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■オリジナル作品:「百花深処 I」(目次

「百花深処」 <六条院の庭>

 『日本の庭園』進士五十八著(中公新書)を読んでいたら、日本庭園ではあまり花が使われないということが書いてあった。日本の庭は、<イギリスの庭>で見たコティッジ・ガーデンのような設えとは違う。

 確かに、今の日本人の生活スタイルの基盤ができたとされる東山文化(室町時代)の頃以降、日本の庭は、自然を借景としながら、石や苔、常緑樹などを使った造形がほとんどである。小堀遠州(1579−1647)を始め男性造園家が主体だったから、複眼主義美学でいえば、男性性の郷愁的美学である「寂び」が美意識の中心で、花をふんだんに使った女性的で華やかな庭はあまり造られなかったのだろうか。

 進士氏はそれに対して、

(引用開始)

 ただ一つ、それでも私は日本の四季に注目する庭園文化を期待している。端的に言えば「花札の風景」を造園できないかということである。「花札」のなかには、花鳥風月が季節に従ってワンセットで登場してくる。季節を彩るのに動物も植物もセットで描かれている点がすばらしい。中国古代の皇帝の園林は、実に見事に動植物が統合された庭園であった。動物を飼育する大変さからか現代庭園ではほとんど動物のいる風景は見なくなってしまった。「花札」の描く風景は動物と季節感、それに日本文化をも感じさせてくれる。

(引用終了)
<同書 130ページ(フリガナ省略)>

と書いておられる。

 東山文化を遡ることおよそ五百年、平安時代中期に書かれた紫式部の『源氏物語』の中に、進士氏のいう「四季の庭」が描かれている。光源氏の六条院の庭がそれである。その部分を『源氏物語 巻二』円地文子訳(新潮文庫)「乙女」の帖から引用しよう。

(引用開始)

 八月にはいよいよ六条の院を造りあげて、お引き移りになる。未申(南西)の町は中宮の元の御殿なので、お里下がりの折にはそのままそちらにお住まいになるはずである。辰巳(南東)は殿が常にお住まいになるはずの所とする。丑寅(北東)は東の院に住んでいらっしゃる花散里の御方、戌亥(北西)の町は明石の御方、とお定めになっている。
 前からあった池や山でも、おもしろからぬ所にあるのは崩して造りかえ、水面の趣や、築山の形も新たにして、さまざまに、お住まいになる方々の好みに合わせてお造らせになった。
 東南は山が高く築いてあって、春、花の咲く木をある限り植え、池の様子も趣が格別に優れ、お縁先の前栽にも五葉の松、紅梅、桜、山吹、岩躑躅などのような春の好みの草木を植えて、秋の眺めのものも、ほんのところどころに交ぜて植えこんである。
 中宮の御座所には、旧い御殿の頃からの築山に紅葉の色の殊に濃やかな木々を植えて泉の水を遠くまで流し、その遣水の音がいっそう増さるように岩を立て殖やして、滝の水を落とし、見渡す限り秋の野の趣にしてあるのが、ちょうどその季節なので、今を盛りに草花が咲き乱れている。嵯峨の大堰あたりの野山も、これに比べてはるかに見劣りすると思われる今年の秋の眺めである。
 北東は見るからに涼しそうな泉があって、夏の日の木陰を主とした作りである。庭先の植込みは呉竹で、その下吹く風が涼しそうであるし、高くそびえる木々も森のように木深くなって山里めいた趣があり、卯の花の垣根をわざとめぐらして、昔の偲ばれる花橘や撫子、薔薇、龍胆などのようなさまざまの花を植え、春秋の木や草をその中に交ぜてある。
 東側の一部には特に馬場殿を造り、柵をとりまわして、五月のお遊び所にして、池の汀には菖蒲を茂らせ、向い側には御廐を造って、世にまたとない名馬を何頭も飼わせておありになる。
 西の町は北側を築地で仕切って、お蔵が並んでいる。それを隔てる垣根として松の木が茂っていて、雪の日を楽しむように造られている。冬の初めに朝霜が置くようにと菊の籬が結うてあり、時を得意に紅葉している柞の原、その上、大方は名も分からない奥山の木々の深く茂ったのをそのまま移し植えられている。

(引用終了)
<同書 377−378ページ(括弧内は引用者の註、フリガナ省略)>

いかがだろう、(猪や鹿は飼われていないようだが)花鳥風月の庭というに相応しい造形だと思う。

 六条院の庭、中でも未申と辰巳のそれは、安らぎではなく、祝祭の為の庭である。未申の庭では、中宮のお里下がりの際の儀式が盛大に行なわれる。辰巳の庭では、春、唐風に飾り立てた龍頭鷁首の船が池に浮べられる。夜、庭先で篝火が焚かれ、楽人たちによる琴や琵琶、笙や篳篥などが演奏される。女性性の反重力美学である「華やかさ」の庭といえるだろう。<宇治十帖>とは違った世界がここにある。

