第四章
「それが大変なんです」木村さつきが石田にいった。翌日の石田のオフィスでのことだ。
「どうした」
「臼井さん、あの話密かに進めていて、今月第三週金曜日の産業建設委員会に議案として提出するらしいんです」
「そんなに早くにか」
「県の役所の若手に丸投げで資料を作らせているらしいんです。勿論県庁の知り合いを通して瀬田区の方とも条件を詰めていて、それをもとに委員会用の説明資料を作らせているらしいんです。田宮さんがいってました」
「それは止めなきゃならんな」
「でもどうやって?井上さんのところじゃこれからご家族と相談なさるんでしょ」
「なんとかそれまでに資料を纏めさせよう」
「臼井さんの方は委員会承認のための付議らしいです」
「構わんよ。計画だけあればそれを説明して、校舎改築の委員会承認は持ち越しにしてもらって時間を稼ごう」
「そう出来ればいいんですが」
「あいつ、なんか弱み持ってねえのか、それで押さえ込めないかな」
「弱みって?」
「まあ、いいや。それはこっちで考えるよ」石田はさつきに役場へ帰って待つようにいった。
「ただいまあ」石田は憂鬱な気持ちのまま昼食のために家へ戻った。
「おかえりなさい、さっきみどりから電話があって老人ホームの件、どうって聞いてきたわ。昨日井上さんが前向きに検討を始めたっていったら喜んでたわ」
「それがさあ、今日木村ちゃんがきて、臼井って助役が特養の話をどんどん進めているらしいんだ。今月にもう委員会提出だってさ」
「あら、それじゃ井上さんの方、間に合わないわね」
「せっかくいい話なのにな」
「なんとかしなさいよ。でも臼井さんの奥さんっていい方よ、フラダンス教室の生徒さんなんだけど。ご主人とは大違いのようね」優紀子は東京でフラダンス教室に通い、教えるだけの練習を積んだので、ここ飯森へ来てから町の奥さん達を集めて教室を開いた。親分肌のところがあるので、教え子たちがときどきフラダンス以外のことを相談することがある。
「どうして?」
「杉浦さんを引き摺り落とそうとしているってあなたから聞いたわよね。だから彼女とはよく話すようにしているんだけど、なんだか怪しいのよ、旦那さんの女性関係が」
「なんだって?」
「あの奥さんとこの間フラダンスの練習の後、二人でランチしたんだけど、悩んでいらっしゃるの、主人に女ができたんじゃないかって。最近長野市に出張するたびに用もないのに一泊するんですって」
「用もないのに?」
「用はあるんだけど、直行直帰で充分なのにわざわざ泊まってくるんですって」
「なんでそうとわかるんだ?」
「奥さんが、ご主人と一緒に行ったはずの部下の人とスーパーでばったり会ったりしたらしいのよ、夜。ご主人は県庁のお偉いさんの接待だって言うんだけど、部下だけ先に帰して変でしょう。その部下の人も、奥さんに説明できない訳ありの様子だったんですって」
「それだけじゃ分らんな」
「それが、この間口紅のついたワイシャツを見つけたんですって」
「なるほど、そうなるとその話、使えるかもな」
「使えるって?」
「いや、うまく使って議案提出をやめさせることが出来ないかってね」石田はそういうと、食事もそこそこに店へ戻った。
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綾木孝二郎が、飯森駅前の石田商店に顔を出したのは、石田が店へ戻った数十分後のことだ。ここまでの話を、孝二郎はこの店先で、石田肇から聴いたわけである。ただし、この時点で石田は、初対面の孝二郎に、ここまでのこと全てを話した訳ではない。「空き家登録制度」が廃止になった本当の理由、市長が行動を見張られているらしいこと、助役の野望や浮気の件などは伏せておいて、せっかくの小学校改築による老人ホームプロジェクトが、理不尽な別案で潰されそうになっているとだけ話した。孝二郎が詳しい話を知るのは数日後のことだ。といってもここまで述べた内容が変わるわけではない。
孝二郎は前日、飯森町の北にある温泉地に一泊した。そこにあるペンションを知人に紹介されたからだった。滾々と湧き出る温泉と美味しい地元料理を味わい、翌日東京へ戻る道すがら、飲み物を買うために立ち寄ったのが飯森町の駅前だった。
自動販売機でお茶を買い、事務所に電話を入れたあと、天気が良かったので少しそこら辺を散歩しようと孝二郎は思い立った。道を尋ねるために、目に付いた不動産屋の前に愛車のBMWを留めた。店に入って尋ねると、
