよ」
「菜津子さんは?」
「ちょっと、失礼よ、そんなこと聞いたら」みどりが慌て父親の腕を抑えた。
「わたしもまだ相手がいないんです」奈津子は平気で答えた。
「じゃあ、結婚が近いのははるかさんだけだな。それにしてもあの利明くんというのはなかなか出来るね」

 料理を食べながら、みどりと菜津子は互いの家族や仕事のことを話した。
「うちの父はサラリーマンであまり家にいないんです。体型から考え方からなにもかも叔父と違うタイプで。みどりさんのお父様はよくこちらに来られるんですか?」菜津子が尋ねた。
「月に一、二度かしら。東京へ来るといつもこうして食事に誘ってくれるんです」
「うらやましいな、わたし、父と二人で食事に行ったことなんかまったくありません」
「その分、孝二郎さんが付き合って下さるんじゃ?」石田がいった。
「そうなんです、叔母と三人のときもあります」
「綾木佐和子さん。先日孝二郎さんのことを検索していたら、佐和子さんのことも出てました。有名な写真家でいらっしゃる」
「ええ、いまの事務所で働くようになったのは叔母の薦めがあったからなんです。大学生のころは叔父が何をやっているのかあまり知りませんでした」
「ほう、そうでしたか」
「叔父と話したら面白そうなんで少しの間なら働いてみたいと。でもはじめ父が反対して。母と叔母が説得してくれました」
「もともとやりたかったお仕事は?」みどりが菜津子に尋ねた。
「大学では文学を専攻していましたから、なかなかこれはという仕事がなかったんです。助手として大学に残る道はありましたが、やはり社会に出てみたくて」
「わたしも随分迷ったんですよ、いまの仕事に就くまで。一応美大を出たんですけど絵の才能なんてないのが分かってきて。どうしようかと思っていたら、学芸員になった先輩からとても意義のある仕事だからっていわれて受けてみたんです、ここを。そしたらスッと受かっちゃって。ちょうどオープンするところだったから人手として新卒が欲しかったんでしょうね」

 食事が進むに連れて、みどりと菜津子はすっかり打ち解けて話すようになった。
「展覧会の準備が一息ついたら、はるかも入れて三人でお酒飲みにいきましょう」食事が終るころ、みどりが菜津子にいった。
「はい、瀬田区のこともいろいろとお聞き出来ますね」
「それはいい考えだ」石田も相槌を打った。二人の様子を見て石田は、今夕菜津子を食事に誘ったのは我ながら良い考えだったなあとひとりで悦に入っていた。<続く>
「古い校舎に陽が昇る」 第5回(2016年03月18日公開) |目次コメント(0)

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