第一章
「叔父さま、石田肇という人から郵便が届いたわ」綾木菜津子はそういうと、孝二郎のオフィスの机上に、A4サイズの封筒を置いた。奥の丸テーブルの椅子で雑誌を読んでいた男は、顔を上げ、姪に向かって「有難う」と微笑みかけた。秋深い季節、時刻は昼少し前である。
此処は上大崎の高台にあるビルの五階。正面の窓から小さく富士山が見える。綾木孝二郎が米国から帰国した二十数年前と変わらぬ景色である。事務所の仕事も以前と変わらなかった。ビジネス・コンサルティングと、探偵のような事を時々。目新しいのは、去年から受付兼アシスタントとして、兄遼一郎の娘菜津子が働き始めたことである。スタッフは助手として若い男性がもう一人いる。もっと以前、事務所を開設して間もなく、ナイル・モーガンというアメリカ人女性がここで働いていたことがあった。しかしその頃の話は別の機会に譲ろう。孝二郎とその家族の紹介、事務所の配置、そしてナイルと孝二郎との興味深い出会いなどについては、『蔦の館』という話に纏めてあるのでお読みいただきたい。
「石田さんって、私の知っている方?」菜津子が尋ねた。
「いや、先週僕が訪れた長野の町の不動産屋さんだ。君は知らないだろう」
「別荘でも建てるつもりですか?」
「そうじゃない」孝二郎は笑いながら「ちょっとした相談を受けたので、関係する資料を送ってもらったのさ」といった。
「開けてもいいかしら?」
「ああ頼むよ。古い小学校の校舎を老人ホームに改築する話だってことは分かっているんだがね」
菜津子は今年二十六歳になる。四年前に私大の文学部を卒業、その後大学院で修士を取得したものの、ご他聞に漏れず就職先がなかなか見つからない。叔母佐和子の勧めもあって、とりあえずの「腰掛」として叔父の所で社会勉強を始めた。すらりとした指で封筒を開ける。中には『古い校舎に陽が昇る』と題された二十ページほどの資料と、短い手紙が一通入っていた。手紙の文字は太く無骨である。彼女はその手紙を読み上げた。
「拝啓、綾木孝二郎さま、先日は話をお聴きいただき誠に有難う御座います。さっそくプロジェクトの資料をお送りいたします。なにとぞ宜しくお願い申しあげます。資料の詳細などご不明な点がありましたら直接メールなりお電話ください。敬具、石田肇」
「初めから資料をメールで送ってくださればそれで済むのに」
「そうだね」
「石田さんって幾つぐらいの方ですか?」菜津子は資料を持ってテーブルの所まで来ると、孝二郎の脇の椅子に座った。
「僕より少し上かな」
「じゃあ、メールに慣れていないのかも」
「そんなことはないだろう。現役で不動産屋をやっているんだぜ。初対面に近い僕にメールで資料を送るのをためらったのかもしれない。僕が渡した名刺の信憑性を確かめるためかもしれない」
「なるほど、それで、一体どんな依頼なんですか?」菜津子が尋ねた。
「まだ依頼を受けたわけじゃないんだ。でも面白い話だから出来れば手助けしようと思ってね。君にも内容をざっと話しておこう」
以下、孝二郎が菜津子に語った話を、小説風に再現してみよう。まだ差し障りがありそうなので、町名や氏名など一部変更したことをお断りしておく。時は数日前に遡る。―――
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石田肇は、駅前の自分のオフィスで小さなため息を付いた。「どうするかな、これから……」不動産物件の紙が幾つもベタベタと貼ってある広い窓ガラスの向こうに鉄道の古ぼけた駅舎が見える。一時間に二本しか電車が来ない駅前は人の姿もまばらだ。特に今日のような平日の午前中はことのほかひっそりとしている。
石田はこの店で空き家の斡旋を主に扱う不動産屋を営んでいる。出身校である地元小学校の後輩町長から、「増える一方の空き家を減らして町の活性化を計る」という公約の実現に力を貸して欲しいと頼まれたのがきっかけだった。当時石田は、都内の大手不動産会社で働いていた。働いていたといっても定年退職後の嘱託身分で肩身も狭く、故郷で自分の経験を生かせるなら、これからの人生をもっと有意義に過ごせるかもしれないと考えたのである。
