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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <向き合うヤスオと逃げるハルキ>

 ブログ『夜間飛行』「単行本読書法(2014)」のなかで、『女のいない男たち』村上春樹著(文藝春秋)について触れ、『33年後のなんとなく、クリスタル』田中康夫著(河出書房新社)と比べると、女子力は見えず、父性も現れず、しなやかな<公>の精神もないと述べ、「向き合うヤスオと逃げ回るハルキ」というフレーズが頭に浮かぶ、と書いた。ブログではあまり敷衍できなかったので、此処『百花深処』でそのフレーズについて話を展開してみたい。女子力、父性、<公>の精神については、<日本の女子力と父性について>、及び『夜間飛行』「しなやかな<公>の精神」をお読みいただきたい。はじめにそちらを読むと以下の論旨がより辿りやすいかもしれない。

 『女のいない男たち』と『33年後のなんとなく、クリスタル』、前者は雑誌「文藝春秋」に2013年12月号から2014年3月号まで掲載された4つの短編シリーズが中心で、後者は雑誌「文藝」の2013年冬号から2014年の冬号までの連載が本文となった。つまり2013年の暮れから翌年春まで、二作は同時進行的に書かれていたわけで、リアルタイムに両方を読んできた読者としては、どうしても中身を比べたくなる。しかも、『女のいない男たち』シリーズは大人の男たち中心の物語、『33年後のなんとなく、クリスタル』は大人の女たち中心に話が展開する。今の日本を男性と女性両極から描く二対の小説を、比較して論じない方が怠慢というものだろう。

 さて、『女のいない男たち』「イエスタデイ」において、語り手が出会う昔の女友達えりかのボーイフレンド木樽は、今デンバーで鮨職人をしているという設定になっている。『33年後のなんとなく、クリスタル』でも、淳一(ヤスオが出会う昔の女友達由利のボーイフレンド)は、その後ロス郊外に住んでいることになっている。語り手が久しぶりに会う昔の女友達のボーイフレンドが、共にアメリカ(デンバーとロス)で暮らしているという設定の一致、これは偶然とは思えない。しかも、語り手の女友達(えりかと由利)は、どちらもその後日本でキャリア・ウーマンとして成功している。女友達と一緒になって家庭を作ったかもしれない木樽と淳一、二人は何を求めて(何から逃げて)アメリカへ渡ったのか。木樽も淳一も、戦後、特に高度成長期の日本に居られなかったことは共通している。だから、木樽と淳一のアメリカ行きは、戦後日本の「父性の不在」という問題と繋がっているのではないだろうか。

 二人の作家が共通してボーイフレンドの方を不在にさせたのは、(勿論ストーリー上の必要もあるしどれほど書き手が意識していたかも分らないが)戦後日本社会における父性の不在、そしてアメリカがその代役を務めている事実を象徴していると思う。

 しかし、その先の展開が両者で異なってくる。『33年後のなんとなく、クリスタル』では、作者本人と思しきヤスオが登場し、自らのボランティア活動や政治家としてのこれまでを振り返りつつ、最後はキャリア・ウーマンとして成功しつつも悩みを抱える由利を支えるべく、自らも由利の進む光の方向に歩み出す。それに対して、『女のいない男たち』では、「イエスタデイ」においてもその他の短編においても、男たちは延々と女の不在を嘆き悲しむ。「単行本読書法(2014)」で述べたように、男たちはみな喪失感に苛まれた居場所をぐるぐると回っている感じだ。同じ「回っている」でも<反転同居の悟り>に到達するというわけでもない。

 二人はタイプが違うし、作品上の展開が同じであれば良いということもない。しかし村上は、なぜ成熟することを厭(いと)う男たちをこうも延々と描き続けるのか。たとえば「木野」の最後はこう終わる。

(引用開始)

 初夏の風を受け、柳の木は柔らかく揺れ続けていた。木野の内奥にある暗い小さな一室で、誰かの温かい手が彼の手に向けて伸ばされ、重ねられようとしていた。木野は深く目を閉じたまま、その肌の温もりを思い、柔らかな厚みを思った。それは彼が長いあいだ忘れていたものだった。ずいぶん長いあいだ彼から隔てられていたものだった。そう、おれは傷ついている、それもとても深く。木野は自らに向かってそう言った。そして涙を流した。その暗く静かな部屋の中で。
 そのあいだも雨は間断なく、冷ややかに世界を濡らしていた。

(引用終了)
<『女のいない男たち』261ページ。傍点は省略>

 村上は、2014年10月に出版された『セロニアス・モンクのいた風景』村上春樹編・訳(新潮社)の冒頭で、十代終わりから二十代初めにかけて宿命的にまで惹かれたモンクについて、

(引用開始)

彼は僕にとっての「謎の男」だったし、彼が消えても、そこにあった謎は今でもまだ深い謎のままに機能している。そして僕はまだそこにあった謎を信じ続けている。

(引用終了)
<同書 12ページ>

と書いている。その前段で、モンクが演奏をやめた1970年台後半のことを「あのとりとめもなく非神話的な時代」と書いていることからもわかるように、村上にとって70年代後半以降は、モンクのいない、謎が消えた、まともに付き合うに値しない世界であり、そこから逃げるために(謎を信じ続けるために)彼は小説を書き始めたわけだ。

 参考までに、彼の『風の歌を聴け』が出たのは1979年、そして田中康夫の『なんとなく、クリスタル』が出たのは1980年のことだ。

 しかし村上は、次第に(社会からの)デタッチメントから(社会への)コミットメントへとスタンスを移し、ついには、天吾と青豆が手に手を取って現実世界へと歩みだそうとする『1Q84』のラストへまで辿り着く。だが『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』以降、彼は再び逃避すること、十代終わりから二十代初めにかけて信じていた「謎」の世界へ舞い戻ることを選んだように見える。『女のいない男たち』の主人公のように。彼にとって「とりとめもなく非神話的な時代」は、とてつもない厚い壁として目の前に立ちはだかっているのだろうか。

 そういえば『女のいない男立ち』の最後にある書き下ろし短編「女のいない男たち」は、結婚している主人公が昔のガールフレンドの死を知って回想に耽る話だが、その語り口は喪失感を通り越してむしろ(女の不在を)楽しんでいるようでもある。それは強がり、もしくは自己韜晦ともとれるけれど。

 ここまで書けば「向き合うヤスオと逃げるハルキ」の意味は明らかだろう。村上春樹は田中康夫と対照的に、昔の「謎」の世界に閉じこもり現実と向き合わない。前進しない足踏み体勢とでも言うべきか。しかしまだ勝負は付いていないのかもしれない(勝負と言うのも変だが)。徹底的に逃げ回ることで何かを掴むこともありえないわけではない。村上春樹がモンクの「謎」を謎としたまま、作品のなかでどう「女の不在」を解消し自らの父性を立ち上げるのか、期待して待ちたいと思う。

 尚、『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』の足踏み感については『夜間飛行』「アッパーグラウンド II」などでも触れた。併せてお読みいただければ嬉しい。
「百花深処」 <向き合うヤスオと逃げるハルキ>(2015年01月28日公開) |目次コメント(0)

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