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■オリジナル作品:「百花深処 I」(目次

「百花深処」 <完成された美意識>

 以前<華やかなもの II>の項で、『源氏物語』は「c系」、つまり、

34 若 菜
35 柏 木
36 横 笛
37 鈴 虫
38 夕 霧
39 御 法
40 幻
41 雲 隠
42 匂 宮
43 紅 梅
44 竹 河

に至りいよいよ佳境に入ると書いたけれど、『光る源氏の物語(下)』大野晋・丸谷才一共著(中公文庫)には、その辺りのことが次のようにある。

(引用開始)

大野 「若菜」までの展開の仕方は、a系列では宮廷の勢力争いというような舞台装置はかなりできてきたけれども、それぞれの登場人物がその仕掛けの中でみんなかかわり合って、生き生きと動いていたとは言いにくい。それからb系列の女の人たち、つまり空蝉、夕顔、末摘花、玉鬘になると、一人一人の女の個性を描くところに力点があった。社会で生きていく上で、勢力争いや身分の差、親子の関係、いろいろな人間の力関係があるけれど、その入り組む様子は、b系列ではまだ書かれていない。それが「若菜」へくると、全部それぞれが絡み合いながら、しかもそれが着々と動いていきますね。こういうふうに運ぶことは、小説を書く上で、力の要るむずかしい仕事でしょうね。
丸谷 小説家として成熟していないと、個人を書いて、しかも社会を実現するということはむずかしい。いまの社会と違うから、社会という言葉を使うのはおかしいけれども。「若菜」ではオーケストレーションがうまくできていますね。
大野 ここへくると、オーケストラの全部の楽器が鳴っている。いままでは個々に力点があって、ここでは単独にフルートを鳴らしてみようとか、バイオリンを鳴らしてみようとかやっていた。
丸谷 総合的なこと、建築的なことがとってもうまくできるようになったということですね。

(引用終了)
<同書 51−52ページ>

 女三の宮が光源氏に降嫁し、紫の上がその影響で体調を崩す、柏木が女三の宮に狂恋し、二人の間に不義の子薫が生まれる。光源氏は二人の密通と藤壺と自らのそれを重ね、子の誕生に因果応報を悟る。光源氏に睨まれて柏木が死ぬ。やがて紫の上が亡くなり、最後に光源氏も死去する……。この一連のストーリーは、「物語」というよりも「小説」的だ。大野氏は『光る源氏の物語(下)』で、

(引用開始)

大野 作者はa系列では栄華を登りつめて行く男の歩みを描き、b系列では一人一人の女性の個性をエピソードによってとらえ、結局、光源氏が失敗するという話を書こうとしていた。それが、「若菜」以降に至って、男と女の愛は保たれうるか、――実はそれは崩壊するものだという主題を具体化しつつあると読めるんですね。

(引用終了)
<同書 131ページ>

と述べる。ここに至って『源氏物語』は、主題をもった「小説」として起動し始めるわけだ。佳境に入るとは、まずこのことを指す。

 このc系を、ここでは少し見方を変えて、美意識の観点から論じてみたい。

 以前<複眼主義による思考と美意識の分析>の項で、「日本的な自然偏重の美意識」を次のような図で示した。
img013.jpg
 『源氏物語』にこれを当て嵌めると、<宇治十帖>でみたd系は、左下の「寂び」を、<華やかなもの II>でみたa系とb系は、右上の「華やかさ」を表現したものであった(詳しくは両項をお読みいただきたい)。

 さてc系はというと、まず、子供じみた女三の宮という「女々しさ」、情動を抑えらない柏木という「野卑」がそれぞれ主役として登場する。図の右下と左上だ。それが原動力となって小説的世界が進展してゆく。さらに重ねて、老境に入る光源氏の「寂び」心が、柏木の「野卑」に掣肘を加える形で描かれる。と同時に、(39「御法」において)死を迎えてもなお優雅な紫の上の「華やかさ」が、女三の宮の「女々しさ」を抑えるようにして全体に彩りを添える。

 ここに至り『源氏物語』は、「日本的な自然偏重の美意識」の完成形を成したと考えられる。四つの美意識が全て出揃い、それらが「オーケストラの全部の楽器」のように鳴り響く。c系が特に高く評価されるのは、主題の具体化、小説的ストーリー性は勿論だが、この「完成された美意識」にもあるのではないだろうか。佳境に入るとは、二つにこのことを指している。

 <六条院の庭>における「華やかさ」と「寂び」の協演のように、それぞれの系の内でも無論四つの美意識が終始出入りするけれど、巨視的に見ると、『源氏物語』は、「華やかさ」としてのa系b系、「寂び」としてのd系、二つに加えて「女々しさ」と「野卑」をも併せ描くc系、このような区分けが可能だと思う。それは作者の精神世界の変遷と同期している。

 尚、41「雲隠」の光源氏亡き後、d系の<宇治十帖>の前に挟み入れられた42「匂宮」43「紅梅」44「竹河」の三帖は、c系といっても別立てと考えた方が良いようだ。

参考:

宇治十帖
六条院の庭
華やかなもの II
「百花深処」 <完成された美意識>(2015年12月05日公開) |目次コメント(0)

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