前回<
華やかなもの>の項で、上村松園の描く女性についてその交感神経優位の美学(反重力美学)を論じたけれど、西洋画家の描く女性は、逆に安らいだポーズ、副交感神経優位の美学(郷愁的美学)によって表現されることが多いようだ。例として「ザ・ビューティフル 英国唯美主義1860−1900」(三菱一号館美術館)のパンフレットを転載しよう。

画はアルバート・ムーアの「真夏」(一部)である。
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「風流」の研究>の項などで論じてきた複眼主義美学によると、自然に偏した日本的美意識とは逆に、都市的な西洋的美意識は、女性性の美を、交感神経優位よりも副交感神経優位の「安らぎ」に多く見出す。一般的に都市的なマインドにおいて、交感神経優位の女性性は、理性の利かない何か悪魔的(デモーニッシュ)なものという観点で捉えられるのだろうか。
王道的に女性美を捉えようとした場合、西洋の画家たちは女性の安らいだポーズを描いてきた。交感神経優位の女性像が描かれるのは、倒錯的な美の表現(例えばモローの「出現」)、あるいは、美というよりも他の目的のため(例えばドラクロアの「民衆を導く自由の女神」)で、そういう場合、女性たちの表情は中性的、さらには男性的なものに近づいていく。このことは複眼主義美学と整合する。
いかがだろう、こういう視点からの女性美の対比は、これまであまり論じられていないのではないだろうか。もう一度<華やかなるもの>の上村松園の「鼓の音」と、この「真夏」とを見比べてみて戴きたい。
複眼主義美学を改めて整理しておく。
@「反重力美学」:交感神経優位の美的感覚
A「郷愁的美学」:副交感神経優位の美的感覚
B「男性性」:理知的な美意識
C「女性性」:情感的な美意識

●「日本的美学」:全体に「自然」に偏していて、
@+C「女性性の反重力美学」(華やかさ)
A+B「男性性の郷愁的美学」(寂びしさ)
に美しさを強く見出す。

●「西洋的美学」:全体に「都市」的であり、
@+B「男性性の反重力美学」(高揚感)
A+C「女性性の郷愁的美学」(エレガンス)
に美しさを強く見出す。

これからも整合性をいろいろと検証してみたい。