ここまで、日本列島の伝統的な男性性の思考・美意識について、
千利休の<
反転同居の悟り>
九鬼周造の<
「いき」の研究>
古代からの<
修験道について>
と見てきたが、その特徴をここで纏めておくと、
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日本列島の男性性の思考は、空間原理に基づく螺旋的な遠心運動でありながら、自然を友とすることで、高みに飛翔し続ける抽象的思考よりも、場所性を帯び、外来思想の習合に力を発揮する。その美意識は反骨的であり、副交感神経優位の郷愁的美学(寂び)を主とする。
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ということにでもなるだろうか。女性性の思考と美意識についても纏めておこう。
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日本列島の女性性の思考は、時間原理に基づく円的な求心運動であり、自然と一体化することで、「見立て」などの連想的具象化能力に優れる。その美意識は、交感神経優位の反重力美学(華やかさ)を主とする。
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人は皆ある比率で男性性と女性性とを持っているから、日本列島人(日本語人)なら誰でも、この両方の定義に当て嵌まる伝統的思考・美意識を有していることになる。
歴史的に見て、日本的な男性性の思考・美意識を強く感じさせる文人たちは、「自然を友とする」「反骨精神」という二点から、都会を離れ、鄙(ひな)に隠れ住みたいという思いが強かったようだ。以下、それら隠者たちを列記してみよう。情報は各種の本やウキペディアから集めた。
空海(774−835):平安時代初期の僧。遣唐使の一員として中国へ渡る。帰国後密教と山岳信仰の習合を行なう。和歌山県高野山に自分の修行道場を構えた。著書『三教指帰』、詩集文『性霊集』など。
西行(1118−1190):平安時代末の歌人。武士に生まれながら出家して全国を遊行する。生活拠点を空海と同じ高野山などに置いた。歌集『山家集』など。
鴨長明(1155-1216):鎌倉時代の文人。京都伏見区日野山に庵を結ぶ。著書『方丈記』など。
吉田兼好(1283-1350):鎌倉・南北時代の歌人・文人。京都山科区小野の里や滋賀県横川などで隠遁生活を送った。著書『徒然草』など。
一休宗純(1394-1481):室町時代の僧。京都府京田部市に草庵・酬恩庵を結ぶ。著書『狂雲集』など。
雪舟(1420-1506):室町時代に活躍した水墨画家・禅僧。中国に旅しその後山口などに住む。作品に『慧可断臂図』『山水長巻』など。
千利休(1522-1591):戦国時代から安土桃山時代にかけての茶人。わび茶の完成者。大坂・堺などに居を構える。
芭蕉(1644-1694):江戸時代前期の俳諧師。旅で全国を巡った。江戸深川の芭蕉庵に暮らした後、滋賀の幻住庵に入る。著書『奥の細道』など。
良寛(1758-1872):江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人。新潟柏崎などに暮らす。生涯に和歌千四百余首、漢詩七百余首をはじめ多くの書跡を残す。
江戸時代の俳人芭蕉は、先人たちのことを次のように書いている。『空海と日本思想』篠原資明著(岩波新書)から氏の解説を含めて引用する。
(引用開始)
西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其(その)貫道する物は一(いつ)なり。しかも風雅におけるもの、造化に随(したが)ひて四時(しいじ)を友とす。(『笈の小文』)
この芭蕉の言葉には、少なくとも二つのことがうかがえる。まず、諸ジャンル、この場合は和歌と連歌と絵と茶と俳諧を統括するものが、風雅において見出されていること。第二に、その風雅のありようが、自然に従い季節の運行を友とするものとして理解されていることだ。
(引用終了)
<同書 31−32ページ>
篠原氏はこの本の中で「風雅」とは「風流」と同義としている。<
「風流」の研究>で書いたように、日本人の美意識は、自然に偏した「風流」(華やかなもの・寂びたもの)を旨としている。芭蕉の言葉からもそれが伺える。これからも、隠者たちの文を読み画を味わい、寂びの境地を探りたいと思う。