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■オリジナル作品:「百花深処 I」(目次

「百花深処」 <「風流」の研究>

 前回<「いき」の研究>の項で、九鬼周造の『「いき」の構造』によって江戸文化の美意識を辿り、趣味の六面直方体と複眼主義との整合を論じたけれど、今回は、『「いき」の構造』九鬼周造著(岩波文庫)の収められた『風流に関する一考察』によって、「風流」について考えてみたい。

〔風流とはなにか〕

 まず、『風流に関する一考察』における風流の定義を見てみよう。

(引用開始)

 風流とは世俗に対していうことである。社会的日常性における世俗と断つことから出発しなければならぬ。風流とは第一に離俗である。(中略)しかし風流はそういう消極的方面だけでは成立しない。積極的方面が直ちにつらなってこなければならぬ。日常性を解消した個性によって直ちに何らか新しい内容の充実が営まれなければならぬ。そうして充実さるべき内容としては主として美的生活が理解されている。それは美の体験には霊感とか冒険とかいった否定的自在性があって、風流の破壊的方面と相通ずるからであろう。のみならず多くの場合に、この積極的芸術面が消極的道徳面を内的に規定しているのである。風流のこの第二の契機を耽美ということができる。(中略)風流には、なおもう一つ大切なものとして第三の要素がある。それは自然ということである。第一の離俗と第二の耽美とのいわば綜合として、世俗性を精算して自然美へ復帰することが要求されるのである。したがって風流の創造する芸術は自然に対して極めて密接な関係にある。

(引用終了)
<同書 101−104ページより。傍点は太字とした>

ということで、九鬼は「風流」という美的価値を、離俗、耽美、自然の三つによって構成されるものとした。

 次に九鬼は、風流の美的価値の諸要素について、

「華やかなもの」と「寂(さ)びたもの」
「可笑しいもの」と「厳かなもの」
「細いもの」と「太いもの」

という六つを摘出する。それぞれの要素の例として、たとえば、

「華やかなもの」:花さそう桃や歌舞伎の脇踊り(其角)
「寂びたもの」:古池や蛙飛びこむ水の音(芭蕉)

「太いもの」:牡丹散つて内かさなりぬ二三片(蕪村)
「細いもの」:しずかさや岩にしみ入る蝉の声(芭蕉)

「厳かなもの」:荒海や佐渡によこたふ天の川(芭蕉)
「可笑しいもの」:けろりくわんとして烏と柳かな(一茶)

という俳句などを彼は挙げる。そして「華やかなもの」と「寂びたもの」、「可笑しいもの」と「厳かなもの」、「細いもの」と「太いもの」、それぞれを対角頂点に持つ正八面体を提示する。その中心には「O」という記号が与えられる。
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 九鬼はこの「華」「寂」「太」「細」「厳」「笑」を頂点とする正八面体の表面あるいは内部に、風流の生む全ての価値が位置を占めているとする。

 その上で彼は、「しをり」「位」「まこと」「もののあはれ」「幽玄」「優美」「壮麗」「豪華」「侘(わ)び」といったさまざまな美的価値を挙げ、たとえば、

「もののあはれ」:「寂」「細」「華」の三頂点の作る直角三角形
「優美」:「華」「寂」「細」「笑」の四頂点の作る四面体
「壮麗」:「華」「太」「厳」「O」の四点の作る四面体
「侘び」:「寂」「細」「O」が作る三角形内に位置をもった一定点

といった具合に、それぞれの位置を正八面体の内部に定めていく。ここには伝統的な日本文化の美的価値が概ね網羅されているから、九鬼は「風流」にこそ、日本の美意識のルーツがあると言いたいのだろう。

 日本的美意識のルーツが、離俗、耽美、自然の三つによって構成されていること、とくにその中に「自然」が含まれていることは、「自然」=人を取り巻く環境ということで、複眼主義でいうところの、

A 主格中心−所有原理−男性性
B 環境中心−関係原理−女性性

という対比におけるBへの偏重を示しており、

A 「脳(大脳新皮質)の働き」−英語的発想
B 「身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き」−日本語的発想

という対比側面において(日本的美意識=日本語的発想という意味で)整合的であるといえる。ただし、「いき」のように、男性性と親和する美意識もあるから、一概には言えないところではあるが。

 おそらく日本的美意識は、総体的に「自然」を友とすること(風流を旨とすること)に偏重したなかで、さらに男性性と女性性、反重力美学(交感神経優位)と郷愁的美学(副交感神経優位)の強弱により、それが「いき」「もののあはれ」「幽玄」「優美」「壮麗」「豪華」「侘び」等として表出するのだと思われる。

 西洋的美意識は、総体的に「理念」あるいは「都市」に偏重したなかで、男性性と女性性、反重力美学(交感神経優位)と郷愁的美学(副交感神経優位)の強弱により、さまざまに表出するのではないか。