店を開いたのは二年前のことだった。初めのうちは役場も当然積極的で、空き家を毎週のように紹介しに来てくれた。ここ飯森町がはじめた「空き家登録制度」は、補修工事補助、家賃補助や職の斡旋、農業研修など、売り手と買い手双方を手厚くサポートする画期的なシステムだった。しかし今年春、制度の継続が町議会で財政難を理由に否決されてからは、まず空き家登録数が減り、役場の職員もやがて月に一回ほど様子を見にくるだけになった。それに伴って移住の希望者も減り、その結果石田商店の成約件数も大幅に減った。
こういう長期的なプログラムは、進捗を確認しながら段階的に導入したほうが良い。しかし初当選で意気込んだ若い(といっても四十二歳だが)杉浦町長は、全てを同時にスタートさせようとした。そのため初年度から大幅な予算超過となった。町議会は二年目からの規模縮小を町長に提案した。しかし杉浦は公約の正当性を振りかざして議会と真っ向から対立し、解散も辞さぬ態度で一年目と同じ規模の投資を承認させた。経緯を見ていた次期町長の座を狙う老獪な助役が、この件を杉浦の失脚に結び付けようと、先祖伝来の土地をよそ者に使わせるのを嫌う一部の頑迷な地主の支持を受けた反対派議員と結託し、三年目にして制度そのものを中止に追い込んだのだ。住民不在の不毛な結末としか言いようがない。
三年目の予算計画が練られる頃、石田は規模を縮小してでも制度を続けるよう杉浦にアドバイスした。しかし、移住者が少なからず増えてきていること、来年新幹線が開通すれば(駅は少し離れた町に出来るが)税収増が期待できることなどを理由に、杉浦町長は前年度と同額の予算案を議会に提出した。案の定予算案は否決された。
そんなこともあって、今年六十五歳になったのを期に、石田は一線を退きたいと思うようになった。物件案内は、石田が片腕として雇った高見賢治に任せればよく、そのほかの力仕事も、地元へ戻ってきた若者で石田の仕事を手伝ってくれている五反田裕太に頼めばよかった。しかし誰を自分の代わり、つまり社長にするか、それが悩みどころだった。石田商店(株)は開業当時、「土地や建物の有効利用を促進し、地元社会・文化の活性化を図る」という理念、「町の空き家率を下げる」という目的を掲げ、不動産業を通して、
1.町の空き家率を県平均以下にする
2. 通年での黒字化
という二つの事業目標を設定した。しかし今日現在、空き家登録制度が中止された影響もあって、目標はどちらもまだ未達成のままだった。
友人の中には、これ以上赤字が増える前に店を閉めたら、とアドバイスする者もいた。しかし家族、とくに東京の美術館で学芸員をしている娘のみどりは、「お父さんがはじめたとき、わたし理念と目的にとても共感したの。地域の活性化に繋がる仕事をそう簡単に諦めては駄目よ」と強く反対している。「仕事を続けたほうがボケないよ」というのは、都内の病院に勤めている息子健(たけし)だ。彼はいずれ飯森町で開業したいと考えているようだが、肇の仕事を継ぐ気はないという。地元出身の妻優紀子は、夫の仕事の事務を手伝っているので会社の実務には詳しい。しかし時間があれば趣味のガーデニングやフラダンスに忙しく、石田に仕事を続けて欲しいとは言うものの、夫の跡を継ぐほどの熱意を持っているわけではなかった。
高見賢治は、石田がいつも頼りにしている不動産業のプロだが、そのうち出身の名古屋へ戻りたいといっている。五反田裕太は、農業がやりたくて地元へ帰ってきたのだから無理だろう。彼は空き家登録制度が打ち切られた後も、篤志家の下で細々と続けられている農業研修に通っている。ちなみに、裕太の妻沙織はネックレスなどのアクセサリー作家である。
石田としては、理念を一番理解してくれている娘みどりが後を継いでくれると嬉しいのだが、不動産実務に関して素人である上、学芸員の仕事が面白いらしく、親の地元に戻ってくる気はいまのところまったくないようなのだ。困った石田が外を見ながらため息を付いたのは、そういうわけなのである。<続く>