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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <平岡公威の冒険 6>

 平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)の写真や映画に関する活動について書いてみたい。まずその主なものを挙げる。

映画『不道徳教育講座』出演(1959年)
映画『からっ風野郎』出演(1960年)
写真集『薔薇刑』被写体モデル(1963年)
映画『憂国』自作自演(1965年、ただし封切りは1966年)
映画『黒蜥蜴』出演(1968年)
雑誌『血と薔薇』写真「男の死」被写体モデル(1968年)
映画『人斬り』出演(1969年)
写真集『男の死』被写体モデル(1970年、ただし未刊行)

こんなところだろうか。

 作家として名を成したあと、平岡はなぜこのような活動を(死の年に至るまで)行なったのだろうか。大きくは<平岡公威の冒険 3>で書いたように、反重力系美学系(高揚感/野卑/華やかさ/魔的なもの)表出の一端だろうが、映像へのこだわりには特別の目的があったのかもしれない。

 平岡は1956年の映画ファン誌「スクリーン」で、映画評論家荻昌弘と“映画・芸術の周辺”というテーマで対談している。<平岡公威の冒険 4>で引用した『平凡パンチの三島由紀夫』(新潮社)の著者椎根和氏は、平岡がこの中で、「ものが入ってきたのだ。芸術の世界に……」と発言している点に注目する。

(引用開始)

ものが入ってきたのだ。芸術の世界に……」との発言は、世界中の映画・小説・絵画・写真・文化・風俗の大きな転換期がすぐそこにやってきている、という宣言のように聞こえる。勿論日本人では、映画界にも文学の世界にも、そういう予知能力を持っている作家はいなかった。

(引用終了)
<同書 120ページ(太字は傍点)>

 20世紀は、還元主義的な「モノ信仰」の時代だった。21世紀はその反動もあて、「コト」を大切に考える時代だが、20世紀を生きた平岡にとって、この「モノ信仰」とどう対峙するかは大きなテーマだった筈だ。小説という言葉の世界に籠もるのも一つの手だっただろう。しかし椎根氏は、平岡はこの「モノ信仰」を逆手に取ろうと、映像の世界に深入りしていったのではないかと推察する。

 平岡の写真や映像に関する活動において顕著なのは、必ず自らが被写体となるという点だ。カメラを持ってモデルや風景を撮るのではない。映画への出演しかり、『憂国』の自作自演しかり、写真集しかり。意図して被写体になるということは、“見られる者”になるということである。「平岡公威の冒険」のなかで、平岡は“見る者”と“見られる者”との同一化を願ったと書いたけれど、“見られる者”になることで“見る者”に影響を与えること、平岡にとってそれが被写体になることの意味だった。

 “見る者”と“見られる者”については、先日『夜間飛行』「ファッションについて」の項で、ファッションの「両価性」(模倣と差異化)としても書いた。ファッションや写真のモデルは、どちらも“見られる者”が“見る者”に対して影響力を行使する。

 平岡は“見られる者”になってどう“見る者”に影響を与えようというのか。椎根氏は、ここでベルグソンの『創造的進化』を引用する。

(引用開始)

 三島が、一九五六年に荻昌弘との対談で「ものが入ってきたのだ。芸術の世界に……。」と発言したことは既に書いた。当然、三島もプルーストのようにベルグソン哲学を勉強している。映画評論家と対談しているうちに、突然、寺田寅彦の名とともに、ベルグソンの名も思い出したのかもしれない。さらにベルグソンの哲学大著『創造的進化』(真方敬道訳、岩波書店刊)のなかの第四章のタイトルは“思考の映画仕掛と機械論の錯覚”である。(中略)
 ベルグソンは“思考の映画仕掛と機械論の錯覚”のなかで、こう述べている。「以上が映画のからくりであった。それはまた私たちの知識のからくりでもある。(…)いずれにしても私たちのすることはほぼ一種の内部映画の撮影以上には出ない。そのようにみてくると、いま以上すべてを要約してこういえるかもしれない。私たちの通常の認識の仕掛けは映画的な性質をもつ。」

(引用終了)
<同書 159−160ページ(太字は傍点)>

ベルグソンは、ギリシャ哲学におけるイデア論を写真の生成と重ね合わせる。個物からイデア(=それ自体)を抽出することは、個物を写真に写すことと同じだという。イデアに到達するためには、事象(matter)から「固有の時空」を抜く必要があるが、写真も事象(matter)から「固有の時空」を抜く。だから認識の仕掛けは、映像(映画)的な性質を持つというわけだ。