〔「いき」から「風流」へ〕

 そのことを検証するためにも、まず、九鬼周造の『「いき」の構造』と『風流に関する一考察』を比較して、彼が「いき」と「風流」との違いをどう整理したか見てみよう。

 『「いき」の構造』によると「いき」とは、運命によって諦めを得た媚態が意気地の自由を生き抜く様であり、武士道の理想主義と仏教の脱俗性と密接な関係を持つ、関東・江戸文化特有の美的価値であった。そして「いき」はその反対物として「野暮」を持っていた。「いき」の構造は、

対異性上部四辺形:「意気」と「野暮」、「渋味」と「甘味」
対人的下部四辺形:「上品」と「下品」、「地味」と「派手」

という「趣味の六面直方体」によって表現された。
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 一方、『風流に関する一考察』によると「風流」とは、「華やかなもの」と「寂びたもの」、「可笑しいもの」と「厳かなもの」、「細いもの」と「太いもの」をそれぞれ頂点とした正八面体によって表現され、風流はその表面もしくは内部に位置付く、「しをり」「位」「まこと」「もののあはれ」「幽玄」「優美」「壮麗」「豪華」「侘(わ)び」といったさまざまな伝統的美的価値の総体であった。

 ここで、「趣味の六面直方体」と、この「美的価値の正八面体」との違いについて考えてみたい。「趣味の六面直方体」は、

対異性上部四辺形:「意気」と「野暮」、「渋味」と「甘味」
対人的下部四辺形:「上品」と「下品」、「地味」と「派手」

ということで、「意気(いき)」は、その反対物として「野暮」を持っていた。しかし、「美的価値の正八面体」の方は、「風流」の反対物を持っていない。正八面体そのものが、風流の生む全ての価値を含んでいるからだ。これはいったいどういうことなのか。

 その手がかりになるのが、「寂(さ)び」の定義である。『「いき」の構造』では、

「さび」:O(下部四辺形の対角線交差点)、上品、地味の作る三角形と、P(上部四辺形の対格線交差点)、意気、渋味の作る三角形とを両端面とする三角柱

ということで、「寂び」は、「上品」と「地味」、「意気」と「渋味」を含んでいた。そしてその反対物は、「野暮」と「甘味」、「下品」と「派手」であり、それらは「いき」の反対物として否定的に捉えられていた。繰り返すが「寂び」は、「野暮」と「甘味」、「下品」と「派手」を含んでいない。

 しかるに『風流に関する一考察』において「寂び(たもの)」は、風流の一構成要素に過ぎず、風流は「寂び(たもの)」の対角頂点としての「華やかなもの」をも含んでいる。両著の整合を考えれば、「風流」は、「寂び」の反対物である「野暮」と「甘味」、「下品」と「派手」を、「華やかなもの」として含むことになる。思い切った発想の転換である。

 『「いき」の構造』が出版されたのは1930年(昭和五年)、九鬼がヨーロッパ留学から帰国した直後のことで、そのあと彼は京都に暮らした。『風流に関する一考察』が出版されたのは、七年後1937年(昭和十二年)のことである。つまり九鬼は、京都に暮らしたことで、関東・江戸の美意識に加え、関西の美意識をも包含した、日本文化全体の美的価値というものを捉えようとしたのだ。

 そのとき、江戸文化において否定的に捉えていた「野暮」と「甘味」、「下品」と「派手」といった諸要素を、「華やかなもの」の構成要素として、肯定的に捉え直す必要が生じたのだと思う。彼は関西・京都の文化の真髄を探るなかで、華やかなるもののなかに、関東・江戸では否定的に捉えられていた「野暮」「甘味」「下品」「派手」といった要素が含まれることを再発見したのだ。それは前著の否定ではない。戦国武将の血を引く父と京都祇園出身の母を持つ九鬼にとっての自然な進行・進展と考えるべきだろう。

 江戸の美意識としてみた「いき」や「寂び」のみならず、その反対物である「華やかなもの」、さらには「可笑しいもの」と「厳かなもの」、「細いもの」と「太いもの」といった要素全てを含む「風流」。京都に移ったことで、九鬼のなかで日本的美意識全体のルーツが定まったのだ。<出口なき迷宮>の項で書いた泉鏡花の求心的な迷宮は、華やかなものとして「風流」の一角を占めるわけだ。

〔風流と西洋的美意識〕

 さて、ここで一つ物足りないことが起ってしまう。それは、風流の反対物への言及が成されなくなってしまったことだ。二冊の本が目指したものの違い、タイトル「構造」と「一考察」の違いだといえばそれまでだが、なんだか物足りない。日本文化全体の美的価値が「風流」にあるとして、そしてその構成要素が「華」「寂」「太」「細」「厳」「笑」であるとして、その反対物は何なのか。そこで、風流でないものについて、複眼主義の観点を援用して解き明かしてみたい。

