作家稲垣足穂について、以前<
悲母観音図>の項で、狩野芳崖の絶筆を引合いにして、
「日本と西洋の美意識の相反を、性性を超えることによって統合しようとする、クロスジェンダー的な造形を通して、日本的な美意識と西洋的な美意識とを統一的に表現しようとする」
と書いたことがある。これは、<
複眼主義による思考と美意識の分析>の項の内容を前提にした話で、足穂や芳崖は、クロスジェンダーという手法を用いて、
「日本的美意識」@+C「女性性の反重力美学」(華やかさ)
「日本的美意識」A+B「男性性の郷愁的美学」(寂び)
「西洋的美意識」@+B「男性性の反重力美学」(高揚感)
「西洋的美意識」A+C「女性性の郷愁的美学」(エレガンス)
全てを網羅しようとしたのではなかったかとするものである。
複眼主義によれば、そもそも「都市」は男性性(所有原理・空間原理)、「自然」は女性性(関係原理・時間原理)に偏している。だから、両方の性性に跨る両性具有・クロスジェンダー的な造形は、「日本的美意識」と「西洋的美意識」両方を刺戟することが出来る筈なのだ(勿論、受け取る側に両方の美意識が備わっていなければ、猫に小判となってしまうけれど)。
ただしこの手法は、これら四つとは対偶に位置するところのネガティビティ、
「日本的美意識」@+B「男性性の反重力美学」(野卑)
「日本的美意識」A+C「女性性の郷愁的美学」(女々しさ)
「西洋的美意識」@+C「女性性の反重力美学」(魔的なもの)
「西洋的美意識」A+B「男性性の郷愁的美学」(軟弱さ)
をも同時に刺戟してしまう。この手法でポジティブなものだけを掬い取るのは難しい。微妙な匙加減を必要とする。だから足穂は戦後京都に籠もり彫心鏤骨して文章を練ったわけだし、芳崖の「悲母観音図」はそもそも絶筆だった。
この手法を得意としているアーティストをもう一人挙げよう。歌手の美輪明宏(本名:丸山明宏)氏だ。「ヨイトマケの唄」や「愛の讃歌」などには、上に挙げた全ての美意識(ネガティビティも含めて)が次々と顔を覗かせる。氏はそれを上手にコントロールしながら、全体として、ポジティブな部分がより強く印象に残る表現方法をマスターしている。端倪すべからざるアーティストだと思う。