 丑寅と戌亥のそれは、南側と違って、どちらかというと静かで精神性の高い「寂び」の趣を持った庭だ。複眼主義美学からいっても、「華やかさ」と「寂び」の共存は日本的美学の王道といえる。物語の中の幻の日本庭園。このような庭が実際にあったら素晴らしいと思うけれど、当時の富が偏在した社会を考えるとフィクションだから楽しめるのかもしれない。

 華やかさといえば、光源氏が女人たちに贈る衣装も華麗だ。『源氏物語 巻二』円地文子訳(新潮文庫)「玉鬘」の帖から引用しよう。

(引用開始)

 紅梅のはっきり紋様の浮いた葡萄染めの御小袿と、今はやっている色のとりわけ見事なのとはこちらのお召料。桜襲の細長に艶のよく出た掻練を添えたのが明石の姫君のである。薄藍色に波や藻、貝などを取り合わせた紋様の小袿は、織り方はなまめかしいけれど、色合いが沈んで見える、それにごく濃い紅の掻練を添えて花散里の御方に、とお決めになる。
 さて次に、鮮やかな赤に山吹の花の細長を西の対の玉鬘の姫君にお上げになるのを、紫の上は見ないふりをして、お心の内でその姫君の御器量を思い合わせていらっしゃる。多分、内大臣の派手やかでぱっと目立つようではあるが、なまめかしくはおありにならないのに似ていらっしゃるのであろうと推し量られる。上はうわべにはお出しにならないが、殿のほうから御覧になると、御様子が常のようでないのがお分かりになる。
「まあ、人の器量を衣装によそえて較べるのは、御当人には不平なことであろう。いくらよいものだからと言っても、物の色には限りがあり、人の器量はたとえ悪くても、やはりなお奥底にあるものは別なのだから」
 とおっしゃって、あの末摘花のお召料にと、柳の織物に趣のある唐草の乱れ模様を織り出したあでやかなのをお選びになって、人知れず苦笑していらっしゃる。
 梅の折り枝に、蝶や鳥が飛び違い、異国風の白い小袿に濃紫の艶やかなのを重ねて、明石の御方へお届けになるのを、見るからに高雅な人柄に思いやられて、紫の上は心外のお思いになる。
 空蟬の尼宮には、青鈍の織物の大そう趣のあるのをお見つけになり、御自身の御料の梔子色の御衣に、禁色でない薄紅のをお添えになって、元旦に皆召されるようにと回文をおまわしになった。似合っている銘々の様子を見ようとのお心であった。

(引用終了)
<同書 431−432ページ(フリガナ省略)>

花鳥風月の庭と豪華な衣装。『源氏物語』でもこのあたりは王朝文化の粋を集めた場面が続く。

 最後に、女人それぞれが住む六条院の町と季節の庭(末摘花と空蟬は二条院に住む)、光源氏から贈られた衣装を整理しておこう。

■ 六条院:

● 辰巳の町(南の御殿):春の庭。

紫の上(紅梅のはっきり紋様の浮いた葡萄染めの御小袿と今はやっているとりわけ色の見事な衣服)、明石の姫君(桜襲の細長に艶のよく出た掻練を添えて)

● 未申の町(西の御殿):秋の庭。

秋好中宮(―)

● 丑寅の町(東の御殿):夏の庭。

花散里(薄藍色に波や藻、貝などを取り合わせた紋様の小袿とごく濃い紅の掻練を添えて)、玉鬘(鮮やかな赤に山吹の花の細長)

● 戌亥の町(北の御殿):冬の庭。

明石の御方(梅の折り枝に蝶や鳥が飛び違う異国風の白い小袿と濃紫の艶やかな衣服)

■ 二条院:

末摘花(柳の織物に趣のある唐草の乱れ模様を織り出したあでやかな衣服)、空蟬(青鈍の織物の大そう趣のある上着と梔子色の衣服)

 丸谷才一は『光る源氏の物語(上)』大野晋・丸谷才一共著(中公文庫)の中で、「ここの着物づくしは非常に華やかなところでして、この着物を新しく全部つくって展覧会をするというのはいいアイデアだと思うんですが、どうでしょう。つまり、紫の上の紅梅の模様の浮いている葡萄染めの衣装とか、空蟬の青鈍色とか、全部、草木染でつくってどこかで展覧会しないかなあ。」(384ページ)と語っている。庭そのものは無理でも、なるほど衣装だけならば再現できるかもしれない。
「百花深処」 <六条院の庭>(2015年08月26日公開) |目次コメント(0)

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