 <「いき」の研究>でみた「趣味の六面直方体」の複眼主義的転換は、

@「甘味」「派手」:反重力美学(交感神経優位)
A「渋味」「地味」:郷愁的美学(副交感神経優位)

B「意気」「上品」:遠心性(男性性)
C「野暮」「下品」:求心性(女性性)

ということであった。そして「寂び」は、

A「渋味」「地味」:郷愁的美学(副交感神経優位)
B「意気」「上品」:遠心性(男性性)

という組合わせであり、その反対物は、

@「甘味」「派手」:反重力美学(交感神経優位)
C「野暮」「下品」:求心性(女性性)

であった。縦軸(@上、A下)と横軸(B左、C右)を中央で交叉させた十字を描くと位置関係が分りやすい。
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「寂び」は十字によってできる四つの象のうちの左下象部分。

 『風流に関する一考察』によれば「風流」は、「寂び(たもの)」とその反対物「華やかなもの」を含むわけだから、それは、

B+A 遠心性(男性性)における郷愁的美学(副交感神経優位)
C+@ 求心性(女性性)における反重力美学(交感神経優位)

という組合わせになる。十字によってできる四つの象のうち、左下と右上の象部分。
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「風流」のさまざまな美的価値(「しをり」「位」「まこと」「もののあはれ」「幽玄」「優美」「壮麗」「豪華」「侘(わ)び」)はどれも必ず「寂び(たもの)」「華やかなもの」両方、あるいは片方を含むから、これ以外の四要素(「細」「太」「厳」「笑」)は一度横においておく。

 こうすると、「風流」でないものが浮かび上がってくる。それは、

B+@ 遠心性(男性性)における反重力美学(交感神経優位)
C+A 求心性(女性性)における郷愁的美学(副交感神経優位)

の組合わせである。十字によってできる四つの象のうち、左上と右下の象部分。
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B+@(左上)の美意識の例としては、ゴシック建築、野球やサッカーやなどのスポーツ美学、C+A(右下)の例としては、洋館での夜会のロマネスク的な美しさなどが代表例として思い浮かぶ。どれも「風流」とはいえないが、西洋に慣れた今の日本人であれば十分美しいと感じることができる。「高揚感」(左上)と「エレガンス」(右下)といったところか。

 前に、西洋的美意識は、総体的に「都市」に偏重したなかで、男性性と女性性、反重力美学(交感神経優位)と郷愁的美学(副交感神経優位)の強弱により、さまざまに表出するのではないかと書いたけれど、ゴシック建築、野球やサッカー、洋館の夜会などは確かに都会的なものである。

 日本的美意識(風流)は、西洋的美意識と対称的な位置関係にあるから、それが「都市」の反対の「自然」に偏重していることも逆に理解できる。

 自然を友とする日本的美意識(風流)によって疎外された組合わせが、都市を友とする西洋的美意識において、逆に規範となる。複眼主義による分析の面白さだ。日本的美意識においては、B+@(左上)は情感に欠けた「野卑」、C+A(右下)は女々しいだけの「軟弱」という感じだろうか。都市に偏した西洋的美意識においては、C+@(右上)は理性の利かない暴力「バイオレンス(violence)」、B+A(左下)はリタイヤーした老兵の「ウィークネス(weakness)」といったところだろうか。

 尚、「細」「太」「厳」「笑」について、

「細いもの」=繊細さ=「脳(大脳新皮質)の働き」
「太いもの」=磊落さ=「身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き」

「厳かなもの」=交感神経優位
「可笑しいもの」=副交感神経優位 

と関連付ければ、これら四要素の強弱は、日本的美意識(風流)もしくは西洋的美意識の内部における「入れ子構造」的なものと考えればよいのかもしれない。

 複眼主義的には、男性性と女性性、交感神経優位と副交感神経優位は、縦軸と横軸の関係だから、「寂」と「華」によって作られる二つの時空間のなかに、さらに縦軸的・縦軸的強弱が生まれる、と捉えるのがよいと思われる。

 ここまで考えてくると、19世紀に西洋が日本の「風流」に出会ったときの衝撃が分ろうというものだ。印象派絵画、ドビュッシーの音楽などがそこから次々に生まれたことも頷ける。逆もまた真なりで、日本が西洋的美意識に出会ったときの衝撃の大きさも推察できる。もっと遡れば日本が出会ったのは西洋の前に中国文化だから、いつかそのことも併せて日本の思想のルーツを辿ってみよう。一休宗純に発する「反転同居の悟り」の背景も見えてくるかもしれない。そのときのキーワードはやはり「自然」なのだろう。
「百花深処」 <「風流」の研究>(2015年03月05日公開) |目次コメント(0)

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