 平岡は20世紀の還元主義的な「モノ信仰」に懐疑的だった。彼の逆手戦略は、写真や映像の被写体になることで、自らの肉体を「モノ」から「それ自体」に移行させ、その可視性の中に見る者を捉えることで、何らかの「コト」を起こそうとしたものと言えるかもしれない。

 平岡自身による写真集『男の死』の出版準備は、自決の一週間前まで続けられたという。ありきたりの写真では「コト」は起きない。インパクトの強い写真は「コト」を起こす力も強い筈だということで、写真集には様々な男の死に方が選ばれた。

 しかし、篠山紀信氏撮影のそれは未だ刊行されていない。椎根氏は『平凡パンチの三島由紀夫』に、

(引用開始)

 その写真集は、三島の強い意思に反して、現実には出版されなかった。いまでも、そのネガは、篠山スタジオの大金庫のなかに、しまわれている。
 二〇〇五年、ぼくが、ある写真展でのパーティで、篠山紀信に会った時に、「あの『男の死』写真集を早く出版して下さいよ。芸術写真なんだから……」と、酔いの勢いでいった。篠山氏は「イヤア……、それはね……」とパーティの人ごみに消えた。

(引用終了)
<同書 248ページ>

と書いておられる。平岡の逆手戦略を確かめる上でも、『男の死』の出版が期待される。

 当の篠山氏は、雑誌『芸術新潮』「三島由紀夫の耽美世界(没後25周年記念特集)」(1995年12月号)のインタビュー記事「三島由紀夫の思い出」の中で、

(引用開始)

 三島さんとぼくは、あくまで被写体と写真家の関係だった。ただし、撮る者と撮られる者の信頼関係というのは、確かに成立していたと思います。三島さんは大勢のカメラマンにポートレイトを撮られているけれど、フィクションの世界で自分でなにかを演じようとするときには、必ずぼくを指名してくれた。そういうこともあって、ぼくは三島さんの決定的な写真を撮ることになるんです。
 というのは“男の死”というテーマで本を作ろうと、三島さんが言いだした。男にはいろいろな死にざまがある。武士の切腹とか、魚屋のお兄さんが出刃包丁でカッと腹を刺して死んじゃうとか、オートバイでの事故死、戦場でリンチされて死ぬとか……。そういった、さまざまな“男の死”のシチュエーションを三島さんが考えて、それを自分で演じるんです。血糊はどこのメーカーがいいとか、そんなことまで指示するほどの熱の入れようでした。
 でもぼくは本当のことを言うと、撮っていてさっぱり面白くなかった。映画のスチールみたいなものですから。それを三島さんは一所懸命うちこんで、延々と撮影しているうちに、突然あの事件でしょう……。三島さんが死ぬなんてぜんぜん思わなかった。会えば死の話ばかりして、死装束の写真を撮りながら、まさかほんとうに死ぬなんて、信じられなかった。そのあたりは巧妙に隠していたんでしょうけれど、何か騙されたような感じでね。ぼくはあくまでフィクションとして“死”を撮っていたのに、それが実は一種のドキュメンタリーだった――となると写真の意味がぜんぜん違ってしまいますから。
 ぼくが未だに“男の死”の写真を発表していないのは、そのあたりの気持ちの整理がついていないからでもあるんです。三島さんは写真集を出版するつもりだったのだし、三島文学の研究ということでも、いつかは公にすべきものでしょう。三島さんは「お前、なんで早く出さないんだ」って怒っているかもしれませんが……〔談〕

(引用終了)
<同誌 10ページ>

と話している。

 平岡は、写真によって自らの肉体を「モノ」から「それ自体」に移行させようとしたけれど、篠山氏は、平岡の自死によって、その写真が「それ自体」から一転、ドキュメンタリー的な個物に戻ってしまったと思ったわけだ。

 <平岡公威の冒険 4>で述べたように、平岡は、自死という一回性によって、熱狂によって、ユングのいう集合的無意識という「コト」を起動させようとした。その一方で、ここまで見てきたように、彼は写真の被写体となることで、自らの肉体を「モノ」から「それ自体」に移行させ、別の「コト」を起こそうとした。前者は日本人に向けた発信、後者は世界に向けた発信だっただろう。この時代、ここまで考えた人はいないのではないか。しかし二つの営為は、最後、未分化のまま投げ出された。我々はそれらを反重力系美学系(高揚感/野卑/華やかさ/魔的なもの)の表出としてのみ受け取ることとなった。

参考:

平岡公威の冒険」(『夜間飛行』)
平岡公威の冒険 2>(『百花深処』) 
平岡公威の冒険 3>(『百花深処』)
平岡公威の冒険 4>(『百花深処』)
平岡公威の冒険 5>(『百花深処』)

「百花深処」 <平岡公威の冒険 6>(2016年03月02日公開) |目次コメント(0)

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