「地図を差し上げましょう。ここ、車でちょっと行ったところにある小学校の紅葉がいま見ごろですよ」不動産屋の主はそういって孝二郎に手書きの地図をくれた。
孝二郎がそれを見ていると「もし宜しかったらお茶でも飲んでいきませんか、え、ペットボトルをそこで買った、じゃあいいか。でもまあ少し世間話でもどうです?そこの椅子、空いてますから」と店主がいった。
「静かなところですね」孝二郎は勧められるままに椅子に腰を下ろした。店に他の客はいない。従業員もどこかに出かけている様子だった。壁には飯森町の詳細な地図が貼ってあった。店の主は石田商店社長、石田肇と書かれた名刺を差し出すと「静か過ぎて困ってるんですよ」と短く刈った胡麻塩頭を掻いた。孝二郎も名刺を渡した。
「いやあ、綾木さんですか。AKコンサルティングって、こんなところまで仕事でいらっしゃるんですか、え、近くの温泉に来ただけですって?そうですよね、こんな田舎じゃね」石田がいった。
「暇なものですからいろいろなところへ車で行くんですよ」
「いいですね、時間があって。こっちは毎日アップアップですわ。ところでコンサルティングって、どういう種類の?」
「ビジネス系です」
「じゃあ、我々の業界の仕事もあるんですか」
「そうですね、不動産の仕事は以前幾度かお手伝いしたことがあります」
「そりゃあ、ちょうど良かったなあ。いや、こんな形でお会いしてお願いするのも何ですが、今困ったことがあって、さっき紅葉が綺麗だっていった小学校ですが、ちょうどいま改築して老人ホームに改築しようという話があるんです」石田はそういうと、ここまでのことを(一部省略しながら)話したのだった。孝二郎は店主の話を聞き終えると「名刺の住所に資料を送ってくださればご相談に乗りますよ」といった。
「資料を作らせたらすぐにお送りします」石田は目を輝かせていった。
孝二郎は地図の礼を言って車に戻った。石田は表まで出て孝二郎を丁寧に見送った。
「いま臼井はそこにいるか」石田は電話で木村さつきに尋ねた。
「いまはいません」
「そうか、今度の臼井の長野市出張はいつだい、わかるかな?」
「ええ、待ってください」さつきは臼井の机の側にある出張予定を書き込むボードを見に行った。戻ってくると、「第三週の木曜日になってますね」といった。
「じゃあ、金曜の委員会の前日じゃないか」
「きっと資料を取りに行くんだと思います。Uさんはパソコン使えませんから。県庁とのやりとりは電話か郵便、秘密書類はたぶん直接手渡しかと」
「泊まりだろ?」
「さあ、それはボードには記入してありません」
「いや、そうに決まってるんだ。泊まるとしたらいつもどこに泊まるんだい、町役場のみなさんは」
「それはもう西野グランド・ホテルです。そこと契約していますから」
「臼井もそこに泊まるかな」
「過去の経理の精算書を見てみますね」はるかはそういってまた一旦電話を置いて、しばらくして戻ってきた。「やっぱり西野グランドですね。それにしてもあの人、こんなに頻繁に宿泊出張しているとは知りませんでした。西野グランド・ホテルって、町役場の宿泊先として贅沢すぎますよね。庶務課の人は、契約を決めたのは臼井さんだといってました」
「なるほどね。Uさん、何時に役場を出るかわかるかい?」
「ボードには午後三時からと書いてあります。それまで杉浦市長と打ち合わせが入っていますから確かだと思います」
「そうか、わかった。ところでさっき面白い人が店に来たんだ。東京のビジネス・コンサルタントで綾木っていう名前なんだけど、老人ホームの話をしたら相談に乗ってくれるっていっていた。いや、臼井のことはぼかして話してある。別の計画が進んでいるってことだけ。どう助けて貰えのるかって?そんなの分からんよ。でもなんか頼りになりそうな男だった。おれと同じか少し若いかな。困った時は藁にも縋るっていうだろ、まあそれだよ。でもまだ契約したわけじゃないんだ。おれの方でも調べるけど、さつきちゃんも『綾木孝二郎』『AKコンサルティング』で検索してどんな人か、どんな会社か調べてみてくれないかな。綾木の綾は綾取りの綾、孝二郎の孝は考えるの考だよ」石田はそういって電話を切った。
石田は井上に電話を入れた。
「どう、賛成してくれた?」
「親父も嫁も賛成してくれました」
