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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <人が育つ場所>

 梨木香歩さんの『雪と珊瑚と』という小説が文庫(角川文庫)になったので、買い求めて一読した。まず本のカバー裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

生まれたばかりの赤ん坊・雪を抱え途方に暮れていたシングルマザー山野珊瑚、21歳。「赤ちゃん、お預かりします」の張り紙の主で年配の女性くららと出会ったのをきっかけに、果敢に人生を切り拓いてゆく。どんな絶望的な状況からでも、人には潜在的に立ち上がる力がある――様々な助けに支えられ、心にも身体にもやさしい惣菜カフェをオープンさせた珊瑚の奮闘を通して、生きること食べることの根源的な意味を問いかける。

(引用終了)

子育てと食の大切さ、人の交流を中心に置いた、若い女性の成長物語である。読んでいて全てが上手く運びすぎるように感じられるが、娯楽小説と違い「成長」が主題の小説だからそれで良いのだろう。

 この本は、14歳の少年を主人公とした『僕は、そして僕たちはどう生きるか』梨木香歩著(岩波現代文庫)と<対(つい)>になった作品のように思う。こちらもカバー裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

やあ、よかったら、ここにおいでよ。気に入ったら、ここが君の席だよ――『君たちはどう生きるか』の主人公にちなんで「コペル」と呼ばれる十四歳の僕。ある朝、染織家の叔父ノボちゃんがやってきて、学校に行くのをやめた親友ユージンに会いに行くことに……。そこから始まる、かけがいのない一日の物語。(解説=澤地久枝)

(引用終了)

こちらは少年の成長物語だ。一日の内に様々な話しが凝縮された、集中度の高い作品である。私は『雪と珊瑚と』のあとに読んだが、出版(単行本)の順番としては後者の方が先だ。

2011年4月『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(理論社)
2012年4月『雪と珊瑚と』(KADOKAWA)

 まず少年の成長物語が書かれ、そのあと<対>になるように女性の成長物語が描かれた。作者に聞いたわけではないから分からないが、男性性と女性性に関して、テーゼとジンテーゼのようなバランス感覚が働いたのだろうか。

 二冊を読んで印象に残ることは、両者に共通する<人が育つ場所>としての「庭」の存在だ。まず『雪と珊瑚と』から、惣菜カフェをオープンするために主人公が借りる、旧い屋敷とその庭の描写を引用しよう。

(引用開始)

 翌日の朝食後、珊瑚はいつものように雪を連れてくららの家を訪れ、だが今日はともに立花の屋敷林へ向かった。前日に続き、よく晴れた日で、かなり手前から、家々の屋根を越えて聳え立つ、紅葉したケヤキと思しき樹木の樹冠の、鬱蒼とした塊が見えた。(中略)
 玄関にあるスイッチを押したら、灯りがついた。しかし、さすがにカビの匂いがした。左手の引き戸を開けると、そこが居間になっているようだった。スイッチを押し、灯りをつけると畳敷きの八畳間が二つ、続いていた。思っていた通り、縁側がぐるりとそれを囲んでいる。珊瑚は硝子戸を開け、それから雨戸を戸袋にしまおうとした。戸袋と雨戸の間に落ち葉が挟まっていたこともあり、なかなかスムースにはいかなかったが、細い隙間から戸外の光が漏れると、なんだか世界がそこから開けてくるようだった。(中略)
 珊瑚は奥へ入っていった。硝子戸の仕切りがあり、開けると台所になっていた。六畳ほどだろうか。普通のステンレス製の流しが備え付けられ、新しい家で使う予定のなかったらしいテーブルが置いてあった。流しの向こうはガラス窓で、うつくしく紅葉した細い三本の木が、まるで額縁に入った絵のように見えた。
 このとき、この風景が珊瑚の心を捉えたのだった。この風景を見ながらだったら、どんなにハードな炊事仕事も続けられる気がした。

(引用終了)
<同書 146-148ページ(フリガナ省略)>

 次に、『僕は、そして僕たちはどう生きるか』からも、主人公が叔父と一緒に親友ユージンの住む家に到着した際の庭の描写を引用しよう。

(引用開始)

 ドアを開けて降りると、独特の森の匂いが流れていた。樹木が古いから、なんというか、新しい森林公園なんかよりずっと、濃いんだ。春先の、甘いような臭いような独特の匂い。(中略)照葉樹のちょっとほの暗い感じと、爽やかな明るい落葉樹の感じがとても良く交じり合って、陽の光があちこち木洩れ日になって差し、町中にあるのに深山幽谷の雰囲気を出している。その木洩れ日の一つが、濃い黄色の花にあたっている。(中略)照葉樹も落葉樹もほどよく混ざり合った、濃淡の緑のグラデーション。あちこちつつましく咲き群れる、地味だけど品のある花々。
 けれど、この敷地内を一歩出れば、交通量の多い道路や、殺風景なビル、食べ物や服や娯楽、母に言わせれば「あらゆる欲望が結合した」大量消費礼賛施設に取り巻かれている。

(引用終了)
<同書 34−41ページ(フリガナ省略)>

どちらも魅力的な「庭」ではないか。興味を覚えた方は是非本をお読みいただきたい。

 そもそも梨木さんの小説には『西の魔女が死んだ』(新潮文庫)以来、「庭」が定番のように登場する。だから格別なことではないけれど、この二冊の場合、「成長」が主題であるだけに、「庭」が、<人の育つ場所>として特に意識されているように感じられる。

 そう思う理由の一つは、この二冊が書かれる直前、2010年1月に、梨木さんの手になる『「秘密の花園」ノート』梨木香歩著(岩波ブックレット)が上梓されたことである。周知のように『秘密の花園』は1911年にフランシス・バーネットによって書かれた、イギリスのコティッジ・ガーデンを舞台にした少女(と少年)の成長物語である。同書の「おわりに」から梨木さんの言葉を引用しよう。

(引用開始)

 読み手が百人いるとすれば、百の主人公を持つ、百の庭がある。
 自分自身という屋敷の奥に、今では顔も名も知らぬ祖先から、脈々と伝えられてきた「秘密の庭」があります。同じくその祖先たちから、十全に使われないまま繰り越されてきた正負さまざまな「遺産」もあります。それらと対峙せざるをえない状況に陥るうちに、埋められていた「鍵」が――何かの必然で――地表に現れ目に留まる。思わず屈んでそれを手にとると、呼応するごとく、隠れていた扉にも気づいてしまう。主人公は、どうしても、その扉を開けないわけにはいきません。なぜなら、彼は、あるいは彼女は、その世界の「主人公」なのですから。
 足を踏み入れたときの、「本当の故郷」に帰ったような気持ち! でもそこは冬の様相を呈しており、入った瞬間、あらかじめ決まっていたかのように、主人公は、自分の「なすべき仕事」を悟ります。それは自分の意思でもあり、同時に自分を通してついに何かを実現しようする、多くの人々の意思なのかもしれません。少なくとも主人公は、おそらく生涯続く、「秘密の庭」との長い長い「関わり」を――手持ちの「遺産」を使いながら――スタートさせることになるのです。

(引用終了)
<同書 70−71ページ>

 庭は、都市と自然との境界に位置している。境界面は「エッジ・エフェクト」を誘発するから、そういう場所に出入りすることで子供は豊に成長する。人と自然、人と食、人と動物、そういったものとの相互作用を体験しながら、社会において人同士が助け合うことの大切さを学ぶ。特に、多様性を備えた非整形庭園は、子供にとってとても魅力的な筈だ。梨木さんはそれを踏まえた上で、男性と女性それぞれの成長物語の舞台に、「庭」を選んだに違いない。

 ここのところ『夜間飛行』「庭園都市」「庭園を造る」「里山を造る」などの項で、庭の持つ価値を<街づくり>の観点から見てきた。梨木さんやバーネットの本は、精神の成長の観点からみた「庭」の重要性を喚起してくれる。

参考:

喪失からの出発>(『海うそ』梨木香歩著について)
アフリカ的小説>(『ピスタチオ』梨木香歩著他について)
「百花深処」 <人が育つ場所>(2015年09月04日公開) |目次コメント(0)

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