「今月末の委員会用に説明資料をつくっておいてくれないかな」
「そんなに急いでですか?」
「そうだ、臼井がその会議に小学校を取り壊す計画を付議するらしい」
「いまやっていますけど」
「おおざっぱな計画だけでいいんだよ。それを説明して仮承認を受けよう。正式承認は改築設計計画が出来るまで持ち越しにしてもらえばいい。ドラフトを事前に斎藤商事に送って見てもらっといてくれ。俺からって言ってPDFをメールに添付すればいいよ。あとでメールアドレスを送る。あて先は斎藤利明さんだ。ええ!名刺をよく見ると副社長って書いてあるな。偉いんだなあいつ若いのに。わかった?」
「はい、わかりました。校舎はリースでいいですよね」
「買取りオプション付の20年リースぐらいでいいんじゃないかな。役場に木村さつきって女の子がいるだろ。その他の条件なんかは彼女に聞けばいい。償却済みの建物だし、町は利益を出す必要なんてないんだから安いと思うよ」
「資金計画のところは、今夜岩田信金にいる友達と作りますわ」
「木村さつきにいえば校舎の写真を持っていると思う。あれをプレゼン資料の表紙に使いな。古い校舎に陽が当ってるいい写真があるんだ。俺からも言っておくよ、君に渡すように。いいか、タイトルは『古い校舎に陽が昇る』だぞ」
「なんだか、ニイタカヤマノボレみたいですね」
「若いのに変な言葉知ってるな。そういえばなんとなく特攻気分になってきた」
電話を切ると、石田はちょうど外から戻ってきた店員の高見賢治と五反田裕太を応接室に集めた。事の次第を説明する。
「いや、急な話なんだけれど、そういうことだからちょっと協力してくれや」
「わかりました。面白そうな案件ですね」高見がいった。
「県庁側の資料さえ臼井の手に渡らなければいいんだ」
「西野グランド・ホテルって、家内がときどき展示会を開くところです」裕太がいった。
「だれか知っている従業員いないかな?」
「いると思いますけど。家内を呼びましょうか」
「そうだな、ちょっと呼べるかな」
「はい」五反田は、仕事中の沙織を携帯電話で呼び出した。石田は、
「今月第三週の木曜日、臼井はホテルに泊まる、たぶんオンナを引きずりこんで。委員会は翌日十時スタートだからやつはそれまでに飯森に戻ってくる。そうすると、県庁の若い奴に作らせた資料をどうやって受け取るかだ」といった。
「木曜日、着いた日に県庁に行くのかな」高見がいった。
「こっちを午後三時に出ると長野に何時に着く?」
「まあ四時半ですね」五反田がいった。
「駅に四時半だろ、そこから県庁までタクシーでいって十五分。ぎりぎりだな、終業時間五時に間に合うのは」
「夜、どこかの店で手渡してもらうんじゃないですか」高見がいう。
「そうかもしれない。そうだ、木村に電話して県庁に顔の聞く奴がいないかなどうか聞いてみるわ」石田は木村さつきの(母親の)携帯電話番号を押した。
「田宮さんがいつか、同期で県庁に出向している人がいるっていってました」さつきは石田の質問にそう答えた。
「それは都合いいや。その男に聞いて臼井の資料を作っている奴の名前を聞き出すんだ。そしてそいつがどうやって臼井に資料を渡すのか聞いてくれ」
「了解です。わかったらお電話しますね」
石田が電話を切ってしばらくすると沙織が店に着いた。ジーパンに作業用のジャンパー姿でほとんど化粧をしていないところがアクセサリー作家らしい。
「西野グランド・ホテルにだれか知っている人はいませんかね?」石田が沙織にきいた。
「いつも展示会で世話になっている人はいますが」
「その人とは親しい間柄?」
「ええ、よく知っています」
「売る場所を世話してくれる人だもんな」五反田がいった。
「それはいい」石田がそういったとき、電話が鳴った。さつきからだった。
「県庁の人、いま田宮さんに聞いてもらっています。それで、私思い出したんですけど、私の高校の同級生が今年の春、西野グランド・ホテルに就職したんです」
「本当か、いま何やってる?」
「ボーイかなあ、さあなんだろ」
「男の子か?」
「ええ」
「親しいのか、そいつと」
「ええ、同じ演劇部に所属していましたから」
「演劇部?そりゃいいや。その子に今すぐ電話して西野グランドのボーイの制服を一着借りてくれ」
「借りてどうするんです?」
「それは君には言えないな」石田は店の三人に向かって悪戯っぽい笑顔を浮かべた。<続く>